R-2022-128
・フォワード・ガイダンスの発案者 ・量的緩和、YCCには懐疑的 ・政策修正は極めて慎重に進める |
政府は、黒田東彦日銀総裁の後任に経済学者で元日銀政策委員の植田和男氏を指名した。植田氏の名前は事前に殆ど予想されていなかったため、市場は当初これをサプライズと受け止めたが、2~3日もすると、氷見野良三(前金融庁長官)、内田真一(日銀理事)両副総裁候補と併せて、専門家の間では「よく考えられた、バランスの取れた人事」との評価が拡がっている。国会承認を経て遠からず日銀の新体制が発足する見込みであるが、以下では、植田新総裁候補の下でどのような金融政策が行なわれるのかについて、植田氏の思考法(と国会での所信発言)を踏まえつつ考えてみることとしたい。
フォワード・ガイダンスの発案者
その際、最大のヒントとなるのは植田氏こそがフォワード・ガイダンスの発案者だという事実である。日銀は、今から20年以上も前の99年2月に、当時としては世界初のゼロ金利政策を導入した。次いで同4月には「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで」ゼロ金利政策を継続するというコミットメントを示したが、このように将来の金融政策について約束をすることは、当時「時間軸政策」と呼ばれた。「時間軸政策」の導入に当たっては、当時の日銀審議委員であった植田氏が主導的な役割を果したことがよく知られている[1]。この手法が現在ではフォワード・ガイダンスという名前で、世界の標準的な金融政策となっていることは周知の通りだ。例えば、現在も米国連邦準備理事会(FRB)は利上げのペースについてフォワード・ガイダンスを行なっているが、この手法が最も重要になるのは、政策金利がゼロの下限に達した時である[2]。
植田氏がどのようにこのフォワード・ガイダンスを発案するに至ったかについては、氏の著書『ゼロ金利との闘い』(日本経済新聞社、2005年)に詳しく書かれている通り、98年の有名なクルーグマン論文[3]の読み直しによるものだった。クルーグマン論文では、今日(t=0)はゼロ金利に直面しているため、マネーの量を増やしても、何の効果もない。しかし、明日(t=1)はぜロ金利を脱しているため、ここでマネーの量を増やせば明日の物価は上昇する。つまり、明日のマネーの量が増えると予想されれば、今日の期待インフレ率は上昇し、実質金利は低下して、今日の経済活動に影響を与えることになる。
当時は、これを量的緩和政策の効果と捉える向きが多かったが、植田氏はそうは考えなかった。経済に影響を与えるのは、今日のマネーの量ではなく、明日のマネーの量、より正確には中央銀行が明日のマネーの量を増やすと約束することによってである。ならば「同じ政策を金利の言葉で表現すると」、明日の金利をより低くすると約束すれば良いということになる。これこそがフォワード・ガイダンスの出発点に他ならない。
さて、植田氏の金融政策と言うと、翌00年8月のゼロ金利解除時に反対票を投じたことが注目されることが多い。この事実を持って、植田氏の金融政策への姿勢は「ハト派」だとの指摘も聞かれる。しかし、この時の植田氏の姿勢は「ハト派」か「タカ派」かの文脈ではなく、フォワード・ガイダンスへの思い入れの深さを示すものと解釈すべきだと思う。今ではゼロ金利は世界中でごく当たり前になってしまったが、20年以上前には非常手段色の濃い政策と考えられていた。このため、当時の速水優総裁らがゼロ金利解除を提案した背後には、「できるだけ早くゼロ金利を終わらせたい」との思いがあったに違いない。しかし、フォワード・ガイダンスの発案者である植田氏の眼には、当時の経済状況は「デフレ懸念が払拭される」ものではないと映っていたのだろう。一度約束を破ると、将来もフォワード・ガイダンスは信用されなくなると懸念して反対票を投じたのだと考えられる[4]。
量的緩和、YCCには懐疑的
しかし、この植田氏のフォワード・ガイダンス重視の姿勢は、裏側から考えると、量的緩和政策の効果への懐疑につながる。実際、上記のクルーグマン論文も「ゼロ金利時にマネーの量を増やしても効果はない」という前提から出発していたし、そもそもゼロ金利でも量が効くなら、ゼロ金利制約自体大きな問題ではないからだ(「ゼロ金利との闘い」は重要ではなくなる)。
この点、筆者の立場を述べておくと、拙著[5]でも強調したように、経済理論的に量的緩和に効果はないとしても、現実の金融市場にはケインズの美人投票的な行動がみられる以上、実際に効果を持つ可能性がある。したがって、異次元緩和には「実験としての価値がある」というものだった。これは、「量的緩和は理論的には効果がないが、実際には効くのだ」というバーナンキ元FRB議長の発言とも一致する。植田氏の過去の発言をよく読むと、量的緩和が効果を持つ可能性を完全には否定していないが、理論に支えられない「効果」には持続性、信頼性が乏しいと考えていたのではないか[6]。異次元緩和10年の結果を踏まえると、植田氏の慧眼を認めざるを得ないように思う。
イールドカーブ・コントロール(YCC)にも、当然懐疑的だったとみられる。まず、長期金利についてはフォワード・ガイダンスを行なうことはできない。「次回の金融政策決定会合で長期金利を引上げる」などと言おうものなら、その前に直ちに長期債が売り浴びせられてしまうからだ。昨年12月に日銀が長期金利の変動幅を0.25%から0.5%に拡大した際には、市場からサプライズを批判する声が多く聞かれたが、このサプライズは止むを得なかったと言わざるを得ない[7]。
だが、それ以上に植田氏には金融市場の機能を殺すことへの懸念が強いのではないか。フォワード・ガイダンスに基づいて政策を遂行する場合、重要なのは市場が中央銀行の約束をどの程度信じているかを確かめることである。その場合、最も重要な情報源は、言うまでもなくイールドカーブの形状だ。だから、植田氏の眼にはYCCはこの最重要の情報源を手放すものに見えるだろう。この点、植田氏は前記『ゼロ金利との闘い』でも、第6、7章の2章を割いて金融市場に映った金融政策の効果を分析している。金融市場の機能への植田氏の関心の高さを示すものと言えよう。
政策修正は極めて慎重に進める
以上を踏まえると、植田新総裁候補が目指す金融政策の方向は、超低金利(ゼロないし小幅のマイナス)と強力フォワード・ガイダンスの組み合わせという正統的なものだとみられる。2%物価の定着を確認して金融緩和政策を転換するまでには、まだ暫く時間が掛かると思われるが、それ以前にもYCCなど副作用の大きな政策に関しては、その功罪を確認した上で修正を行なっていく可能性が十分にあるだろう。
だが、同時に意識すべきは、00年のデフレ懸念払拭の判断がそうだったように、植田氏はもともと極めて慎重な性格だという点である。景気や物価の先行きを考えても、ウクライナ戦争の展開はもとより、欧米の景気減速、中国情勢など不確実性は極めて高い。最近でこそ米国の金融引き締めは長引くとの見方が増えているが、FRBが金融緩和を急ぐような事態となれば、為替レートが急速に円高に向かう可能性もある。00年のゼロ金利解除後、日本は急速な景気の悪化に見舞われた。これが日本の金融政策の変更ではなく、米国ITバブルの崩壊の結果であることは明らかだったが、それでも日銀の政策変更が強く批判されたことを植田氏は鮮明に記憶しているだろう。そのことを踏まえると、植田氏が性急な政策修正を目指すとは考えにくい。
また、量的緩和の効果を本音では信じていなかったにもかかわらず、量的緩和策に何度も賛成投票をしているように、政策委員間のコンセンサスを重視する人物でもある。一時と違って、政策委員会内のリフレ派委員の数はかなり減ったものの、政策修正に踏み切る時にはできるだけ多数の賛成を得たいと考えるだろう。こう考えると、植田新体制での金融政策の修正は極めて慎重に進められる可能性が高い。
[1] 2月24日の衆議院議院運営委員会での所信発言でも、植田氏はこの「時間軸政策」の説明にかなりの時間を割いている。
[2] これをゼロ金利制約(Zero Lower Bound:ZLB)と呼ぶ。近年では小幅のマイナス金利が可能となったことが実効下限制約(Effective Lower Bound:ELB)と呼ばれることが増えているが、本稿では引き続きゼロ政策という表現を使うこととする。
[3] Paul Krugman,“It’s Baaack : Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap”, Brookings Paper on Economic Activity, 1998
[4] 同様に、昨年7月の日本経済新聞への寄稿(22年7月6日の経済教室)でも、植田氏は「拙速な金融引き締めは避けよ」と強調しているが、これも当時は2%超のインフレは一時的とみられていたことを考えると当然である。その後、物価情勢はかなり変化してきている(日銀の23年度消費者物価見通し+1.6%は、4月の「展望レポート」で上方修正を迫られる可能性が高い)が、今のところ植田氏は慎重姿勢を維持している。
[5] 『金融政策の「誤解」』、慶應義塾大学出版会、2016年。なお、下記のバーナンキ元議長の発言は同書の第1章を参照。
[6] 2月24日の国会審査でも、前原誠司氏の質問に答えて、植田氏は「私の任務は魔法のような特別な金融緩和を考えて実行することではない」と答えている。サプライズを好み、実験的な政策を繰り返した黒田総裁との違いを鮮明にする発言と言えよう。
[7] ここでYCCに対する筆者自身の評価についても述べておこう。16年9月にYCCが導入された際、筆者はこれを賢明な策だと評価した。異次元緩和、とりわけ14年10月の所謂「黒田バズーカⅡ」で日銀は長期国債の保有額を年間80兆円増やす約束をしていたが、これは到底長期間維持できるものではなかった。政策手段を量から金利に変えることで、強力な金融緩和を維持しつつ、国債の購入量を減らすことが可能になった(実際、国債の購入量はかなり減少し、ステルス・テーパリングなどと呼ばれた)。既に実行してしまった誤った政策を否定するだけでなく、工夫を凝らすことは、学者と政策実務家との違いである。
もちろん海外、とくに米国金利が急上昇する場合、過度の円安を招くといった副作用は承知していた。このため、FRBが急ピッチの利上げを行なうと予想された昨年4月の本欄米国利上げと日本の金融政策-YCC弾力化の可能性- | 研究プログラム | 東京財団政策研究所 (tkfd.or.jp)では、YCC弾力化の必要性を訴えた。
※本Reviewの英訳版はこちら