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2018/6/4

明治150年を展望する:第5回 「世界史と日本史のサイクル」

 

 ※本稿は2018年1月30日に開催した政治外交検証研究会の議論、出席者による論考をもとに東京財団政策研究所が構成・編集したものです。

第5回:世界史と日本史のサイクル

奇妙な移行の時代「1868年」

細谷 宮城さんからは、国際関係と内政、日本とアジアの二つの観点から平成の30年を振り返っていただきました。日本を取り巻く環境や地理が日本の政治外交に大きな影響を与えた。そして、明治以降「アジアで唯一」という道を歩んできた日本が相対的にそうではなくなってきたいま、アジアの一員として心理的な調整が必要であり、舵取りに知恵を要する、ということです。

   さて、最後に、私は国際政治の観点から、第一に「明治150年」という場合の「1868年」が世界史的にどのような時代であったのか、第二に「150年」という時代がどのような区切りになるのかについて問題提起します。

 1868年は、旧い時代が終わりつつある時期と重なっています。それは奇妙な移行の時代でした。奇妙というのは、通常は、国際秩序が大きく転換する場合、三十年戦争(1618~48年)やナポレオン戦争(1803~15年)、あるいは二度の世界大戦のような大国間戦争が必要となります。ところがこの時代には、ウィーン体制の安定的な平和に包まれて、君主制や帝国に象徴される「旧体制」が時代の前提となっていました。日本が君主制と帝国を目指すのも、時代の要請でした。問題は、世界において時代はつねに移りつつあり、このときにもひとつの時代が終わりつつあることを、日本人の多くが十分に認識できなかったことです。まもなくヨーロッパの君主制は、イギリスなどの例外を残して崩壊していき、また帝国主義に対する批判もイギリスのホイッグ党の急進的な自由主義者たちを中心に加熱していきます。

   オーストリアではハプスブルク家が帝国を支配しており――その直前の普墺戦争(1866年)を契機にハンガリーが自治を要求して、オーストリア=ハンガリー二重帝国となりますが――イギリスは「パクス・ブリタニカ」の「光栄ある孤立」を楽しんでいました。まだ「ドイツ」という国民国家も「イタリア」という国民国家も登場する前の時代のことです。南北戦争終結直後のアメリカは、国土の統一がまだ未成熟でした。それは旧い秩序が支配する世界であって、先進的ないわゆる「国民国家」を実現していたのはイギリスとフランスのみでした。

   イギリスは議会政治が成熟しはじめ、帝国支配を拡大し、固めつつありました。フランスはナポレオン三世(1808~73年)のもとで帝政下にあり、近代都市パリを開発しつつありました。この二つの帝国のみが世界帝国としてグローバルに海軍を派遣することが可能であって、したがって幕末から明治維新にかけて日本の内政に影響力を浸透させることができたのがイギリスとフランスの二国であるのも、自然なことです。

 「先進国」の波に乗っていた日本

 いわば、日本はこのイギリスやフランスに続いて近代国家を完成させて、国民国家を実現させ、帝国を成立させようと努力をし、「先進国」の波に乗っていたことになります。これは、アジアやアフリカの他の諸国との大きな違いです。実効的な中央集権的政府、成熟した市民社会と市民教育、比較的高度な経済システムなどを基盤としていました。唯一、近代国家としての強大な軍事力を備えていなかったことで、日本は西洋列強の圧力の前に脅威を感じて、脆弱性におびえていた。海洋に囲まれていたことが、日本における国防意識をはぐくまなかったのです。

 日本が明治維新を経験した後に、ドイツ、イタリア、アメリカもまた近代国家を発展させて、大国への道へと進んでいきます。このうち、ドイツ、アメリカ、日本の三大国が、「新興国」として19世紀後半から20世紀前半に、経済的にも軍事的にも急激な発展を遂げて、イギリスやフランスと並ぶ、あるいはそれを超える大国となります。「1968年」、明治維新からちょうど一世紀が経過した年に、くしくも日本はアメリカに次いで世界第二の経済大国となりました。

   このときの世界の経済大国の上位三カ国は、アメリカ、日本、ドイツ(当時の西ドイツ)という、19世紀後半に統一、発展して、近代化を達成したかつての「新興国」です。もちろん、三つの国のそれぞれが辿った近代の歴史は大きく異なります。アメリカは二度の世界大戦で戦勝国となり、「アメリカの世紀」を実現した。日本は第二次世界大戦の敗戦国として、平和国家として再出発をした。ドイツは二度の世界大戦でいずれも敗れ、いまや欧州連合(EU)の一部に組み込まれている。

 ひとつの時代がいま、終わった

 第二の、「150年」というひとつの時代には何か意味はあるのか。

   近代史は1648年のウェストファリア会議、1815年のウィーン会議、そして1945年のサンフランシスコ会議(国連創設のための国際会議)の三つの会議で区切ることができます。これらの会議によって新しい国際秩序がつくられました。それぞれの間の期間を見ると150年ほどであることがわかります。つまりは、巨大な戦争が起こり、国際秩序が大きく変革されることを、そのような時間軸でとらえることが可能であるといえるでしょう。だとすれば、「明治150年」を、ある時代が始まり、それが終わったひとつの区切りとして見ることが可能です。

 では、この時代とは何だったのか。それは、近代化と軍事強大化を目指し、それをある程度達成して挫折した150年といえるのではないか。日本の国家目標「富国強兵」の二つの柱のうち、後者の柱「強兵」が敗戦により失われた結果、「富国」の一つの柱のみとなったのが、戦後のいわゆる「吉田ドクトリン」であった。そしていま、少子高齢化や、経済の「失われた20年」によって、もう一つの柱である「富国」も失われかねない。世界技術力ランキングで日本は、2017年にランクを二つ上げながらも、世界14位である。世界競争力ランキングでは世界9位である。世界の近代化の先端を走る国家ではもはやないわけです。

 日本は次の150年を見据えたビジョン、アイデンティティ、そしてストラテジーが必要です。150年前の若き日本の指導者が試行錯誤をして、苦悩をして、暫定的に道を示したように……。われわれに求められている使命は重く、また価値のあるものだということを指摘して、私の提起を終えます。

★続きはこちらから⇒  第6回:己に対する知識を完成させよ