【論考】インフレ下での財政健全化の目標はどうあるべきか | 研究プログラム | 東京財団

東京財団

詳細検索

東京財団

【論考】インフレ下での財政健全化の目標はどうあるべきか
画像提供:Getty Images
  • Review

【論考】インフレ下での財政健全化の目標はどうあるべきか

December 10, 2025

「税・社会保障研究 レビュー・論考・コラム」

令和710月より、「税」や「社会保障」をテーマとしたコラム(Review)を、以下の執筆者が交代で執筆してまいります。掲載されたコラムは「まとめページ」からご覧いただけます。小黒一正(東京財団上席フェロー/法政大学経済学部教授)、佐藤主光(東京財団上席フェロー/一橋大学国際・公共政策研究部教授)、土居丈朗(東京財団上席フェロー/慶應義塾大学経済学部教授)、森信茂樹(東京財団シニア政策オフィサー)」

2025年秋の臨時国会にて、高市早苗首相は、国と地方を合わせたプライマリー収支(PB)の単年度の黒字化目標を取り下げる旨の表明を行った。現政権は、「責任ある積極財政」という方針の下、「強い経済」を構築する観点から、将来の成長力底上げや経済安全保障上も重要になる産業(例:人工知能や半導体、創薬、造船、エネルギー)に積極的に予算をつぎ込む方針を掲げている。これらの領域は国際競争が熾烈で、どうやら、単年度のPB黒字化目標の取り下げは、こうした分野に戦略的に財政を投入する際のボトルネックとなりかねないという判断のようだ。

首相はさらに、「単年度ではなく数年単位で財政のバランスを確認する方向へ見直す」考えを示し、「新たな目標は20261月に指示を出す」とも明言している。この関係で、20261月に公表される内閣府の中長期試算(中長期の経済財政に関する試算)や、2026年夏に策定される骨太の方針で、新たな財政目標を具体化する予定との報道もある。

こうした動きを受けて、ネット上や政策関係者の間では、財政健全化の目標体系をどう再構築すべきかについて議論が本格化している。その際、責任ある積極財政を掲げる高市政権では、債務残高(対GDP)の安定的な引き下げを財政運営の基軸に置いており、この目標を掲げているなら、国と地方の単年度のPB黒字化目標は不要なのではないか、という点も論点として浮上している。

だが、成長促進策を優先する一方で財政規律の指標を明確にしなければ、財政運営の透明性がかえって低下しかねないという懸念もある。目標体系を変更するのであれば、単にPB黒字化目標を取り下げるだけでは不十分であり、財政健全化をどの指標で測るのかという根本的課題に明確な基準を示すことが求められる。

では、筆者の意見はどうか。以下の3つの理由から、フローとストックの2つの指標が必要であり、1)フローの指標では、現在の状況では地方分を含めず、国単独の財政赤字(対GDP)をどの程度まで縮小するか、2)また、ストックの指標では、国の債務残高(対GDP)をどこまで低下させるか、という目標へ転換すべきと考える。この転換は、現政権の財政方針の是非とは切り離し、財政健全化の指標として何が妥当かという観点から論じる必要がある。

まず第1に、本来、国の財政の持続可能性を評価する場合、国と地方を合わせた指標を見るのではなく、国のみの指標で評価するべきである。地方財政は地方交付税による調整などが行われ、地方分の収支は国の政策に大きく依存している側面もある。したがって、地方の黒字が国の赤字を補っているわけではないにもかかわらず、国と地方を合算すると財政の姿が過度に楽観的に見える構造がある。

例えば、内閣府が20257月に公表した中長期試算では、低成長シナリオを想定する過去投影ケースで、2034年度の国のPB0.9%の赤字だが、地方のPB1.1%の黒字であるため、国と地方を合せたPB0.2%の黒字になっている。これを指して「過去投影ケースでも、国と地方を合せたPBは黒字化する」という議論が見られるが、国のみのPBは黒字化できておらず、国の財政リスクの大きさを正しく反映していない。財政リスクの中心が国に集中している以上、地方財政を合算することは政策判断を誤らせる可能性が高い。すなわち、財政状況は国単独で評価すべきであり、国・地方合算PBは財政の実像を歪めてしまい、国の財政の持続可能性を適切に評価できない。

 

<過去投影ケース>

 

2025年度

2030年度

2034年度

消費者物価上昇率

2.4%

1.0%

1.0%

名目GDP成長率

3.3%

0.9%

0.7%

長期金利

1.5%

1.7%

1.6%

国のPB(対GDP

1.8

0.8

0.9

国の財政収支(対GDP

2.6

2.2

2.8

 

<成長移行ケース>

 

2025年度

2030年度

2034年度

消費者物価上昇率

2.4%

2.0%

2.0%

名目GDP成長率

3.3%

3.0%

2.8%

長期金利

1.5%

2.5%

3.1%

国のPB(対GDP

1.8

0.3

0.0

国の財政収支(対GDP

2.6

1.9

2.5

(出所)内閣府(2025)「中長期の経済財政に関する試算」(202587日版)から筆者作成

 

2に、フローの指標であるPBは、国債の利払い費が含まれず、実務上「緩い指標」である。内閣府が20258月に公表した中長期試算では、過去投影ケースでも、2034年度に、国のPB赤字は0.9%になる。2034年度の消費者物価上昇率が2%で、3%弱の成長を見込む、成長移行ケースでは、国のPBは概ね均衡するという予測になっている。

他方、「財政赤字=PB赤字+国債費の利払い費」であり、内閣府の中長期試算でも、過去投影ケース・成長移行ケースのいずれでも、2025年度における国の財政赤字(対GDP)は2.6%の赤字と予測されている。この指標には国債の利払い費も含めて財政の実像が反映されるため、PBよりも、財政規律の維持という観点ではむしろ厳格なものになる。

なお、日本経済がインフレ局面に転換し、長期金利も上昇局面にある現在では、国債の利払い費の増加が財政に与える影響は無視できず、PBのみに依拠した評価はリスクを過小評価することになり、財政規律を担保する指標として十分ではない。

3に、世界の主要国では、PBではなく、フロー目標の財政赤字(対GDP)や、ストック目標の債務残高(対GDP)という2つを財政健全化の主要指標として用いるのが一般的である。

財政赤字(対GDP)やPBはフローの指標だが、それだけで財政規律を維持するのは難しい。例えば、内閣府の中長期試算では、成長移行ケースにおいて国のPBが概ね均衡するとされているが、財政収支を含め、そこでは補正予算が一切含まれていない。日本では、自然災害対応や物価・景気動向への対処などのため、補正予算は当初予算と並ぶ重要な政策手段であり、補正予算を一度編成すれば国のPBや財政収支は容易に悪化に転じるケースが多い。この点で重要なのは、PBや財政収支といったフローの目標が、補正予算を含まないとき、政治的裁量で大きく変動し得るため、財政規律の指標として必ずしも十分に厳格ではないという事実である。

したがって、財政規律を確実に維持したいのであれば、フロー目標の財政赤字(対GDP)やPB黒字化のみでなく、ストック指標である国の債務残高(対GDP)の縮減目標も中心に据える方が、規律としてははるかに強固となる。この2指標を併用することで、短期・中期・長期の財政リスクを総合的に管理でき、政策運営の透明性も高まる。

以上の3点から、日本が採用すべき財政健全化の目標は明確である。まず、地方を含めず、国単独の財政赤字(対GDP)をどこまで縮小させるか、また債務残高(対GDP)をどこまで低下させるかを財政目標の中心に据えるべきである。

成長政策の是非とは別に、財政規律を維持しなければ国債市場の信認を失い、長期金利の上昇など財政運営に重大な影響が及ぶ。積極財政を進めつつ財政健全化を求めるのであれば、より厳格で実質的な指標に基づく枠組みへ転換する必要がある。

その答えこそが、国単独の財政赤字(対GDP)や債務残高(対GDP)を新たな財政健全化の中心指標とする枠組みへの移行である。財政規律の維持に適した指標であり、積極財政と健全化を両立させるための最適なアプローチとなろう。

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究者のコンテンツ

0%

PROJECT-RELATED CONTENT

この研究者が関わるプロジェクトのコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム