コロナ・ショック下の金融と経済(第5回)ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(下)中道回帰への模索 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

コロナ・ショック下の金融と経済(第5回)ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(下)中道回帰への模索
写真提供:GettyImages

コロナ・ショック下の金融と経済(第5回)ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(下)中道回帰への模索

September 2, 2020

本稿(上)では過去100年の経済政策レジームの変遷を振り返りながら、ポスト・コロナの世界では、①国家と市場の役割分担をどう考えるか、さらに②グローバル化の限界をどう設定するか、が重要な主題になるだろうと論じた。今回は、これらの問いへの回答を通じて、ポスト・コロナの経済政策レジームの在り方について考えてみたい。

マクロ経済政策はどう変わるか

まず、市場を制御する国家の役割が増すことは必至である。マクロ経済政策に即して言えば、これは財政政策の復権を意味しよう。1980年代以降、「小さな政府」の流れの中で、マクロ政策としての財政政策の限界が強調されてきた。実際、近年の中級以上のマクロ経済学の教科書では、財政政策の無効性を意味するリカード中立性(Ricardian neutrality)がデフォルトとして教えられている[1]。逆に、この時期にはマエストロとまで呼ばれたグリーンスパン元FRB(連邦準備制度理事会:Federal Reserve Board)議長の手腕が世界的に賞賛され、金融政策万能論の時代となった。グリーンスパン氏自身は金融政策のルール化に否定的だったが、1990年代以降はニューケインジアン経済学の台頭もあって、各国の中央銀行が2%前後のインフレ目標を掲げて経済の安定化を図るという姿が標準的なマクロ経済政策となった。

このレジームは、2007~08年のリーマン危機の結果、日本だけでなく欧米の金融政策もゼロ金利に直面することで、限界が明らかになった筈であった。実際、リーマン危機を世界恐慌への転化のリスクから救ったのはG20による協調的財政出動だった[2]。しかし、各国の政治的な制約から財政出動が継続されることはなく、2010年代は中央銀行が金利のゼロ制約を抱えつつ、量的緩和などの非伝統的な金融緩和に頼らざるを得ない状況が続いた[3]。そこに今回のコロナ危機を迎えた訳だが、今度こそ雇用を守る上で財政政策が重要であることがはっきり示されたと言えよう。また経済学界でも、クルーグマン、サマーズ、ブランシャール、フィッシャーらの大御所たちが一斉に超低金利下での財政政策の活用を推奨する見解を示している。EUがユーロ圏の財政統合の第一歩となり得る復興基金に合意したことが象徴的だが(2010~12年の欧州債務危機では、財政を巡る南北対立が激化し、結果的にECB(欧州中央銀行:European Central Bank)依存を深めることとなった)、今後のマクロ経済政策においては財政政策の重要性が高まるとみられる。

財政政策の役割が高まれば、the only game in townなどと言われた金融政策偏重は改まるに違いない。しかし、金融政策の運営スタイルがどう変わるかは定かではない。例えば、本シリーズ第2回「コロナ禍で変わる中央銀行の役割」でも指摘したように、現在FRB内で進められている金融政策の枠組み検証では、従来以上にインフレ目標を強化する方向の議論が行なわれている。しかし、日銀の「異次元緩和」がインフレ期待を高めることに失敗したという事実(2016年9月に行なわれた「総括的検証」は、インフレ期待に影響を与えることの難しさを公式に認めるものだった)を踏まえると、「コミットメントを強化すれば、インフレ期待は上昇する」というFRBの認識はあまりに楽観的に思える。他方、過度の金融緩和の長期化が金融的不均衡を拡大するという認識はBIS(国際決済銀行:Bank for International Settlements)のエコノミストたち以外にも徐々に拡がりつつある[4]。筆者としては、コロナ後の金融政策がインフレ目標一辺倒ではなく、金融的不均衡にも配慮する方向に変化することを期待したい。

公共財供給と所得格差是正の重視

次に、今回のコロナ危機は感染症拡大に対して日本の医療体制が十分な備えを欠いていたことを明らかにした。その背後には、感染症から生活習慣病へという医療体制のシフトがあった。20世紀の前半までは結核などの感染症が死因の上位を占めていたが、ここ半世紀余りはガンなどの生活習慣病が死因の大半を占めるようになり、これに伴って感染症病床は削減され、保健所のネットワークも縮小されてきたのだ。一見合理的な対応だが、感染症急拡大があり得るという一部の専門家から指摘されていたリスクを過小評価してきた結果と言えよう。滅多に起きないリスクに備えて多数の感染症病床を用意しておくのは民間には不可能である以上、これは公共財の過少供給を意味する[5]

また、リーマン危機では多数の派遣労働者が職を失ったが、コロナ危機でも職を失った人の大半は非正規雇用だった。今回の場合、学生アルバイトなど雇用保険の対象にもなっていない人たちが多かったのではないか。正社員中心の社会を前提に構築されてきた日本のセーフティーネットが非正規雇用の増加する時代に対応できていないことを改めて示してしまったと言えよう。このように、総じてコロナ危機の経験は、保険供給者としての国家の役割を再認識させるものだったと理解できる[6]

さらに、リーマン危機が主に金融機関やグローバル企業を襲ったのに対し、コロナ危機では中小の飲食・宿泊業などが最大の犠牲者となった。結果として、経済格差は一段と拡大する可能性が高い。シングルマザーの貧困といった問題もあり、現状でも日本の相対的貧困率はOECD加盟国の中でも上位に位置することなどを考えると、これ以上格差が拡大すれば欧米でのポピュリズム台頭のような政治的・社会的不安定化を招く懸念がある。政府は、所得分配の是正により積極的に取り組むべきではないか。

もちろん、所得分配の是正が必要と訴えても、実際に是正が進むか否かは別問題である。ここで筆者が注目したいのは、コロナ禍を機に「エッセンシャル・ワーカー」という言葉が拡がったことだ。各国で都市封鎖や移動制限が行なわれる中で、私たちの社会生活を支えているのは、テレワークに従事するホワイトカラーではなく、医療従事者を筆頭に、介護士、スーパーのレジ係、ゴミ収集係、トラックの運転手など、感染リスクに身を曝しながら命と暮らしを守る人であることが痛感された。同時に、こうしたエッセンシャル・ワーカーに社会が十分厚く報いていないと感じたのは筆者だけではないだろう。本稿(上)でも述べたように、20世紀の中葉が所得平等化の時代だったのは、第二次大戦という総力戦に膨大な一般国民を動員した結果、彼らの要求に報いる必要があったためだと言われている。だとすれば、今回のエッセンシャル・ワーカーの「発見」は、所得再分配政策の強化への契機となり得るように思う[7]

金融的国際資本移動には制限を

一方、グローバル化の限界に関しては、経済分析の結果を踏まえた評価が必要である。まず、貿易や直接投資の自由化が多くの国に多大な便益をもたらしてきたことは、実証的にも繰り返し確認されている。それは、冷戦が終了して世界貿易がGDPを上回って拡大した時期に、中国だけでなく多くの新興国が急成長を遂げたという事実からも明らかだろう(今世紀初頭には、BRICsなど人口規模の大きな新興国の成長が世界の注目を集めた)。

もちろん、今回のコロナ危機において、マスクや人工呼吸器だけでなく、医薬品原料についても世界が過度に中国に依存していることが明らかになったように、経済安全保障の観点を無視することはできない。また、国際貿易が一国全体を益するとしても、国際競争には必ず敗者が伴う。政府には、「長い眼で見れば全員が利益を得る」といった安易なレトリックに頼るのではなく、所得再分配や職業再訓練に注力することが求められる[8]。それでも、海外から供給される財やサービスなくして私たちの生活は成り立たないし、世界にはまだ貧困に喘ぐ人々が数十億人の単位で残されている。米中対立の激化など環境は厳しさを増しているが、やはり多国間主義のルールに基づく貿易自由化の流れは今後とも維持していくべきだと考える。

これに対し国際資本移動、とりわけ金融的な資本移動に関しては、理屈はともかくとして、それが各国の経済厚生を目立って高めたという実証分析は乏しい。むしろ、1997年のアジア危機をはじめ、流動性危機をきっかけとした資本流出が新興国の経済危機を深刻化させた事例の方が目立つ。現に今回のコロナ危機でも、それに先立つ超金融緩和の中で新興国に膨大な資本が流入していたため、一時は新興国からの資本流出、新興国通貨の下落が懸念された。幸い、FRBによる迅速なドル供給などで市場は落ち着きを取り戻したが、外貨準備が大幅に減少するなどのリスクを抱えた新興国は少なくない(大きな混乱には至らなかったが、アルゼンチンは5月に国債のデフォルトを経験した)。これまでのように先進国や国際機関が新興国に過度の資本自由化を求めることは自制すべきであろう(近年のIMFはcapital flow managementの名称で一定の資本規制を認める方向へ舵を切っている)。

以上をまとめてみると、コロナ後の経済政策の枠組みは、大恐慌から第二次大戦中(および現在のコロナ禍の下)のような強力な国家統制ではなく、また2000年代初頭をピークとした自由放任でもない、中道回帰への模索となることが予想される。筆者自身は、国家と市場のバランスやグローバル化の程度を1980年代以前に戻すことが望ましいと考えている。これは、①国民国家、②民主主義、③グローバル化の徹底の3つを同時に満たすことはできないという「世界経済の政治的トリレンマ」を指摘して注目を集めたハーバード大学ダニ・ロドリック教授の著書『グローバリゼーション・パラドクス』(白水社、2013年)の主張と大きく重なる。ポピュリズム台頭のリスクから国民国家と民主主義を守るには、グローバル化に制限を課すことが必要だと考えるからである。

国家の課税能力の回復が前提

こう考えると、ポスト・コロナ時代の政府には、マクロ経済安定や公共財の供給により積極的な役割を果す必要があると同時に、経済格差の是正にも努めることが求められる。そうなれば、当然それに見合った税制が必要となる。この点、過去30年あまりの日本の税制の変遷を振り返ってみると、社会保障財源確保のために消費税の引き上げが繰り返される一方、所得税の最高税率や法人税率は引き下げられてきた。当初は「直間比率の是正」という言葉が多く使われたが、経済学的な建前としては、所得税率引き下げは勤労インセンティブを高め、法人税率引き下げは(二重課税の是正という原則論を別にすると)設備投資の増加に資するというものだろう。しかし現実には、富裕層への所得税率引き下げが勤労インセンティブを高める効果は確認されず、法人税率引き下げは(とくに近年では)設備投資よりも自社株買いを促す効果が大きいことが知られている。本当の理由は、国際資本移動活発化の結果、富裕層による合法・非合法の節税や、法人税負担軽減のための企業の海外移転が増加しており、これを防ぐために、国際的な税率引き下げ競争が行なわれているということだろう。まさに、国家の課税能力低下に伴う「底辺への競争」(race to the bottom)に他ならない。

逆に言えば、政府がより積極的な役割を果していくためには、富裕層や企業に対する課税能力を回復することが重要な前提条件になる。そのためには、まず富裕層によるタックス・ヘイブンなどを利用した脱税・節税や、低税率国を利用した多国籍企業による租税回避を抑制することが求められる。富裕層の脱税は「パナマ文書」で世界的に注目を集めたし、GAFA等のデジタル企業が複雑な租税回避スキームを利用して、驚くほど少額の税負担に止めていることも周知の通りである。この点に関しては、OECDの租税委員会にBEPS(base erosion and profit sifting、同委員会の議長は浅川雅嗣元財務官が長年務めていた)というプロジェクトが設けられ、具体的な検討が進められている。こうした国際協力の成果に期待したい[9]。さらに、実現は容易でないだろうが、一歩進んで法人税率引き下げ競争を抑制するための国際協調が必要ではないか。理論的には、国際資本移動における法人税率引き下げ競争は、国際貿易における関税引き上げ競争、国際金融における為替切り下げ競争と同じく、「囚人のジレンマ」ケ-スであり、主要国間には協調のインセンティブが存在する筈である[10]

 

 


[1] 長期的に財政バランスが維持されるなら、国債を発行して財政支出を増やしても支出と課税の時期にズレをもたらすだけである。だから、家計が将来の課税を完全に予見すれば、そうした財政政策には効果がないという命題であり、Robert Barro,“Are Government Bond Net Worth ? ”, Journal of Political Economy 1974が最初に主張した。もちろん、流動性制約や子孫への配慮等があれば財政政策も効力を持ち得るが、あくまでデフォルトは無効命題である。

[2] 財政出動に先立って、FRBはリーマン・ブラザース破綻直後に住宅担保証券(MBS)などのリスク資産を大量に購入することで市場の混乱の収束に努めた。こうした政策は、量的緩和と対比して信用緩和(credit easing)と呼ばれるが、コロナ危機で市場が大混乱に陥った今年の3月頃にも大きな効果を発揮した。

[3] 非伝統的金融緩和の効果は、最も極端なケースとしての日本の「異次元緩和」の経験が示すように、よく言ってmixedであった。拙著『金融政策の「誤解」』(慶應義塾大学出版会、2016年)を参照。

[4] 例えば、Lawrence Summers,“Demand Side Secular Stagnation”, American Economic Review 2015。

[5] 筆者の恩師でもある故・宇沢弘文教授は常に医療を社会的共通資本の一例として挙げていた。宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)。

[6] なお、我が国での関心は高いとは言い難いが、欧州ではコロナ危機に対する経済復興策の中心に気候変動対策を据えようとの機運が高まっている。実際、前述した7500億ユーロの欧州復興基金の30%が気候変動対策に当てられることになっている。さらに米国でも、仮に民主党のバイデン候補が今秋の大統領選挙に勝利することになれば、グリーン・ニューディールへの機運も高まる可能性が高い。日本にも、いずれこうした面での国際貢献が求められるだろう。であれば、グリーン税制やグリーン・インフラなどを成長戦略により積極的に組み入れていくことを検討すべきではないか。

[7] もう一つ述べておくと、欧米諸国で女性参政権が一気に拡がったのは第一次世界大戦末期から1920年代だったが、これも大戦に男性労働者が動員される中で、女性労働者が生産活動を支えた貢献に報いるためだったとされている。

[8] 貿易拡大に伴うコストを過小評価してきたのは、政府よりも経済学者だったかも知れない。実際、1980年代からの先進国における製造業の縮小についても、貿易の影響より自動化などの技術変化の影響が大きいというのが経済学界の通説であった。しかし、近年ではとくに中国との関連で輸入増加の影響を重視する見解が増えている。Autor, Dorn, Hanson,“The China Syndrome : Local Labor Market Effects of Import Competition in the United States”, American Economic Review 2013、Acemoglu, Dorn, Hanson, Price,“Import Competition and the Great US employment Sag of the 2000s”, Journal of Labor Economics 2016などを参照。

[9] これらの点に関しては、森信茂樹『税で日本はよみがえる』(日本経済新聞出版社、2015年)、志賀櫻『タックス・ヘイブン』(岩波新書、2013年)などを参照。

[10] 当研究所の小林慶一郎研究主幹は、コロナ対策の財源としてトービン税(ノーベル経済学賞受賞者のJames Tobinに由来する)の導入を提唱している。金融資産取引に極めて低い税率で課税するトービン税には、金融界などから強い反対があるが、理論的には資源配分に大きな悪影響を与えない一方、金融バブルなどを抑制する効果を持つ筈である。もちろん、一国だけがトービン税を課せば金融取引が海外に逃げるだけだから、トービン税の導入には主要国間の国際協調が必要となる。小林主幹らによるトービン税を含めた税制の国際協調に関する提言に関しては、本サイト所収の佐藤主光・小林慶一郎「ポストコロナの政策構想:税制の国際協調による財政再建を(上)(下)」を参照。

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

PROGRAM-RELATED CONTENT

この研究員が所属するプログラムのコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム