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【論考】市場構造が作る共有現実 名古屋モデルが示す災害情報到達の構造
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【論考】市場構造が作る共有現実 名古屋モデルが示す災害情報到達の構造

April 27, 2026

元テレビ朝日 報道局プロデューサー 江野夏平

これまでの調査・研究[1]から、災害情報が住民の行動判断にまで到達する条件として、日常から情報発信者と受信者の間に形成されている信頼関係の有無が大きく関係していることが明らかになってきた。行政と地域メディアが平時から同じ危機認識を共有し、情報発信の目的や方向性をすり合わせている地域では、発災時に発信される避難情報が住民の判断の根拠として受け取られやすく、避難行動に迷いが生じにくい傾向が確認されている。このような状態は、日常的な接触と相互理解の積み重ねによって形成されるものであり、言い換えれば、情報発信者と受信者の間で「信頼感が成熟している状態」と表現することもできる。

しかし、災害情報の到達度の高さは、必ずしもこうした関係性の濃さだけによって成立するわけではない。行政と地域メディアの密接な関係に依存しなくても、別の仕組みによって高い到達度が成立している地域が存在する。そこでは、信頼関係の蓄積というよりも、放送事業者の市場構造や取材体制そのものが、住民の共有する現実認識を形づくっている。こうした仕組みによって情報到達が成立している典型例が、中京圏である。

中京圏の災害報道の特徴は、ヘリコプター取材の運用に最も明確に表れている。愛知・岐阜・三重の三県を放送エリアとする民放4局、CBCテレビ、東海テレビ放送、名古屋テレビ放送(メ~テレ)、中京テレビ放送は、20195月に「ヘリコプターの共同取材に関する覚書」を締結した。南海トラフ巨大地震などに伴う大津波警報の発表時に、報道ヘリコプターの取材映像を共有し、取材エリアを分担して空撮を行う体制である。この取り組みは通称「名古屋モデル」と呼ばれている。

この覚書の前文には、テレビメディアの役割に関する重要な認識が示されている。海岸に迫る津波をヘリコプターでいち早く捉え、リアルタイムで伝えることで、その後に津波が襲来すると見込まれる地域の住民に、強い現実感を伴った避難の呼びかけができるのではないか。また、津波襲来後に建物の屋上などに取り残された人々の状況を上空から伝えることで、救助隊による公助だけでなく、住民同士の共助にもつながるのではないかという発想である。放送法108条は、災害時の放送について「被害を軽減するために役立つ放送を行うよう努めなければならない」と定めているが、名古屋モデルは、この理念を現場の運用として具体化した試みといえる。

名古屋モデルの最大の特徴は、複数の視点によって災害を同時に観測する仕組みにある。過去の災害報道では、被害の大きい地点に報道ヘリコプターが集中し、その結果として災害の全体像が見えにくくなるという問題が指摘されてきた。そこで名古屋モデルでは、愛知県と三重県の沿岸部を4つのエリアに分け、各局のヘリコプターが分担して取材する体制をとっている。担当エリアは、名古屋市および知多半島方面、三重県南部方面、三重県北部方面、西三河・東三河方面の4方面である。発災直後、各局のヘリコプターがそれぞれ異なる地域を取材し、その映像を共有することで、地域全体の被災状況を短時間で把握できるようにしている。

この体制では、各局が取得した映像は共有素材として扱われる。通常の報道取材であれば、映像は各局の独自素材として管理されるが、災害時には地域社会への情報提供を優先し、系列の違いを越えて放送に使用することができる。共有されるのは映像だけではない。ヘリコプターに搭乗した記者やカメラマンによる現地リポートも、素材として各局が使用できる。ただし、生放送で複数局が同時に掛け合いを行えば、進行や音声が衝突し、放送事故につながるおそれがある。そのため、スタジオからの直接質問などは行わず、あくまで素材として活用するという運用ルールが定められている。

名古屋モデルが発動するのは、愛知県または三重県の沿岸部に大津波警報が発表された時である。警報の発表と同時に自動的に発動し、原則として24時間有効とされる。必要に応じて4局の報道責任者の合意により、延長や短縮も可能だ。発災直後には電話やメールなど通常の通信手段が途絶える可能性があるため、4局には専用の無線機が配備されている。発動直後には、その無線を通じて各局のヘリの稼働状況を確認し、取材エリアを決定する。大地震直後には4機すべてが即時に飛行できるとは限らない。たとえば2機しか飛行できない場合など、さまざまなケースを想定しながらエリア分担が決められる。

こうした運用を確実に機能させるため、4局では毎月1回の無線訓練を行っている。デスクや泊まり勤務の記者らを含む報道スタッフが無線操作に習熟し、いざという時に局を超えて円滑に連絡を取り合えるようにするためである。さらに年に1回は、実際にヘリコプターを飛ばす合同訓練も実施されている。南海トラフ地震の発生を想定し、取材エリアの決定、局間連絡、ヘリの飛行、各局の特別番組運用まで、実際の災害発生時と同じ手順で約2時間にわたって行われる。こうした訓練を通じて、取材エリアの設定が現状のままでよいのか、ヘリのカメラマンにはどのようなリポートが求められるのか、ヘリの現在地をどのように4局で共有するのが適切かなど、実務的な課題の検証と改善が続けられている。

その一方で、この取り組みには運用上の難しさもある。4機のヘリコプターが別々の地点を飛んでいても、ひとたび1機が津波の映像を捉えると、その映像のオンエアが続き、他の3つの映像が十分に活用されなくなる可能性があるからだ。海岸に迫る津波の映像を伝え続けることは、避難を促すうえで極めて重要である。しかしその時点でも、他のヘリは別の地域の海岸や市街地を観測している。愛知・岐阜・三重という広い放送エリアの中で、4つの視点をどのように生かし、どのような形で視聴者に提示するのが最も有効なのか。この点は、訓練のたびに議論されている課題である。

名古屋モデルの意義は、単に取材効率を高めることにとどまらない。複数の放送局が同じ時間帯に類似した映像情報を提示することで、地域社会の中で共通の状況認識が形成されやすくなるという点に本質がある。災害直後の段階で住民が求めているのは、高度に整理された解説ではなく、いま何が起きているのかという一次情報である。どこで浸水が始まっているのか、どの地域に避難が必要なのか、どこに津波が接近しているのかといった情報は、住民が自らの行動を決定するための直接的な材料になる。複数の放送局が同じ時間帯に同様の映像情報を提示することで、地域社会の中で「いま起きている現実」が共有されるのである。

つまり、中京圏では、放送市場の構造と取材体制の制度設計によって、一次情報が同時に提示される環境が形成されている。行政とメディアの関係の密度によって情報到達を支えるのではなく、複数の放送局が同一地域を同時に観測し、その成果を共有することで、地域社会に共通の現実認識が生まれる。この仕組みを制度的に整理したものが、いわゆる名古屋モデルである。

こうした発想は、中京圏にとどまらず他地域にも広がり始めている。たとえば福岡では、NHKと民放各局が災害時に報道ヘリコプターの映像を共有する協定を結び、共同取材体制を整えている。限られた取材資源を地域社会の安全確保のために活用するという点で、その考え方は名古屋モデルと共通している。さらに近年では、名古屋モデルの枠組みにNHK名古屋放送局も加わり、民放4局とNHKによる合同訓練が行われている。民放による取り組みとして始まった制度が、公共放送を含む地域全体の情報基盤へと拡張されつつあるのである。

愛知・岐阜・三重の三県は、東日本大震災以降、震度5弱以上の地震を経験しておらず、全国的にも珍しい「地震無風地帯」とされる。しかし歴史を振り返れば、この地域は津波を伴う巨大地震にたびたび襲われてきた土地でもあり、南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくない時期に入っている。地震や津波に日常的に慣れていない人々に対して、正確で切迫感のある一次情報をどう届け、的確な避難行動へとつなげるか。その課題に対して、名古屋モデルはきわめて重要な意味を持っている。

災害時の情報は、単に早く伝わればよいわけではない。地域社会の中で同じ現実認識が形成されることによって、住民の行動判断が揃い、その結果として避難行動が促され、人命被害の軽減につながる。一次情報を複数の放送局が同時に提示するこの仕組みは、災害情報を社会に到達させるための重要な制度装置として機能している。名古屋モデルは、地域メディアの市場構造と取材体制が、社会の「共有された現実」をどのように作り出すのかを示す、象徴的な事例なのである。


(参考資料)民放online柴田正登志「民放報道の現場から③ 南海トラフ地震に備える『名古屋モデル』」20231027日)

[1] 東京財団 江野夏平 東日本大震災から15年―災害情報の到達度を決めるもの~被災地の取材経験から考える報道と制度~

  • 研究分野・主な関心領域
    • メディア論(映像表現論)
    • 放送法(危機管理)
    • 政策広報戦略
    • 社会実装プロセス

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