コロナ・ショック下の金融と経済(第4回) ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(上)歴史的考察

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コロナ・ショック下の金融と経済(第4回) ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(上)歴史的考察

コロナ・ショックに伴う世界経済の急激な落込みは4~6月を底に最悪期を脱したとみられる。しかし、日本を含む多くの国での感染再拡大を背景に、景気のV字回復への期待も潰えてしまった。暫くはウィズ・コロナの時代が続くと覚悟する必要があるだろう。それでも、ポスト・コロナの時代を今から考えておくのは決して無意味ではない。経済社会全般では、デジタル化の進展や「新しい生活様式」の定着、ひいては都市への人口集中の得失などが重要なテーマになるとみられるが、ここで筆者が考えてみたいのはポスト・コロナ時代の経済政策レジームについてである。まず今回の本稿(上)では、過去1世紀あまりの世界の経済政策の枠組みを振り返りつつ、コロナ後に世界が直面するであろう二つの問いを明らかにしたい。続く本稿(下)では、これらの問いへの回答を通じてポスト・コロナ時代の経済政策レジームを考えることとする。

第一次グローバル化の終焉から福祉国家へ

意外かも知れないが、20世紀初頭と21世紀初頭の経済政策レジームはかなり似通ったものだった。前世紀の国際通貨制度は金本位制(基軸通貨は英ポンド)で、今世紀の変動相場制(基軸通貨は米ドル)と大きく異なり、関税の引き下げも決して十分ではなかったが、貿易は急拡大し、活発な国際資本移動が促された。マクロ経済の安定化(とくに財政政策の活用)が政府の責任とされることはなく、軍備を別にすると小さな政府、低い税率が望ましいと考えられていた[1]。人々の経済格差は大きかったが、積極的な所得の平等化が図られた様子もない。これが第一次グローバル化の時代であった。

この第一次グローバル化は、二つの大戦と大恐慌を機に終焉を迎えた。第一次大戦中に停止された国際金本位制は、完全な形で再建されることなく1930年代には管理通貨制に移行した(日本の金解禁は、結果的に最悪のタイミングになってしまった)。大恐慌後の各国は関税引上げ競争に陥り、経済のブロック化が進んだが、これが第二次世界大戦への道を拓く一因となったことは周知の通りである。大恐慌にやや遅れる形でケインズ主義的なマクロ経済政策が開始される(日本の高橋財政は「一般理論」に先立つケインズ政策だった)とともに、第二次世界大戦下では大規模な産業統制・価格統制が行われた。このように、両大戦期に一国経済における国家の役割は飛躍的に高まったのである。

第二次世界大戦が終わると、経済統制が解除される一方、米国主導でブレトンウッズ体制(IMF(国際通貨基金)・GATT(関税及び貿易に関する一般協定)体制)が創建され、ルールに基づいた国際経済秩序の再建が進められたが、経済社会における国家の役割が大きく低下することはなかった。ケインズ主義的なマクロ安定化政策が定着していくのは概ね1950年代以降であり、同時に累進課税による所得分配の平等化、社会保障の充実などが追求された。福祉国家、混合経済の時代である[2]。この頃も、自由化・国際化が謳われてはいたが、今思えばブレトンウッズ体制下の国際化はコントロールされたものだった。

かのピケティが指摘したように、この時期は過去140年余りの資本主義の歴史の中で例外的に所得分配の平等化が進んだ時期であった[3]。その背景について、ピケティ自身は大戦に伴う資本の破壊の影響を強調するが、恐らくは①第二次大戦という巨大な総力戦に莫大な数の一般国民を動員した結果、彼らの要求に報いる必要があったこと、②ソ連を中心とする社会主義圏が厳然と存在する中で、社会主義革命を防ぐには労働分配率を高く保つ必要があったこと、などが影響したと考えられる。そして、この時期の世界における最大の勝者は、米国の核の傘に守られながら、先進国の中で最も高い経済成長率を実現しただけでなく、(それが多分に幻想であったとしても)「一億総中流」まで達成したわが日本であった。

1980年の転換からワシントン・コンセンサスへ

しかし、1980年頃を境に流れは変わる。まず1960年代後半には、多くの欧米諸国が経済成長率の減速とインフレ率の高まりを経験した(ヴェトナム戦争の影響もあって経済の悪化が深刻化した米国は、1971年に金とドルの連動を絶った=変動為替制度の端緒)。これをケインズ的なマクロ安定化政策の失敗として糾弾したのが、総帥ミルトン・フリードマンに率いられたマネタリスト達であった。その後、1970年代の「合理的期待革命」を経て、世界のマクロ経済学ではケインズ的マクロ政策の限界を強調する考え方が主流になっていく[4]。金融市場の効率性をほぼ万能論のような形で主張する効率的市場仮説(efficient market hypothesis)が拡がっていったのも、この頃のことである[5]

そして1979年にマーガレット・サッチャーが英国の首相に就き、1981年にロナルド・レーガン米大統領が登場すると、「小さな政府」を目指す動きが始まった。彼らの考えを最もよく表しているのは、レーガン大統領が最初の就任式で述べた「現在の危機において、政府は解決をもたらすものではなく、むしろ政府こそが問題になっている」という言葉だろう。こうして、規制緩和や国営企業の民営化が進められていった。市場が主役となり、国家は退場する時代がやってきたのだ[6]。日本でも、1980年代の中曽根政権下で国鉄や電電公社の民営化が実行されたことは周知の通りである。

さらに1980年代末に東西冷戦が終焉を迎えると、旧社会主義国が一斉に市場経済に参入した結果、貿易と国際資本移動が一気に加速し、本格的な経済のグローバル化が進んだ。この時の大きな特徴は、1970年代までの国際化が貿易も資本移動も先進国同士の取引が中心だったのに対し、資本が希少な新興国に大量の資本が流入する一方、安価な労働力を豊富に有する新興国が労働集約財を輸出するという形で、南北の貿易と資本移動が活発になった点にある[7]。貿易を扱う国際機関も、モノの貿易に集中していたGATTから、サービス貿易や知的所有権の問題も広く扱うWTO(世界貿易機関)へと進化した。また、資本移動の活発化により、企業や富裕層への課税が困難化し、経済格差の拡大につながった。政府による市場への介入を最小化するハイパー資本主義と、国境を越えたヒト・モノ・カネの移動を最大化するハイパーグローバル化の時代の到来である。

この時代は、中国を先頭とした新興国の経済成長などの成果を挙げたが、その一方で自由放任市場が金融バブルの暴走を招き、経済の不安定化をもたらすことも少なくなかった。実際、1997年のアジア通貨危機のような新興市場の危機は何度も繰り返されたが、米国政府やIMF、世界銀行などはその原因を市場化の不徹底に求め、新興国には貿易・投資の自由化、公的部門の民営化、政府介入の極小化(危機時には金融引き締めと緊縮財政)を要求し続けた。こうした考え方は「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるが、市場メカニズムに限りない信頼を置くこの時代の経済政策レジームを集約的に表現するものであった。

リーマン・ショック後の不満の高まり

従来の新興市場の危機と違って、グローバル金融資本の中心地で起こった2007~08年の危機(global financial crises、日本で言うリーマン・ショック)は、市場が自動的に最適な経済状態に導くという新古典派経済学の幻想を完膚なきまでに打ち砕いた(筈であった)。だが、その後の10年余り、結局はなかなか解決策が見つからなかったためであろう、経済政策のレジームは(楽観的なトーンは薄れたとは言え)殆ど変わらなかったというのが正直な印象である。そして、そのことが世界の人々の不満を高める結果になったと筆者は解釈している。

人々の不満が高まった理由は、標準的な経済学の教科書に沿って考えれば直ぐ分かる。入門レベルの経済学でも、市場だけでは解決できず政府の介入が必要となる問題が3つ書かれている筈である。まず第1はマクロ経済の安定であり、景気や物価の安定には財政金融政策を適切に用いることが必要だと考えられている。第2は「市場の失敗」への対応であり、筆者が学生だった1970年代の日本では公害問題への対応が最重要であった(実際にその後、東京の水も空も見違える程きれいになった)。第3は所得分配の問題であり、経済格差の是正には累進税制などによる所得の再分配が必要だとされている。問題は、このいずれに関しても政府の対応が不十分に止まっている(と理解された)点にある。

まずマクロ政策では、リーマン・ショック直後はG20協調による大規模な財政出動が行われ、great recessionがgreat depressionとなるのを防ぐことに成功した(その際、中国の4兆元対策の貢献は絶大であり、中国の国際的地位は大きく高まった)。しかし、危機が落ち着くと主要国の政策は金融政策一辺倒に戻り、非伝統的金融政策の名の下に実質的には通貨切り下げ競争が展開されることとなった。そして、その後の景気回復の鈍さに対する不満は、金融政策の限界を強調する長期停滞(secular stagnation)論の拡がり[8]、さらには「財政赤字には何の問題もない」とする異端派(MMT : modern monetary theory)の登場にまでつながったのである。

一方、「市場の失敗」の問題に関しては、ここ10年余りで地球温暖化問題への関心が世界的に高まったことは周知の通りである(昨年の国連地球環境サミットでグレタ・トゥンベリさんが同問題に真剣に取り組まない世界のリーダー達に向かってHow dare you !という言葉を投げ掛けたことは記憶に新しい)。また、リーマン・ショック後も経済格差の拡大は止まることがなく、それが前掲のピケティ本の世界的な大流行にもつながった。金融危機の原因を作った投資銀行などが公的資金で救済を受けると、多額の教育ローンを抱えつつdecent jobに就けない米国の若者達が「私たちは99%だ!」と主張してウォール街占拠運動を展開したのも、格差拡大への不満の高まりを表す事件だった。2016年の英国におけるBrexit国民投票、トランプ米大統領の当選を始め、各国でポピュリスト政治勢力が台頭したことにも、現在の政策レジームに対する人々の不満が大きく影響したと受け止められている。

強力な国家の蘇生とポスト・コロナへの二つの問い

このように、人々の間に政府が十分な役割を果たしていないという不満が高まっていた最中に、コロナ危機が世界を襲った。すると、感染抑止のため国際間の人の流れはほぼ完全にストップされ(本来であれば、今頃の東京の街はオリンピック観戦に訪れた外国人で溢れていた筈だった)、貿易も大幅に縮小した。国家は、移動制限や都市封鎖といった強硬措置を導入し、経済社会を強力に統制した(法制度上強制力に乏しい日本と比べて、他国の統制は遥かに厳しいものだった)。経済の落込みに対しては、過去に例をみない規模での財政出動が講じられ、金融政策はあくまでその補助と位置付けられている[9]。まるで大恐慌と戦争の時代の国家が甦ってきたかのようだ。

もちろん、これらは非常時対応だから、コロナ危機が一段落すれば、こうした非常措置は撤回され、ヒト・モノ・カネの移動は徐々に回復していくだろう(今、日本を含む多くの国が悩んでいるのは、感染を抑制しつつ経済を正常化するスピードの問題だ)。いずれは財政健全化の試みも再開されるに違いない[10]。だが、ポスト・コロナ時代がハイパー資本主義、ハイパーグローバル化への逆戻りということは考えられない。コロナとの闘いで人々は国家の役割の重要性を再認識したし、限界なきグローバル化の欠陥(例えば医療資材の過度の中国依存の危険性)も明らかになったからだ。そう考えると、ポスト・コロナの世界では、①国家と市場の役割分担をどうするか、②グローバル化の限界をどう設定するか、という二つの問いが極めて重要になるだろう。これらの問いにどう答えるかが、ポスト・コロナ時代の経済政策レジームを構想する鍵となる筈である。



[1] これに対し、政府が積極的な産業育成を担い、時代に先駆けた社会保障制度の導入を試みたビスマルク治下のドイツが重要な例外であった。殖産興業を目指した明治時代の日本も、後発資本主義として同様だったと言える。

[2] この時代の経済学の主流派が、ケインズ主義のマクロ経済学を基調としつつ、ミクロ的には市場の活用をも重視した新古典派総合(neoclassical synthesis)の経済学であり、サムエルソンの教科書『経済学』とともに、世界に広く普及した。

[3] トマ・ピケティ『21世紀の資本』、(2014年、みすず書房)。

[4] 当時の合理的期待派の代表的貢献の多くは、ロバート・ルーカスらの編集になる2巻本、Robert Lucas and Thomas Sargent (eds), Rational Expectations and Econometric Practice, 1981, University of Minnesota Pressに収められている。

[5] この考えに基づいて、後述のワシントン・コンセンサスなどは資本移動の自由化を求めてきたが、実は実証的根拠は十分ではなかった。後年、行動経済学者は自派の影響力拡大のため、最も効率的だと考えられてきた金融市場に狙いを定めて大量のアノマリーを発見した。現在の行動経済学の興隆を考えると、これは大変よい作戦だったと言えよう。この話は、ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者であるリチャード・セイラ-の自伝『行動経済学の逆襲』、(2016年、早川書房)に述べられている。

[6] ダニエル・ヤーギン、ジョセフ・スタニスロー『市場対国家(上・下)』(2001年、日経ビジネス人文庫)は、この国家から市場への主役交代劇を印象的に描いている。ただし、同書はこれを1回限りの出来事と捉えているが、筆者は交代劇は何度も繰り返されると理解している。

[7] そういう意味で1970年代までの国際貿易は、要素賦存量の違いに基づくヘクシャ-・オリーン理論では説明しにくいものであった。この難点の克服を目指したのが、収穫逓増を組み込んだクルーグマンらの「新貿易理論」(例えば、Paul Krugman,“Scale Economies, Product Differentiation and the Pattern of Trade”, American Economic Review 1980)だったが、皮肉なことにその直後からヘクシャー・オリーン型の国際貿易が復活したのである。要素価格均等化定理に基づいて先進国の賃金に低下圧力が強まったのもこの時期以降のことである。

[8] 長期停滞論は、サマーズ元米国財務長官が2013年秋のIMFコンファレンスで最初に主張した。その内容は,Lawrence Summers,“U.S. Economic Prospects : Secular Stagnation, Hysteresis, and the Zero Lower Bound”, Business Economics 2014にまとめられている。Coen Teulings and Richard Baldwin(eds),Secular Stagnation : Facts, Causes and Cures, 2014 CEPR Pressをも参照。

[9] コロナ・ショックに対する各国の財政金融政策の対応に関しては、本シリーズ第2回で「コロナ禍で変わる中央銀行の役割」を参照。

[10] 筆者自身を含め、消費増税の必要性を強調していた経済学者、エコノミストがコロナ対策での国債大量発行を容認していることを疑問視する見方があるようだが、これは全く矛盾ではない。基本にあるのは、税率の変動が小さい方が経済厚生上の損失が少ないというtax smoothing(例えばRobert Barro,“On the Determination of Public Debt”, Journal of Political Economy 1979)の考え方である。この考え方に従えば、社会保障費のような恒常的な支出増加に対しては速やかに増税する(あるいは社会保障費の増加に先立って増税を行う)のが望ましい一方、コロナ対策のような一時的な支出増は国債で賄い、長期間を掛けて増税で償還していくのが望ましいということになる。

早川 英男/Hideo Hayakawa

早川 英男

  • 上席研究員

研究分野・主な関心領域

  • 日本経済
  • 経済政策
  • 金融政策

研究ユニット

経済政策・経済思想ユニット