日本の環境エネルギー技術を国際標準化するための施策と課題
平沼 光
<要旨> 世界的な普及が見込まれるスマートグリッドなどの環境エネルギー技術であるが、現在その国際標準化の動きが活発化している。東京財団では日本の環境エネルギー技術の国際標準化策について昨年4月より研究を進め関係各所へ日本の施策を意見するとともに、本年4月に提言を公表、その後5月21日には政府案となる「知的財産推進計画2010(案)」が公表されたが果たしてその内容と実行性はどうか。 東京財団の提言では、「日本と東アジア諸国との技術的連携を強めることでお互いにとって必要となる技術の国際標準化を共同で進めていく」ことを提案し、そのための具体策として、 1.「東アジア・環境エネルギー技術標準化会議」(仮称)の設置。 という3点を提言している。また、日本の特色として日本には優れた技術を持つ優秀な企業が多いが故に“何を国際標準化していくか”という企業間合意を図るのが難しい状況を指摘し、日本の企業間、関係省庁間で標準化項目の合意形成を促す場の構築を急ぐことも提言した。 5月に公表された政府案では、当方の提言趣旨と同じく、日本とアジアとの技術的連携を強めるという内容が盛り込まれておりその点では大いに期待されるが、日本の企業間、関係省庁間でどのように標準化項目の合意形成を図っていくかという点については十分とは言えない内容であり、今後はこの点が焦点となってくるであろう。 |
重要な環境エネルギー技術の国際標準化
グリーン・ニューディールと言われるような環境経済政策の広がりにより、太陽光発電、リチウムイオン電池、次世代自動車、スマートグリッドなど様々な環境エネルギー技術の普及が世界的に進もうとしている中、環境エネルギー技術の国際標準化、特にISO(国際標準化機構)、IEC(国際電気標準会議)等の国際標準化機関で定められるデジュール標準の規格化の動きが活発化している。
1995年に発効したWTOのTBT協定(貿易の技術的障害に関する協定)では、WTO加盟国は強制/任意規格を必要とする場合において、関連する国際規格が存在する場合はその国際規格を自国の強制/任意規格の基礎として用いらなければならないとしており、原則としてISOやIECなどが作成する国際規格を自国の国家標準においても基礎とすることが義務付けられていることから、これから本格的に国際普及が始まろうとしている様々な環境エネルギー技術については、他国に先駆け逸早く自国に有利な形で国際標準化を構築し、自国の技術と製品を国際普及させようと各国が動いているというわけだ。
すなわち、どんなに高い技術を持っていてもそれをデジュール標準化出来なければ国際競争で不利になり、逆に言えば例え技術レベルは低くともデジュール標準化さえ出来れば国際競争で有利に働くと言う事で、技術力を売りにしている日本にとっては油断できない事態といえる。
国際標準化機関の中で政治力を発揮する欧米諸国
従来、ISO、IEC等の国際標準化機関で政治力を発揮してきたのがドイツ、フランスなどの欧州勢と米国である。IECもISOもその設立において欧米が主導したという経緯があり現在も本部は欧州(ジュネーブ)にあることや、国際標準化機関の中で実質的に国際標準を作り上げていく各種技術委員会において、そのリーディング機能を果たす国際幹事の引受数(2007年 経産省資料)を見ても、ドイツ159件(内訳ISO:128件、IEC:31件)、アメリカ148件(内訳ISO:124件、IEC: 24件)、フランス102件(内訳ISO:77件、IEC:25件)に対し、日本は67件(内訳ISO:53件、IEC:14件)という状況で国際標準化機関での政治力の発揮という点で日本は力不足な面がある。
再生可能エネルギー普及に不可欠な電力インフラとして昨今期待の高まるスマート・グリッド(次世代送電網)に係る技術について見ても、2008年11月にIECの技術委員会8(TC8:Technical Committees 8)の議長でありフランス電力公社(EDF)北米支社の副社長でもあるRichard Schomberg氏の提唱により、IECの中にスマートグリッド関連の規格化を進めるための戦略グループ、SG3(Strategic Group3)を設置することが決定され、現在同氏がSG3の議長として標準化の作業を推し進めているほか、SG3の参加国もオランダ、ドイツ、イタリア、イギリス、スウェーデン、フランス、スイス、アメリカ、日本、韓国、中国と欧米勢が大半を占めており、IECでの議論は欧州が主導していると言える。
また、米国は米商務省直轄の国立標準技術研究所(NIST)が中心となり国内外の関連企業、団体などをNISTが主催する標準化会議に取り込み、強力にスマート・グリッドの標準化の検討を行うとともに、米国に本部を持つ電気・電子技術の学会、IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)を介してIECと協力関係を構築し規格策定に関与しており、スマートグリッドのデジュール標準化においてはNISTという米国の一機関と国際標準化機関であるIECの中で政治力を発揮している欧州勢が主導していると言える。
新たなプレイヤー“市場国”と日本の国際標準化策
欧米が国際標準化の舞台で政治力を発揮している中、新たなプレイヤーとして注目されるのが将来環境エネルギー技術の大きな市場になると考えられている中国やASEAN諸国など東アジアの“市場国”である。既に中国では天津や深センをはじめとして大規模なエコシティー開発の計画が数多く公表されている他、スマートグリッドに関しても中国国家電網が中心となり、送電網の増強を主な目的として2020年までに国内送電線をスマートグリッド化することを目指している。また、ASEAN諸国については既に人口はEUを超え、エネルギー消費は中東に匹敵しており、IEA(国際エネルギー機構)のレファレンスシナリオではASEANの一次エネルギー需要は2007~2030年に76%、年率2.5%で増加すると予測されている。国際標準化機関の中で政治力を発揮している欧米諸国も、将来環境エネルギー技術の普及先となるこうした市場国の発言には耳を傾ける傾向にあり、環境エネルギー技術のデジュール標準化で優位に立つにはこうした市場国をどれだけ自国サイドに巻き込めるかが一つのカギとなる。
このような状況を背景に、東京財団“資源エネルギーと日本の外交PJ”では日本の環境エネルギー技術の国際標準化策について昨年4月より研究を進め、日本のとるべき施策を関係各所へ意見するとともに、本年4月にはその纏めとして 政策提言「日本の資源・エネルギー外交の優先課題?:環境・エネルギー技術をツールとした東アジア戦略への2つの提言」 を公表した。
本提言では、日本は日本の持つ優れた技術力を活用し“技術力国”として、将来大きな市場となる東アジア諸国に対し、日本の環境エネルギー技術の技術供与や共同開発といった技術協力を進め、日本と東アジアとの技術的連携を強めることでお互いにとって必要となる技術の国際標準化を共同で進めていく事を提案しており、具体策として次の3点の実施を提言している。
<日本の環境エネルギー技術を国際標準化するための3つの具体策>
■具体策1: 「東アジア・環境エネルギー技術標準化会議」(仮称)の設置
日本が東アジアにおいて環境・エネルギー分野の技術協力を最大限行えるよう、東アジアにおける日本の環境エネルギー技術の普及とそのために必要な日本の技術の国際標準化について東アジア諸国と協議する場が必要となる。日本はそのための場として「東アジア・環境エネルギー技術標準化会議」(仮称)を東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA:Economic Research Institute for ASEAN and East Asia)の中など、各国が参加できる形で日本主導が主導して設置する。
⇒環境エネルギー技術の国際標準化について日本と東アジア諸国が協議する場の構築
■具体策2: 東アジア諸国におけるスマートグリッド実証実験の促進
スマートグリッドは発電(分散型)、送電(大容量、双方向)、蓄電、電力の消費・売買管理など環境エネルギー技術の広い裾野を持つ分野であり大きな市場規模が期待されていることからこの分野における技術先行性は重要となる。
現在、日本はニューメキシコ州にて実施されている米国のスマートグリッド実証実験に参加しているが、他国の実証実験に参加するだけでなく、日本主導により将来の市場となる東アジアにて、東アジア諸国と協力してスマートグリッドの実証実験を促進し、日本と東アジア諸国との技術的連携を強めるべき。特に中国については、「2010年の中国国家電網公司の電力網関係への投資額2274億元中、知能電網(スマートグリッド)と電気自動車充電スタンドが最重要課題(『21世紀経済報道』2010年1月15日記事)」と報じられるなど、今後の動きを注視し早急に協力関係を構築していくことが望まれる。
⇒日本と東アジア諸国の環境エネルギー分野における具体的な技術的連携の構築
■具体策3: 日本との連携関係を構築した東アジア諸国に対し、国際標準機関の各委員会への参加を促す
デジュール標準を作りだすIECなどの国際標準機関では、各技術項目毎に設置された委員会や作業部会の中で標準化技術の方針や原案が策定され、最終的にその委員会の参加国の投票による多数決で国際標準化技術が決定される。そのため、各委員会や作業部会での自国のプレゼンスと自国に賛同してくれる協力国の存在は重要になる。
そこで日本は、上記具体策1.、2.により技術的連携を深めた東アジア諸国に対し、国際標準機関における委員会や作業部会に積極的に参加するよう促し、日本の味方を作りだすことが望まれる。
東アジア諸国の国際標準機関における委員会や作業部会への参加率はまだまだ低く、例えばスマートグリッドの技術標準化の方針を立案しているIECの委員会、SG3 (Strategic Group 3)の参加国は、オランダ、ドイツ、イタリア、イギリス、スウェーデン、フランス、スイス、アメリカ、日本、韓国、中国となっており欧米が大半を占めている状況にある。こうした委員会に日本の味方となる東アジア諸国の参加を呼び掛けていく活動が重要になる。
⇒国際標準機関における日本・東アジアの具体的な協力
さらに本提言では上記3つの具体策を実施するための日本の必要条件として、次の2点に取り組むことが欠かせないことを指摘している。
<3つの具体策を実施するために日本が取り組まなければならないこと>
1.「何を標準化するのか」を日本の企業間、関係省庁間で合意する場の構築
東アジアの市場国と国際標準化で連携するにはそもそも日本は日本の持つどの技術を国際標準化していくのかを企業間、関係省庁間で合意していかなければならないが、日本には優れた技術を持つ優秀な企業が多いが故になかなか企業間での合意が進まない状況にある。
企業間、関係省庁間の標準化項目についての合意を図るため日本は“産官学”の連携により“何を標準化するか”を決める日本の標準化項目の合意形成を図る場をなによりもまず構築する必要がある。そこでは、各社独自の技術に優劣をつけ取捨選択をするのではなく、各社共通のインターフェイスとなる技術の標準化に注力することを提案する。
2. 市場力国と政治力国の国際関係の把握
技術力国である日本が東アジアの市場力国と技術的連携を構築していく上で国際標準機関で政治力を発揮している欧米などの政治力国は無視できない存在であり、従来日本は政治力国に引きずられる傾向にあった。
日本が米国と環境エネルギー分野におけるいくつかの二国間協定を結んでいるように、東アジアの市場力国も政治力国と何らかの関係を構築しているケースがある。
例えば中国は米国と米中戦略・経済対話などにより環境エネルギー分野での協力を進める方向にある。
日本はそうした市場国と政治力国との関係を把握した上で、市場力国との技術的連携を強め、技術力国(日本)+市場力国(中国等)+政治力国(米国等)のバランスを考慮した関係を構築していくことが重要となる。
公表された政府の政策、果たしてその実行性は?
前述のように、環境エネルギー技術の国際標準化の動きが今後益々活発になることが予想される中、2010年5月21日、政府の知的財産戦略本部(本部長:鳩山首相)は日本の環境エネルギー技術の国際標準化の方針を含めた「知的財産推進計画2010(案)」を公表した。
「知的財産推進計画2010(案)」の中では、これまで当方が関係各所と意見を交わし、4月にまとめた提言の趣旨と同じく、日本の環境エネルギー技術の技術供与や共同開発といった技術協力を進め日本とアジアとの技術的連携を強めることでお互いにとって必要となる技術の国際標準化を共同で進めていく方向性が盛り込まれている。政府の方針としても当方がこれまで主張してきたアジア諸国との連携と言う点に着目してきたことは大いに期待されるが問題はその実行性だ。政府案ではこうした国際標準化の獲得を“官民一体となって行う”とされているが、前述したように日本の状況を複雑にしているのが日本には技術力のある優秀な企業が多く企業間の合意形成を図ることにまず注力しなければいけないという点だ。“官民一体”の前にまず“民(企業等)の一体化”が必要と言う事だ。
さらに官(行政)の体制にも課題があると考える。政府案では国際標準化で取り組むべき分野として、(1)先端医療、(2)水、(3)次世代自動車、(4)鉄道、(5)エネルギーマネージメント(スマートグリッド、省エネ技術等)、(6)コンテンツメディア、(7)ロボット、の7つを国際標準化特定戦略分野として位置付けており各々の担当府省についても明確に割り振りされている。担当とその責任を明確にするという意味でも担当府省を明記することには意味があると考えるが問題はその割り振りようだ。環境エネルギーに係る分野の担当府省を見てみると、(2)水⇒厚生労働省、経済産業省、国土交通省、環境省、(3)次世代自動車⇒経済産業省、国土交通省、(5)エネルギーマネージメント⇒総務省、経済産業省、となっているが本来環境エネルギーに関する全ての分野に関わってよいはずの環境省は水分野の担当に割り振られているのみであるのは違和感が覚えられる。
担当府省でなくとも分野横断でうまくやるというのであれば良いが、長年にわたり行政の縦割りが問題視されている中ではこの割り振りできちんと機能するのか結果を見るまでは安心できない。ここでも“官民一体”の前に“官(関係府省)の一体化”が求められるという事になる。
環境エネルギー技術の国際標準化においては、欧州勢がEUという経済域を活用して攻勢をかけ、米国は米国商務省、エネルギー省等が主導し国家単位で動いていることから日本としても迅速に政策を実行していく必要がある。
そのためには産官学といった日本国内のプレイヤーの合意形成を図る場を構築することが重要であり、今後この点についても政府をはじめ関係各所の動向を見ながら本プロジェクトとして出来る事に取り組んでいきたい。