・集団免疫の達成と社会経済活動の「正常化」 ・非常事態モードの解除 ・コロナ後を見据えた経済政策 ・求められる米国マクロ政策の「正常化」 |
集団免疫の達成と社会経済活動の「正常化」
いよいよ日本でも新型コロナに対するワクチンの接種が始まった。確かに、日本を含む多くの主要国では、昨年秋に始まった感染第二波、第三波が依然として終息に至らず、経済的なダメージも収まっていない(2021年1~3月は日本でマイナス成長が予想されているほか、ユーロ圏に至っては2四半期連続のマイナス成長の可能性が指摘されている)。にもかかわらず、通常数年を要すると考えられていたワクチン開発が、2019年末の新型コロナ感染症の発覚からわずか1年でワクチンの接種にまで進んだのは、それ以上に重要な変化だと言えよう。
ワクチンの有効性や副反応の可能性等については、まだ多くの疑問が残されているが、ここでは前稿「コロナ禍からの景気回復の姿(下)」と同様に「これまでに開発された主なワクチンは実際に有効かつ副反応も限定的」だと仮定しよう(各国で接種が進むにつれ、ワクチンの有効性や安全性を示すデータが増加している)。そうすると、ワクチン接種が順調に進めば、米英で2021年末頃、日本を含む他の主要国でも2022年前半には全国民の6~7割が免疫を獲得する「集団免疫」が達成される可能性がある[1]。
集団免疫が達成されれば感染リスクは大幅に低下するので、社会経済生活の「正常化」が本格化することになる。実際、各種調査機関の経済予測をみると、2020年中頃には「日本の実質GDP(国内総生産)がコロナ前の水準を回復するには5年程度かかる」との見方が一般的だったが、最近では「2021年末から2022年前半」との見方が増えている。コロナ第三波が予想以上に深刻化したにもかかわらず経済予測が改善したのは、輸出を中心に2020年後半の景気回復スピードが予想以上だったことに加え、早期のワクチン普及への期待が高まった影響が大きい。
そう考えると、これまで「国民の命を守るためには何でもあり」だった経済政策についても見直しが必要になってくるだろう。もちろん、集団免疫が達成されるまでの間に感染第四波、第五波に見舞われる恐れはあり、その場合は経済活動の抑制、ひいては財政支援の追加が求められる可能性は十分に考えられる。それでも、社会経済活動の「正常化」を展望して、経済政策に関しても「正常化」の準備を始める時期が近づいてきたのではないか。
非常事態モードの解除
最初に求められるのは、非常事態モードの中で性急に進められた政策の見直しだろう。とくに感染第一波の頃は、新型コロナウイルス、同感染症の性質に関する知識が不十分なまま的外れな政策が立案、実施されることが少なくなかったからだ[2]。その代表は小中高校に対する一斉休校やアベノマスク等だろうが、経済政策としては国民1人当たり10万円を一律支給した特別定額給付金が挙げられる。13兆円近い巨費を投じながら、コロナ禍で職を失った人々などには過少な給付であった一方、所得の減少が殆どなかった正社員や年金受給者にも多くの給付が行なわれた。結果的に給付金の大部分が貯蓄に積み上がってしまったことは、先に「コロナ禍からの景気回復の姿(上)」で論じたとおりである。
これは、政府のデジタル化の遅れによって、国民の所得の状況を速やかに把握できないためにやむを得ず行なわれたものであり、非常事態下でのスピード重視の政策だったと理解される。しかし、その半年後の感染第三波での休業協力金(休業・営業短縮協力に関する支援金)でも同様の問題が発生した。時短要請に応じた飲食店に一律1日6万円の協力金が支払われたが、これは大規模店には過少である一方、1日の売上げを上回る協力金を受け取った小規模店も少なくなかった(後者は「協力金バブル」などと批判された)。今後、何らかの給付金の支給を行なう場合には、本当に大きなダメージを蒙った企業や個人だけに集中して手厚い給付を行なう体制を早急に整える必要がある。
次に、無利子・無担保融資や雇用調整助成金についても、次第に見直しが必要になっていくだろう。確かに、これらの政策は本来事業内容が良好な企業が一時的なキャッシュ不足から倒産することを防ぐうえで重要な役割を果たしたと思われるが、一時期急増した企業の資金需要が鎮静化し、雇用の悪化にも歯止めが掛かりつつある状況を踏まえると、その重要性は低下しつつあるとみられる[3]。以前にも指摘したように、こうした施策を必要以上に長く続ければ、もともと将来展望を欠いたゾンビ企業を存続させて、潜在成長率の低下につながるリスクがある。例えば、雇用調整助成金のような企業を守る政策から職業再訓練などの労働者を守る政策へと重点をシフトさせることが求められる。
最後に、コロナ禍で始められた政策ではないが、日本銀行(以下「日銀」)による上場投資信託(ETF)の購入についても、見直しが必要ではないか[4]。中央銀行が株式を購入すること自体極めて異例のものだが、もともとは長引くデフレの中で投資家が過度にリスク回避的になっているとの理由から、リスク・プレミアムに働き掛ける政策として始められた経緯がある。しかし、アベノミクスで株価が上昇に転じた後も、購入枠の拡大が繰り返し行なわれてきた(2020年3月には、それこそ非常事態モードの中で年間購入額を12兆円まで拡大できることになった)結果、現在では個別株価の歪みやコーポレート・ガバナンスの不全といった副作用の拡大が指摘されるようになっている[5]。日経平均が3万円を回復した現状、「投資家が過度にリスク回避的」とは到底言えないだろう。日銀は2021年3月の金融政策決定会合において、これまでの金融政策運営に関する「点検」の結果を示すとしているが、その中でETF購入姿勢の弾力化を行なうことが期待される。
コロナ後を見据えた経済政策
ワクチンの普及で経済が「正常化」すれば、経済政策も当然「正常化」する。そうなれば、財政の健全化や潜在成長力の強化といった従来からの重要テーマが経済政策の中心になるが、これらについては繰り返し議論されてきているので、ここでは手短に済ませよう。
まず財政に関しては、もともと主要国の中で最も厳しい状態にあった日本の財政事情は、コロナ対策で巨額の財政出動を行なった結果、さらに一段と悪化している[6]。日本は長く「2020年度までに基礎的財政収支を黒字化する」という目標を掲げてきた(その後、目標年次は2025年度に先送りされた)が、内閣府の最近の試算によれば、黒字化の時期は2029年度になるという。しかも、その前提条件をみると、今後10年間にわたってアベノミクス期を遙かに上回る名目成長が続くこととなっており、到底信用できない[7]。
だからと言って、筆者は直ちに大幅な増税が必要だと考えている訳ではない。財政学の基本には、税率の変動は小さい方が望ましいという考え方(tax smoothingは消費の平準化に資する)があり、それに従えば課税の方法は歳出の性質によって違ってくるからだ[8]。具体的には、事前に歳出の増加が予想できる場合には、早めに増税することが望ましい一方、予見できない突発的な歳出増加に対しては、国債発行で賄った後、長期間掛けて増税していくことが望ましいということになる。すなわち、社会保障費の趨勢的な増加に対しては早めの増税が望ましい一方、東日本大震災や今回のコロナ禍のような場合には、まず国債発行で賄って、徐々に税収で償還していくのが良い。東日本大震災の場合のようにコロナ特別会計を設けて、同会計で発行した国債は特別税で償還していくべきだろう。それは、長期的な財政健全化をコミットすることになるし、非常時を理由にした野放図な財政出動に歯止めを掛ける効果も持つだろう[9]。
成長戦略としては、デジタルとグリーンの2つを柱に掲げる菅政権の方針は正しいと思う。今回のコロナ禍ではリモート・ワーク、オンライン教育、医療のIT化、電子政府化など、あらゆる面で日本のデジタル化の遅れが顕わになった。デジタル化の推進が成長戦略の柱の一つとなるのは当然である。ただ、菅政権ではデジタル庁創設にやや重心が偏っている感がある。本来求められているのは、経済社会全体としてのデジタル・トランスフォーメーション(DX)であり、それは安倍政権で追求された働き方改革や生産性革命などとも密接に関連する。より広範なDXを意識して、体系的な政策を推進すべきである。
グリーン化は、従来からグリーン・リカバリーを目指すEU(欧州連合)に、グリーン・ニューディールを唱える米国バイデン政権が加わることで世界的な潮流となった。菅首相が「2050年までの脱カーボン」を明言したことは歓迎されよう。ただ、日本には未だ脱カーボンへの明確な戦略は存在していない。電力をどうするのか(再生エネルギーと原子力の位置付け)、自動車はどうか(脱ガソリン車はHV(ハイブリッド自動車)でも良いのか、EV(電気自動車)まで進むのか)など極めて難しい課題が山積している。これらにはっきりした答えを出していかない限り、日本の脱カーボンが国際的に信頼されることはないだろう。
求められる米国マクロ政策の「正常化」
以上では日本の経済政策についてみてきたが、今、世界で最も注目され、国際的なリスク要因になり得ると考えられているのは、米国のマクロ政策の動向である。その根本的な背景は、景気と経済政策の乖離にある。2020年後半の米国経済は、世界最大のコロナ感染者数、死者数にもかかわらず、日欧を明確に上回る回復を示した。財政移転に伴う家計貯蓄も大きく積み上がっている。そうした中で、多くの専門家の予想を裏切るスピードで開発されたワクチンの接種が進み、2021年末頃には集団免疫が達成されるとすれば、強力な景気回復が実現する可能性が高まっている。
一方で、経済政策に関しては「ポスト・コロナの経済政策レジームを考える(上)」で論じたような経済政策思潮の変化をも反映して、コロナ危機に強力な財政金融政策で対応するとの姿勢を維持している。財政面では、米国の財政赤字が日欧を大きく上回る状況にもかかわらず、バイデン政権は家計への現金給付を中心とした総額1.9兆ドルにのぼる追加経済対策を打ち出している。一方、FRB(連邦準備制度理事会)は2020年8月にインフレ率が2%を上回っても暫く利上げを行なわないことを意味する平均インフレ目標政策を導入している。これらは、米国のマクロ政策がbackward lookingな性質を強めている(behind the curveになり易い)と理解することができよう。
問題は、政策当局がbackward lookingであっても、市場はforward lookingだという点にある。株式市場が経済の正常化と極めて緩和的な財政金融政策の双方を前提に大幅に上昇していることは、これまでも繰り返し指摘してきた通りだ。同時に、原油や銅などのコモディティー(商品先物)価格も大きく上昇している。後者がインフレ率の上昇を通じて金融政策の転換を促す圧力として働く一方、前者は金融政策が転換された場合の金融市場の混乱のリスクを高める。最近、元財務長官で近年「長期停滞論」に基づく積極的な財政金融政策を主唱してきたサマーズ氏が、インフレ・リスクヘの注意を喚起する論考を公表して大きな注目を集めているが[10]、同氏も筆者と同様の懸念を抱いているのではないか。
現在の米国ではサマーズ氏に対して批判的な論調が目立つようだが、筆者は大いに共感するところがある。米国のマクロ政策に関しては、①財政面では、追加経済政策対策の規模を縮小するとともに、内容を現金給付重視からインフラ投資やグリーン・イノベーション関連のwise spending(賢明な支出)重視に変更する、②金融政策は、インフレだけでなく金融的不均衡のリスクをも重視して過度の金融緩和にコミットし過ぎない、という方向に「正常化」する必要があるように思う。
[1] 人口が少なく、最も速いスピードでワクチン接種が進んでいるイスラエルでは、2021年中頃には集団免疫に達するとも言われる。
[2] 日本政府のコロナ対策の評価等について、黒木登志夫『新型コロナの科学』(中公新書、2020年)の記述はバランスが取れている。
[3] 緊急事態宣言の再発出で企業倒産が増加し、雇用も悪化するとの見方もあるが、日銀の「主要銀行貸出アンケート調査」で企業向けの資金需要判断DIをみると、1月調査でDIはやや上昇したが、2020年春頃の資金需要急増とは様相が大きく異なる。
[4] 日銀のETF購入については、大村敬一「ETF買い入れの功罪」、『黒田日銀:超緩和の経済分析』(日本経済新聞出版社、2018年)所収および大森健吾「日銀によるリスク性資産の買入れ:効果・副作用・出口の議論」、国立国会図書館『調査と情報』(2020年7月)所収などを参照。
[5] マスコミ等では、日銀によるETF購入とGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の株式運用を一括して「公的資金による株価押し上げ」と揶揄されることがあるが、両者の性質は大きく異なる。まず第1に、公的年金の運用の一部を国内株で行なうのは、どこの国にも見られるごく一般的なものである。第2に、GPIFはストックの一定比率を国内株で運用するようにしているため、株価が急上昇する場合には売り越しに転じることがある。第3に、GPIFはコーポレート・ガバナンス重視の観点から、企業経営に対し積極的に意見を述べる姿勢を示しているが、日銀のETFではそうした役割は期待できない。
[6] 最新2020年1月のIMF Fiscal Monitorによると、2020年の財政赤字/名目GDP比率は米国17.5%、ユーロ圏8.4%、日本13.8%と最悪ではないが、政府債務/名目GDP比率(グロス)では米国128.7%、ユーロ圏98.1%、日本258.7%と日本の悪さが際立つ(G7で日本に次いで悪いイタリアでも157.5%だった)。
[7] 内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(2021年1月)では、今後10年間の名目GDP成長率は単純平均で+3.6%が想定されている。アベノミクス期は、コロナ前の2019年10~12月までで+1.4%だった(これには、2度の消費増税による押し上げ効果も含まれている)。
[8] 例えばRobert Barro,“On the Determination of Public Debt”, Journal of Political Economy 1979を参照。
[9] コロナ特会の創設は、財政政策「正常化」の重要な第一歩となる。それが済めば、財政の中心課題は税と社会保障の改革に戻る。この点について詳しく論じる余裕はないが、筆者は最近BNPパリバ証券チーフエコノミストの河野龍太郎氏が提唱する消費増税と社会保険料引き下げのポリシーミックスを高く評価するとだけ述べておこう。河野龍太郎「コロナ対策の追加財政の償還財源は、消費増税と社会保険料引き下げで調達すべし」(ダイアモンド・オンライン、2021年1月、https://diamond.jp/articles/-/260196)を参照。筆者自身も、以前から賃金税と化した社会保険料の問題点を指摘していた。拙稿「『賃金税』としての社会保険料」(2017年、https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/2017/2017-7-1.html)。
[10] Lawrence Summers,“Opinion: The Biden stimulus is admirably ambitious. But it brings some big risks, too”, Washington Post, Feb 5 2021.