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【特集】2026年の課題と展望―インフレ下での医療財政に関する現状と課題
January 8, 2026
2025年は日本初の女性首相が誕生し、日本政治史の大きな転換点を迎えました。2026年の日本はどのような課題と向き合っていかなければならないのでしょうか。東京財団で昨年10月より新しい研究プロジェクトを開始した上席フェローが、各専門分野から「2026年の課題と展望」を論じます。
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この記事のポイント |
日本経済は長かったデフレ環境を脱却し、もはやインフレ経済に転換したといっても過言ではない。実際、政府が公表したデータ(2025年10月分までの消費者物価指数)を精査すると、CPI総合(消費者物価指数の総合)やコアCPI(総合から生鮮食品を除く)の前年同月比の伸び率は43か月連続で2%を超えている。
このような状況のなか、最近では物価高対策や、財政との関係では長期金利の変動が話題となっているが、デフレからインフレ経済への転換は、医療財政にも大きな変化を及ぼし始めている。この変化は、以下の図表でも読み取れよう。
デフレ下および新型コロナウイルスの感染拡大の期間では、高齢化の進展や危機対応により、医療給付費(対GDP)は増加傾向にあった。実際、2000年度で4.95%であった医療費(対GDP)は、コロナ直前の2019年度では7.31%まで膨らみ、コロナが収束し始めた2022年度では8.6%まで増加した。
しかしながら、コロナの収束や、インフレ経済への転換に伴い、2023年度の医療給付費(対GDP)は7.66%まで低下するとともに、2024年度や2025年度も予算ベースの値だが、6.9%まで低下してきている。
図表:医療給付費(対GDP)の推移
(出所)国立社会保障・人口問題研究所「令和5年度 社会保障費用統計」および厚生労働省「社会保障の給付と負担の現状」(2024年度・2025年度)
この実績値は、従来の予測を下回るものだ。例えば、内閣官房・内閣府・財務省・厚生労働省が2018年に公表した「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」によると、2018年度に7%であった医療給付費(対GDP)は、ベースラインケースで2025年度に7.5%にまで膨張するとの試算であった。だが、予算ベースだが、2025年度の医療給付費(対GDP)の実績値は6.9%であり、この値は政府の予測(7.5%)よりも0.6%ポイントも低い。
この理由は何か。主な要因はインフレだ。「医療給付費(対GDP)」の分母は「名目GDP」で、分子は「医療給付費」だが、分母は「名目GDP成長率」で伸びる。この名目GDP成長率は「実質GDP成長率+GDPデフレーターの伸び」に分解でき、インフレ下ではGDPデフレーターの伸びが大きい。実際、内閣府(2025)「中長期の経済財政に関する試算」(令和7年8月7日版)によると、2023年度の名目GDP成長率は4.9%だが、そのうちGDPデフレーターの伸びは4.2%もある。また、2024年度の名目GDP成長率は3.7%、2025年度は3.3%だが、GDPデフレーターの伸びはそれぞれ2.9%、2.6%もある。
他方、医療費は、診療報酬(P)とサービス量(Q)の掛け算(P×Q)で決まるが、分子の「医療給付費」は、この医療費(P×Q)から基本的に患者負担を除いたものになる。このため、患者負担の影響を除けば、医療給付費の伸びは概ね、診療報酬(P)の伸びとサービス量(Q)の伸びで決まる。しかしながら、診療報酬(P)は物価スライド制でなく、診療報酬(P)の改定は隔年であることから、ここ数年の医療費や医療給付費の伸びは、名目GDP成長率ほど伸びていない。このため、医療給付費(対GDP)に低下圧力がかかっている。
以上のとおり、インフレ下で診療報酬が抑えられてきた結果、医療給付費(対GDP)は低下傾向にあるが、その裏で病院経営が急速に悪化している。医療材料費、医薬品価格、エネルギー価格の上昇に加え、とりわけ深刻なのが人件費の上昇である。医療現場では人手不足が慢性化しており、賃上げによる人材確保は不可避だが、診療報酬が物価や賃金の上昇に連動しないため、その原資を安定的に確保できない状況が続いている。
実際、2025年に入ってから、日本病院会や四病院団体協議会は、物価・賃金上昇を反映しない診療報酬体系の下で病院経営が限界に達していると繰り返し訴えている。日本病院会は、診療報酬が実質的にマイナス改定となる状況が続けば、地域医療を担う中小病院を中心に経営破綻や機能縮小が相次ぐと警鐘を鳴らしている。また、日本医師会も2025年の政策提言において、インフレ下で診療報酬が据え置かれることは「実質的な報酬削減」に等しく、とりわけ病院医療を中心とする医療提供体制の持続可能性を著しく損なうと明確に主張している。
こうした状況はすでに調査データでも明確に表れている。東京都が2025年に公表した都内病院の経営状況に関する調査によれば、都内で2024年度に医業赤字に陥った病院は全体の68%に達したことを明らかにしている。また、病床規模別にみると、400床以上の大規模病院では82%が医業赤字となっており、病床規模が大きいほど赤字割合が高まる傾向が確認されている。
赤字の主因は、サービス量(Q)を増やしても、診療報酬(P)が物価上昇に追いつかないため、医療提供に伴う追加的な費用を回収できない点にある。特に高度急性期医療や救急医療を担う病院ほど、設備投資や専門人材の確保に伴う人件費負担が重く、インフレ下では構造的に赤字が拡大しやすい収益構造に置かれている。
このため、病院団体や医師会が診療報酬の引き上げを求める声を強めているのは、単なる業界要望というより、医療提供体制そのものが持続困難になりつつあるという現場からの危機シグナルと位置づけるべきである。インフレ局面において、診療報酬を実質的に抑制し続ければ、病院の経営体力は確実に削られ、結果として高度医療や救急医療の縮小、地域医療へのアクセス低下につながりかねない。診療報酬の在り方は、もはや先送りできない政策課題となっている。
だが、診療報酬を単純に引き上げれば、医療給付費が増え、社会保険料率の上昇を通じて現役世代の可処分所得をさらに圧迫する可能性がある。実際、2026年度の診療報酬改定では診療報酬本体が3.09%引き上げられることが決まったが、物価上昇に名目賃金の伸びが追いつかず、現役世代などの実質賃金が目減りする状況は継続している。子育てを担う現役世代の手取りを増やすには、保険料率の上昇を抑えることが前提となる。
この点で重要なのが、2023年12月に閣議決定された「こども未来戦略」の脚注27である。この脚注では、「高齢化等に伴い、医療・介護の給付の伸びが保険料の賦課ベースとなる雇用者報酬の伸びを上回っており、このギャップにより、保険料率は上昇している。若者・子育て世帯の手取り所得を増やすためにも、歳出改革と賃上げによりこのギャップを縮小し、保険料率の上昇を最大限抑制する」と記載されている。
物価スライド制などで、診療報酬を増やせば、社会保険料率が上昇してしまう可能性があり、インフレ下における医療給付の在り方と現役世代の保険料負担抑制の整合性を確保する必要がある。
要はバランスが重要であり、この解決策の一つは筆者が提言する「医療版マクロ経済スライド」だが、「『強い経済』を実現する総合経済対策~日本と日本人の底力で不安を希望に変える~」(令和7年11月21日・閣議決定)の49ページには、以下の記述がある(下線は筆者)。
このうちの(1)が「保険財政健全化策推進(インフレ下での医療給付費の在り方と、現役世代の保険料負担抑制との整合性を図るための制度的対応)」であり、まさに現在の医療財政が抱える問題の核心である。今後、「令和7年度中に具体的な骨子について合意し、令和8年度中に具体的な制度設計を行い、順次実施する」という記載があることから、この動きを注視していきたい。
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(社会保障制度改革) 現役世代の社会保険料負担を含む国民負担を軽減するため、「経済財政運営と改革の基本方針 2025」に盛り込まれた社会保障制度改革を着実に実行する。(略)くわえて、令和8年度診療報酬改定について、インフレ下における医療給付の在り方と現役世代の保険料負担抑制の整合性を確保しつつ、特に高度機能医療を担う病院の経営安定化と従事者の処遇改善(診療報酬体系の抜本的見直し)の観点や2040年頃を見据えた医療機関(病院・診療所)の機能に着目した分化・連携と地域における医療の確保、地域包括ケアシステムの推進、多剤重複投薬対策等に留意しながら実施する。 併せて、連立政権合意書(令和7年10月20日)に盛り込まれたその他の社会保障改革58を含め、令和7年度中に具体的な骨子について合意し、令和8年度中に具体的な制度設計を行い、順次実施する。
58 以下を内容とするもの。 (1)保険財政健全化策推進(インフレ下での医療給付費の在り方と、現役世代の保険料負担抑制との整合性を図るための制度的対応) (2)医療介護分野における保険者の権限及び機能の強化並びに都道府県の役割強化(①保険者の再編統合、② 医療介護保険システムの全国統合プラットフォームの構築、③介護保険サービスに係る基盤整備の責任主体を都道府県とする等) (3)病院機能の強化、創薬機能の強化、患者の声の反映及びデータに基づく制度設計を実現するための中央社会保険医療協議会の改革 (4)医療費窓口負担に関する年齢によらない真に公平な応能負担の実現 (5)年齢に関わらず働き続けることが可能な社会を実現するための「高齢者」の定義見直し (6)人口減少下でも地方の医療介護サービスが持続的に提供されるための制度設計 (7)国民皆保険制度の中核を守るための公的保険の在り方及び民間保険の活用に関する検討 (8)大学病院機能の強化(教育、研究及び臨床を行う医療従事者として適切な給与体系の構築等) (9)高度機能医療を担う病院の経営安定化と従事者の処遇改善(診療報酬体系の抜本的見直し) (10)配偶者の社会保険加入率上昇及び生涯非婚率上昇等をも踏まえた第三号被保険者制度等の見直し (11)医療の費用対効果分析に係る指標の確立 (12)医療機関の収益構造の増強及び経営の安定化を図るための医療機関の営利事業の在り方の見直し (13)医療機関における高度医療機器及び設備の更新等に係る現在の消費税負担の在り方の見直し |