【論考】対談(橋本岳×小黒一正)インフレ下の医療給付の在り方と財政ルール~マクロ的効率性とミクロ的効率性のバランスをどう図るのか~
January 16, 2026
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物価上昇率が3%前後で定着する一方で、診療報酬や薬価の改定率は微増にとどまり、多くの病院や診療所が赤字に追い込まれている。このような状況のなか、2026年の診療報酬改定では本体が3.09%、薬価がマイナス0.87%と決まったが、インフレは今後も継続する可能性も高い。また、診療所の減少が進む地方では、医療提供体制そのものも揺らぎ始めている。インフレが常態化するなかで、物価上昇に満たない医療費や薬剤費の伸びは、実質的なカットとなる可能性もあるが、現行の枠組みは持続可能なのか。 名目GDP成長率に医療費の伸びを連動させる「医療版成長率調整メカニズム」と、保険料率を固定したうえで地域医療を守る方策について、橋本岳・前衆議院議員と小黒一正・法政大学教授が議論した。 |
プロフィール
橋本岳:東京財団上席フェロー、岡山県出身。前衆議院議員(5期)。厚生労働副大臣、厚生労働大臣政務官などを歴任し、社会保障・医療政策を中心に実務を担ってきた。地元岡山では、地域医療の維持支援に携わり、地方の病院・診療所の現場課題に詳しい。中央と地方、制度と現場双方を知る視点から、インフレ下の医療財政・医療提供体制について提言を続けている。
小黒一正:東京財団上席フェロー、法政大学経済学部教授。人口動態と財政・社会保障の関係や世代間問題を専門とする。財務省や財務総合政策研究所主任研究官など政府での実務経験も持ち、社会保障とマクロ経済の関係もテーマに研究・提言を行う。近年は、中長期的な名目GDP成長率と医療費の伸びを連動させる「医療費成長率調整メカニズム」(別称「医療版マクロ経済スライド」)を提案する等、インフレ下の医療財政の在り方に関する議論も主導している。
インフレ定着と医療財政――何が本当の課題なのか
小黒 医療業界、製薬業界は、インフレの直撃を受けています。直近もインフレ率は3%前後で推移し、2%を超える状態が40ヶ月以上続いています。その一方で、診療報酬や薬価の改定はインフレ率に追いついていません。橋本先生は、厚労行政に携わり、また地元岡山では地域医療についてご覧になられてきましたが、現状をどのようにお考えですか。
橋本 おっしゃるように、インフレは実際に起こっている。40ヶ月以上インフレが続いている、つまり3~4年にわたってインフレが常態化している状況だと認識しています。
当然ながら医療でも介護でも事業を運営するにあたり、コストはインフレの影響によって増えています。他方で診療報酬改定の議論では、これまでは0.5%とか、せいぜい1%程度しか上がってこない。インフレ率と比べると、著しく見劣りする水準の話をしているに過ぎません。当然ながらインフレによるコスト上昇を埋め合わせることになっていません。
インフレが始まる前、政府の方針は社会保障費全体の伸びを、高齢化の伸びの枠内に抑えるというものでした。この間、骨太の方針で表現が変わることもありましたが、そもそもインフレに対応するという方針になっていません。
結果として医療機関の経営に物価高が重くのしかかり、総合病院の7割が赤字に陥り、診療所でも赤字を抱えるところが増えてきました。この問題は、早急に具体的な案を示し、対応しなければならない問題だと思います。
小黒 「骨太の方針」は2015年から、おっしゃる通り、基本的には社会保障関係費については高齢化の伸びの範囲内を目安として制御していくという形になっています。「骨太2024」だけは物価対応を見越した経済対応という形で数百億円程度上乗せされはしましたが、病院の赤字の状況を見れば、結局は物価に対して対応できていなかったということだと思います。病院をはじめ医療・介護業界、製薬業界も、インフレに対応しつつ、賃上げにも対応しなければいけないのであって、その観点から「骨太2025」ではいわゆる経済・物価対応分を社会保障関係費の中で、診療報酬の改定などを含め加算していくという方針が入りました。ただ、病院などの業界団体からの声を聞く限り、医療費全体の伸びがどうなるか分からず、充分ではないという意見も多いように思います。
診療所から崩れ始める地方医療――統計に現れない現場の変化
小黒 実際、橋本先生が地元の岡山県などで見ていらっしゃる、病院の現状はどうなっているのですか。
橋本 少し踏み込んでいえば、地方部では医療の提供体制そのものが崩れつつあるという状況だと思います。もちろん地方部では人口そのものが減少しているので、それに合わせて提供体制が縮小するのは致し方ない面もあるとは思います。ただし、それが健全なシュリンクというよりも、診療所の先生が高齢になり診療を続けていけないというような事態も、すでに始まっています。岡山の県北の方で過疎が進んでいる地域では、「医師会」も維持していけなくなっている現状があり、県南の都市部の大きな病院でやりくりをして、どうにか医師を派遣することで医療を維持しているという状態ですね。
例えば、11月に財務省の「財政制度審議会」の財政制度分科会で財務省が提出した資料には、「社会保障①」(11月5日付け)と「社会保障②」(11月11日付)があります。その「①」には、都道府県別に見た診療所の増減を全体でいえば増えていますという数字が示されています。ただし、都道府県別で見ると、東京都だけがグンと伸びていて、首都圏の千葉県や埼玉県、神奈川県のほか、愛知県と大阪府と福岡県ではプラスだけど、ほかはすべて減少しています。
小黒 大都市圏だけでプラス、そのほかはマイナスというのは、確かに厳しい側面もありますね。
橋本 地方部では、既に診療所から減っているのに、それでも診療所の報酬を減らすということになれば、地方の医療は本当に維持できるのか心配です。
小黒 私も昨年や今年いくつかの県の中核病院や診療所を視察しましたが、地方の中核病院は公立系統が何とか踏ん張っていて、開業医の先生たちはかなりの割合で高齢化していました。重症の患者さんは開業医のかかりつけ医から中核病院へと送られ、一定の治療が終わったら、またかかりつけ医へと戻すというのが医療の在り方ですが、開業医が少なくなればこのやり方も崩れてしまいます。
橋本 まさに地方医療を維持するための手当を急がなければならないと思います。つまり、インフレ対応のため社会保障費全体のマクロ的な手当てと同時に、地方部の医療をどう維持するかというミクロ的な対応も急がなければならないわけです。後者は特に大変で、大都市と地方部では人口構造に大きな差がある。たとえば東京では、人口が増える分医療の提供体制をどう整えるか、という課題がありつつ、人口が減っている地方部ではシュリンクに合わせて医療体制をいかにして持続させるか、という課題を抱えている。こうした面を踏まえて、今後の診療報酬の議論はしていただきたいと思っています。
名目GDP連動という選択肢――「医療版成長率調整メカニズム」構想
小黒 自・維連立政権が誕生しましたが、連立協議の合意項目のなかに社会保障の関連は13項目あり、一番最初の項目に「保険財政健全化策推進(インフレ下での医療給付費の在り方と、現役世代の保険料負担抑制との整合性を図るための制度的対応)」とあります。インフレなのだから、給付については医療・製薬も含めて対応することがひとつ。他方で、保険料率をなるべく上げていかないということ。そのバランスが大事だという話だと思います。
橋本 私もそう理解しました。
小黒 だとすると、例えば保険料率を“ピン止め”しても、経済成長で保険料収入や税収は上がるわけですから、その分は伸ばせる余地が十分にあるということです。
また、マクロ的に見れば「医療の保険料率=医療の社会保険料負担÷雇用者報酬の総額」であり、医療の社会保険料負担は医療給付費、雇用者報酬は名目GDPにほぼ比例するわけですから、医療の保険料率を固定することは、医療給付費の伸びを中長期的な名目GDP成長率の範囲内に抑えることにおおむねつながる。
一方で、中長期的な経済成長率(名目GDP成長率)よりも医療給付費が増えてしまった場合には、どうしても現役世代の保険料率を上げないとならなくなる。そのときは我慢してほしい、となる。これは医療財政を維持するためには当然の考え方だと思います。
だからこそ、診療報酬や薬価を物価に応じてスライドさせるという考え方が、極めて大切になってきます。もっとも、診療報酬に物価スライド制を導入すれば医療費(対GDP)は膨張し続ける可能性もあります。
でも、物価スライド制の下で医療費の伸びが中長期的な名目GDP成長率を上回る場合には、診療報酬の伸びを少し刈り込み、医療費を中長期的な名目GDP成長率に沿うようにすればよいだけです。特に今は経済成長より医療給付費や薬剤費の伸びはずっと低いレベルに抑えられている。むしろ給付を伸ばさなければならないフェーズですが、そうなっていない。その意味で、新時代戦略研究所では「薬剤費成長率調整メカニズム」というものも提唱しています。これを薬価だけでなく医療にも適応して、私自身も以前から「医療版成長率調整メカニズム」を導入すべきだと言ってきました。
橋本 もちろん、魅力的なアイディアだと思っています。あとは具体的な設計をどうするかを議論しなければいけない。率をどう設定するかは、統計の客観性をどう担保するか、という話になってきます。年金の場合は厚生労働省がガバナンスしながら、年金部会や数理部会などを設けています。このような仕組みを整えるのが前提でしょうね。財務省主導、厚労省主導というようなものではなく、誰が客観的な設計をやるのか、中立的な機関をどう作るかまで踏み込んで考える必要がありそうです。つまり、機械的に成長率にスライドさせると、逆に数字の出し方次第で、全部がコントロールできるということになるわけで、その決定における信用をどのように担保するかがポイントになると思いますね。
小黒 たとえば、年金では5年のスパンで財政検証して、伸び率を決めることになっています。
橋本 もう一つの留保点は、一般的な経済成長と、医療のニーズは違う動きをし得る、ということです。
マクロの財政ルールとミクロのアクセス――医療政策に求められる二つの視点
橋本 私の問題意識としては、医療体制の維持をどうするかということと同時に、患者さんの医療アクセスもどのように維持していくのかを検討していかなければならないということ。これはバスなど公共交通機関の話です。地方部では人口が減れば、公共交通機関の提供体制は縮むのも仕方のないことではある。ただし、そのなかで最低限どこまで交通網を維持すべきなのかは最も大切な議論だと思います。タクシーも来てもらえなくて、医療機関まで行く手段がないという話はすでにあるのです。
小黒 豪雪地域では、持病のある方が病院に車で30〜40分かけて病院に行き、帰ろうとしたら大雪で車が動けなくなって、そのまま亡くなられたという話も聞いたことがあります。
橋本 だから、医者の配置と並んで大事なのは患者さんのアクセスをどう担保するかということ。そうでなければ、社会保障ではないわけです。今までは成り立っていたことも、明日には成り立たないという局面にある。国民皆保険の意義を守るためにも、きめ細かな対策が取れるように考えていくべきだと思いますね。
小黒 結局のところ、マクロとミクロの両方のバランスに関する議論が不可欠だと思います。現在のマクロの対策は、物価上昇を考慮に入れずに、実質的に医療費カットにつながってしまっている。その分、ミクロでは熾烈なコストカットが行われるのだとすれば、ミクロの効率性も重要ですが、それこそ地域医療を立ち直れなくなるほどに痛めつける恐れもあるのではないでしょうか。
橋本 おっしゃる通り、大切なのは、財源を確保し、出すべきものは出し、ミクロの効率性をどう上げていくのか、ということだと思います。
※本文中写真提供:小黒一正