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【論考】在留資格「技術」とは何だったのか―2000年代の高度人材受け入れ政策と在留資格「技人国」の原型
May 26, 2026
1. 「21世紀のお雇い外国人」という構想
1990年代後半から2000年代[1]初頭、日本政府には強い焦りがあった。半導体・電機・自動車などの製造業で日本は世界的競争力を築いてきたが、インターネット・電子商取引・電子政府化の波においては後塵を拝していた。アメリカを中心とする電子商取引の拡大や、韓国をはじめとする電子政府化の進展を前に、情報通信分野での立ち遅れを強く意識するようになっていた。20世紀後半の製造業中心の国際競争では大きな成功を収めた日本は、21世紀のデジタル競争においては後れをとっていたのである。
この危機感のなかで日本政府が打ち出したのが、2000年の「IT基本戦略」と2001年の「e-Japan戦略」である。両戦略は、日本を「5年以内に世界最先端のIT国家」とすることを目標に掲げた。ここで重視されたのは、超高速ネットワークインフラの整備、電子商取引の促進、電子政府の実現、そして人材育成であった。情報通信白書でも、2000年以降の第一期は、世界最先端のIT国家を目指してICTインフラの整備を進めた時期として位置づけられている[2]。
明治期において近代国家建設に必要な技術や制度を外部から導入するために「お雇い外国人」が採用されたように、2000年代初頭においては、日本のIT革命への立ち遅れを挽回するため、「21世紀のお雇い外国人」として、外国人IT技術者の受け入れが期待された。そして、その制度的な入口となったのが、後述する在留資格「技術」である。しかしこの構想は、当初の想定どおりには展開しなかった。本稿の論点を先に整理すれば、2000年代初頭の外国人IT人材の受け入れ政策には、次のような「構想」と「現実」の齟齬があった。
図表1 外国人IT人材受け入れをめぐる「構想」と「現実」
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政策構想 |
現実 |
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問題認識 |
日本はIT革命・電子政府化に立ち遅れている |
立ち遅れの原因は人材不足だけでなく、組織・制度・慣行の問題でもあった |
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受け入れ対象 |
米国水準を上回る高度なIT技術者・研究者 |
未経験者、非理工系出身者を含むアジア出身のIT技術者が中心 |
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制度的入口 |
在留資格「技術」 |
在留資格「技術」はアジアから日本へのIT人材移動の回路として機能 |
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政策目的 |
外部人材によってICT国家化を加速する |
外国人材を受け入れてもICT国家化は進展しなかった |
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企業側の期待 |
世界水準の高度な技術・知識の導入 |
日本語能力、日本の商慣習への適応を要求した |
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受け入れの帰結 |
日本のIT産業の高度化・国際化 |
日本型IT産業に外国人技術者が組み込まれ、高度化も国際化も進展しなかった |
出所:筆者作成
以下では、まず在留資格「技術」がどのような政策構想のもとに位置づけられたのかを確認し、そのうえで、なぜ海外から人材を受け入れても社会の仕組みが変わらなかったのかを考える。
2. 制度的入口としての在留資格「技術」
在留資格「技術」は、2000年代に突然つくられた制度ではない。1989年の出入国管理及び難民認定法改正、1990年の施行によって、日本の在留資格制度は大きく再編され、専門的・技術的分野の外国人を受け入れるための在留資格が整備された。その一つが「技術」であった。理学、工学、その他の自然科学分野に属する技術または知識を要する業務に従事する外国人を対象とする在留資格であり、当初からIT技術者だけを想定したものではなかった。
在留資格「技術」の基本的な要件は、従事しようとする業務に必要な技術・知識に関する科目を専攻して大学を卒業していること、または10年以上の実務経験を有していることであった。しかし、後述するように、2000年前後には情報処理に関する一定の試験に合格し、または一定の資格を有する場合には、大学卒業や10年以上の実務経験を不要とする特例が設けられた。ここに、自然科学系の専門職を受け入れるための在留資格であった「技術」は、e-Japan戦略のもとで、外国人IT技術者受け入れの制度的入口として位置づけられていった。
e-Japan戦略のなかで、外国人IT人材の受け入れは重要な政策目標の一つとして示された。IT基本戦略では、2005年までに3万人程度の優秀な外国人人材を受け入れ、米国水準を上回る高度なIT技術者・研究者を確保することが掲げられた。そのための施策として、資格制度の国際標準化を推進し、IT技術者の在留資格要件など外国人受け入れ関連制度を早急に見直すことも明記された[3]。
この点は、日本の外国人労働者受け入れ政策の歴史を考えるうえで重要である。それまで日本政府は、外国人労働者の受け入れに対して慎重な姿勢を取り続けてきた。専門的・技術的分野の外国人については積極的に受け入れを進めるという方針は示されていたが、特定の産業分野について、目標年次と人数を明示し、さらに在留資格の要件緩和まで含めて受け入れを進めるという政策は、きわめて例外的であった。
この構想は、国内の在留資格制度だけで完結していたわけではない。日本政府は2000年前後、アジア各国とのIT分野での協力関係を強化し、日韓IT協力イニシアティブやインド・中国とのIT協力にも取り組んでいた[4]。その具体的な成果の一つが、IT資格試験の相互認証制度である。一定のIT資格を有する者には在留資格「技術」の上陸基準特例が認められ、学歴や実務経験の要件を満たさない場合でも、日本政府が認めた情報処理技術資格を持つことで在留資格取得の道が開かれた[5]。
こうして見ると、「技術」は単なる在留資格の一類型ではなかった。それは、IT国家戦略、外国人IT人材3万人構想、在留資格要件の緩和、アジアITスキル標準化、日韓・日印・日中のIT協力が交差する地点に置かれた、高度人材受け入れ政策の具体的な入口であった。「技術」ビザで来日した外国人は、2000年代以降アジア出身者に大きく偏っている。1990年代には北米出身者も一定数を占めていたが、2000年代に入るとアジアからの入国者が急増し、「技術」は形式上は国籍を問わない在留資格でありながら、実際にはアジアから日本へのIT人材移動の制度的回路として機能していた[6]。
3. なぜ仕組みは変わらなかったのか
では、こうした制度的な入口を整えたことで、日本のIT産業や行政はグローバルスタンダードへと転換していったのか。結論からいえば、そうはならなかった。外から人材を入れたが、社会の仕組みは変えなかった。これが、2000年代初頭の在留資格「技術」をめぐる最大の帰結である。この政策構想は、その後、当初想定されたような形では展開しなかった。二つの側面から、この構想がなぜ想定通りに展開しなかったのかを見ておきたい。
第一に、e-Japan戦略そのものが行政組織の変革に失敗したことが挙げられる。電子政府・電子自治体については、中央官庁主体の電子政府に1兆円近い予算が投入されながら、理念なしに多額の予算が使われたとの批判が出ていた。中央官庁では重複開発が生じ、地方自治体では予算・人材不足のために情報化が遅れ、いずれも利用者の視点から、なぜ、何を、どのように開発するのかという視点を欠いていたと指摘されている[7]。
そもそもの問題は、高度な技術を持つIT人材の数だけではなかったのだ。日本が抱えていた課題は、外部からIT人材を導入すれば解決するような単純な人手不足ではなく、行政組織や企業組織が情報技術をどのように使い、既存の業務やサービスをどのように変えるのかという、より構造的な問題であった。言い換えれば、日本は「世界最先端のIT国家」を目指しながら、ITを活用して行政や企業の仕組みそのものを変えることには十分に成功しなかったのである。
第二に、日本企業の雇用慣行が外国人IT技術者を既存構造へと取り込むに終わったことが挙げられる。IT資格試験相互認証制度は外国人IT人材の側には一定程度認知されたが、日本企業側の認知度・活用度は低かった。その背景には、スキルや資格ではなく、日本の社会や商慣習への適応力を採用時に重視する日本型雇用があったと考えられる[8]。
日本のIT産業では、発注側の仕様が曖昧なまま開発が始まり、上流工程を日本企業側が握り、下請け・孫請け構造のなかで「人月単価[9]」によって技術者を配置する慣行が強かった。そのなかでは、プロジェクトを設計段階から一括して受注するグローバル型のIT企業よりも、日本語ができ、日本の現場に常駐し、顧客企業の曖昧な要求や商慣習に適応できる人材を派遣する企業の方が入り込みやすかった。制度上は「高度IT人材」を呼び込むはずだったが、実際に増えたのは、グローバルに標準化された高付加価値型ITサービスを担う人材ではなく、日本の情報サービス産業の下請け構造や客先常駐型の働き方に適応する外国人技術者であった。つまり、「技術」は、IT国家建設のための外部人材導入装置として構想されながら、実際には既存の日本型IT産業に適応する外国人技術者を受け入れる資格として機能したのである。
ここに、2000年代初頭の外国人IT人材政策のねじれがある。政府は、ICT国家への立ち遅れを挽回するために外国人IT技術者を受け入れようとした。しかし実際には、その人材を通じて日本のIT産業や行政システムを変えるのではなく、外国人の側を日本の既存の産業構造、商慣習、雇用慣行、開発慣行に適応させる方向へと進んだのである。もちろん、このことは、2000年代に来日した外国人IT技術者たちが日本の情報通信産業において重要な役割を果たさなかったという意味ではない。しかし、海外から人材を受け入れたことで日本のIT産業や行政の仕組みが変わったかといえば、そうはならなかった。
4. 外部人材の導入から、既存構造への適応へ
もちろん、このことは2000年代に来日した外国人IT技術者が重要ではなかったという意味ではない。むしろ彼らは、日本の情報通信産業の一部を実際に支えた。とりわけ中国・韓国を中心とするアジア出身者が「技術」ビザによる新規入国者の中心となり、2000年代の日本のIT産業の現場に組み込まれていった。2000年代後半には「技術」ビザで就労する外国人の多くが情報通信産業でIT人材として働いていたことも確認されている[10]。
しかし、それは政府が当初構想したように、外部からの高度な専門人材によって日本のIT産業や行政の仕組みそのものが変わっていくという展開ではなかった。終身雇用を前提とした給与体系など、いわゆる日本型雇用制度や日本の商慣習に適応できる外国人IT技術者は日本の労働市場に残りやすかった。その一方で、それらを受け入れることが難しかった人材は、日本での就労継続を選ばず、離日していったのである。
以上のように、統合前の在留資格「技術」は、2000年代初頭の日本において外国人高度人材受け入れの具体的な制度的入口であった。そこでは、IT国家戦略、外国人IT人材3万人構想、在留資格要件の緩和、アジアIT協力が重なっていた。しかし、その実際の展開は、世界最先端のICT国家建設のための「21世紀のお雇い外国人」構想から、日本の既存のIT産業構造に適応する外国人技術者の受け入れへと傾いていった。
ここに、在留資格「技術」をめぐる政策構想と運用実態の大きなねじれがある。政府は制度の入口を整えたが、その人材を活かすはずの組織・産業・慣行の側は変わらなかった。高度人材を海外から呼び込んでも、受け入れる側の仕組みが変わらなければ、人材は既存の構造に取り込まれていく。これは、2000年代初頭に「技術」をめぐって生じたねじれであるが、その後の「技人国」時代にも引き継がれる問題構造でもある。
この在留資格「技術」は、2014年の入管法改正・2015年施行によって「人文知識・国際業務」と統合され、現在の「技術・人文知識・国際業務」(技人国)となった。次回は、この統合によって就労資格の射程がどのように広がり、何が変わり、何が変わらなかったのかを検討する。
[1] 本稿において「2000年代」とは、「2000年からの10年間」を指している。
[2] 総務省令和3年版『情報通信白書』序章「我が国におけるデジタル化の歩み」pp2-26.
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/pdf/n0000000.pdf
[3] 松下奈美子(2021)「東アジアにおける高度人材の国際労働移動の誘因分析─1980 年代から2000 年代の韓国人IT 人材の日本への移動を中心に─」情報通信学会誌、39巻2号、pp59-70.
[4] 外務省HP「日韓共同宣言-21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ-」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page1_001262.html
外務省HP「日韓IT協力イニシアティブ」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/it/korea.html
[5] 独立行政法人情報処理推進機構HP「情報処理技術者試験の海外との相互認証について」
https://www.ipa.go.jp/shiken/asia/mutual-recognition/about.html
[6] 松下奈美子(2022)「アジアITスキル標準化イニシアティブとIT人材の移動に関する考察―IT資格相互認証制度と日本型雇用システム―」情報通信学会誌、40巻3号、pp13-24.
[7] 日経コンピュータ(2021)『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか-消えた年金からコロナ対策まで-』日経BP社
[8] 松下奈美子(2022)同上
[9] システム開発などで技術者1人が1か月従事する業務量(1人月)に対する単価のこと。
[10] 松下奈美子(2022)同上