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「小中高教員経験者を大学教員に」とする文部科学省方針に潜在する大学への不信感
画像提供:Getty Images

「小中高教員経験者を大学教員に」とする文部科学省方針に潜在する大学への不信感

April 17, 2023

R-2023-004

教員養成系学部における実務家教員枠の設置
実務家教員に期待されるキャリアパス
教職大学院の維持のための方策
教員をどのような職として位置づけ,養成するのかという議論の必要性

教員養成系学部における実務家教員枠の設置

2023325日,読売新聞夕刊1面のトップに「教育学部に小中高教員 教授に起用 義務化 文科省方針」という記事が出た。これは31日よりパブリックコメントが開始された「大学設置基準の一部を改正する省令案」の内容を受けたものである。この改正案の概要には「教員養成に関する学部については,最低必要教員数に,専攻分野における実務経験を有し,かつ,高度な実務能力を有する者を含むものとする。必要な実務家教員の割合については,学部の種類及び規模に応じた必要最低教員数のおおむね2割以上」(「教員養成に関する学部」については「教員養成を目的とし,教員免許状の取得に必要な単位の修得が卒業要件になっている学部等」であると注記されている。本稿では以下教員養成系学部と表記する。)とすることが示されている。

ここで誤解がないようにしておきたいが,実務経験があるだけでは大学教員になることはできない。実務家教員もまた,大学設置認可及び教職課程認定における教員審査において,研究業績を有することが求められるからである。つまり,実務経験を有するだけで大学教員としての要件を充足するのではなく,その経験を研究した成果を何らかの媒体(報告書等は基本的に業績とはみなされない。)において公表することが必要なのである。研究にはその成果を広く他者や社会に対して公にし,妥当性を問うことが求められるが,学校教育法に規定される大学の目的からすれば,こうした研究が求められるのは当然であろう。

それゆえ,実務経験を有し,なおかつ,その経験を自ら研究の俎上に載せ,研鑽を重ねてきた初等・中等教育段階の教員(以下,教員と表記した場合は初等・中等教育段階の教員を指す)が教職課程の大学教員になることは歓迎されるべきことであるといってよい。

実務家教員に期待されるキャリアパス

そうした前提に立ったとしても,今回の改正案についていくつかの疑問が付き纏う。まず,こうした教員は極めて少ないことである。教員の業務には直接的には関与しない研究を行うことは,現在の教員の多忙な状況を踏まえれば,困難であることは言を俟たない。特に上述の教員審査に通るためには一定数以上の研究業績を有することが求められるが,担当科目に関する実務経験と研究業績の両方を十全に保持している教員はそれほど多くはない。つまり,教員養成系学部の教員の2割以上を実務家教員とするだけの人的資源がないことが予想される。そのためか,この改正案の方向を提案した中央教育審議会(中教審)「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について〜「新たな教師の学びの姿」の実現と,多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成〜(答申)」では,「学校現場での実践と大学における教師養成を架橋する中核的な役割を担う者として教職大学院修了者を位置づけ」,「教職大学院修了者が,早期に学校管理職を経験した後,教員養成大学・学部,教職大学院における実務家教員となって高度専門職としての教師養成に参画」することに言及しており,教職大学院を経由したキャリアパスを想定している。確かに,研究できるということを要請するのだとすればせめて修士以上の学位は必要であろうから,専門職修士を得ることができる教職大学院を経由することを想定しているのだろう。しかし,教職大学院は専門職大学院であるため,修士論文は必修ではない。修士論文が研究する能力を有していることの証左になるわけではないが,それでもそれさえ課せられない教職大学院でいかにして研究の能力を担保しようとするのだろうか。

ここで次の疑問が生じる。実務経験を有しつつも,専門職ではない大学院を修了したものもいるが,そうではなく,教職大学院を想定するのはなぜであろうか,と。実は,ミッションの再定義(法人化後の国立大学改革の一環として,各国立大学が2012年度から文部科学省との意見交換を通じて,研究水準等の客観的データをもとに,自らの強み・特色・社会的役割(ミッション)を整理したことを指す。)以降の国立大学において,従来の教育学研究科は教職大学院として改組することを要請され,急激に増加してきた(図)。

それにあわせて,入学者数も増えてきた。ただ,その修了生は基本的には学校現場に入る(ないしは戻る)ことになるが,教職大学院での学修がその後の職歴に必ずしも寄与することがなかったため,現在のところ教職大学院を経由しなくても教員としてのキャリアアップは可能なままである。しかし,中教審の提案は,教職大学院修了者を「学校現場での実践と大学における教師養成を架橋する中核的な役割を担う者」として位置づけ,「早期に学校管理職を経験」(強調は引用者)することを期待している。すなわち,教職大学院を経ていない者よりも早期に管理職への道を開くこと,さらにはその後に大学での教職課程を担当させることを提案しているのである。

教職大学院の維持のための方策

穿ちすぎた見方かもしれないが,急激に拡大したものの,まだその成果を十分に見出せていない教職大学院を維持するための方策として,このような提案がなされたとみることもできるのではないか。教職大学院を経由した方が管理職,あるいは大学教員への道が開かれるのであれば,少なくとも現在よりは教職大学院へ入学するインセンティブが働くことになるだろう(もちろん,そうした志向性を有しない入学生が存在することは否定しない。)。図によれば,同じ専門職大学院の法科大学院は大学院数・入学者数いずれも以前より減少してきている。これは司法試験へのルートを別に残したことが大きな要因だろうが,実力をそのまま問う司法試験のような資格試験と異なり,教員のキャリアアップは教育委員会の裁量範囲であって教職大学院修了者を優遇することは可能である。また,今回の改正案では,文部科学省がその裁量権である設置認可権を発揮して実務家教員を教員養成系学部の教員の2割以上採用することを義務づけようとしている。この実務家教員は改正案では「専攻分野における実務の経験を有し,かつ,高度の実務の経験を有する者」(強調は引用者)と,高度専門職の養成を担う教職大学院の修了者を想定した規定がなされている。これらは教職大学院修了者に一定のキャリアを保証することになるため,教職大学院を維持することに貢献することは否定できないだろう。

さて,最後の疑問だが,なぜ2割以上という数字が出てきたのか,ということである。中教審が示したように教職大学院を経由することが教員にとって理想的なキャリアパスであると理解するならば,教員養成は専門職大学で行えばよいということになるはずである。

専門職大学2017年に法令等が改正され,2019年度から設置されているものであるが,教員養成においても,実務家教員を入れて理論と実践の往還を期待するのであれば,大学よりも専門職大学での養成の方がふさわしいのではないか。そうであれば,大学における教員養成を,専門職大学における教員養成に改めてしまえばよいのではないか(著者はそれに対して反対であるが,ここでは論じない。)。しかし,それへの躊躇があるからか,専門職大学での実務家教員4割以上という要件に満たない2割という数字が出てきたと想像できる。その躊躇の背景にどのようなことがあるのかを推し量ることは難しいが,少なくとも,大学を専門職大学に転換するまでもない,あるいは,転換できないという判断があったことだけは確かである。そうであると仮定すると,教員は大学で養成するという開放性の原則が維持されることになる。それにもかかわらず,なぜ専門職大学に近づけようとする提案がなされるのだろうか(注記しておくと,学校教育法上は専門職大学も大学の範疇に位置づけられるので,専門職大学でも開放性の原則は維持されると考えることは可能である。)。

もちろん,教員に限らず,およそ専門職が理論と実践を往還することが求められることをここで改めて論じるまでもない。専門職により高度な専門性が求められるようになっている現在,大学はおおむねそのような志向性が求められているといえるかもしれない。しかし,専門職大学と大学との関係を整理しないまま,一部領域(教員養成)だけについて,その両者の間を取るような施策を進めることは,制度設計上問題といえないだろうか。また,教員養成には目的学部・学科として設置することが求められる初等教育段階の教員養成だけでなく,中等教育段階の教員養成もあるが,それをなぜ別に考えようとしているのだろうか。

教員をどのような職として位置づけ,養成するのかという議論の必要性

問題は,教員養成系学部に実務家教員を2割以上採用すること自体にあるのではなく,その背後に見え隠れする教職大学院の位置づけ,そしてまた,教員養成系学部との関係の不明さなのである。

法科大学院は法学部の上級学校ではない。なぜなら,法学部は法曹人を育成することだけを目的としていない。一方,教員養成系学部は教員養成を目的としている(もちろん,国立の教員養成系学部にとって教員とならない卒業生が一定割合いることが問題となっているが,ここでは設置の目的を問うている。)。そして教職大学院は教員の専門性をより高度化するものである。そうだとすれば,教員養成系学部に安易に実務家教員を採用するのではなく,教員養成について,戦後一貫してきた開放性の原則を維持するのか,それとも専門職大学の役割とするのか,その位置づけをめぐる問題に取り組むべきではないのか。

さらにいえば,教員養成制度改革の議論に潜在する,文部科学省・中教審の大学教育に対する不信感である(その傾向は中教審「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~(答申)」(2015(平成27)年12月)以降加速する。)。そのことは,例えば,文部科学省・中教審による教員養成における教育委員会の役割を拡大する教員育成協議会の設置,教職課程コアカリキュラムの策定,などに現れているが,こうした不信感もまた,実務家教員を2割以上採用することを押し進めている要因となっていると推察できる。だとすれば,専門職大学での養成へと転換することが望まれると思われるが,そこまでの提案になっていないことは上述したとおりである。ここで問われるべきことは,そうした不信感を生み出してきた背景,すなわち,現場が期待する教員を養成してこなかったことをどのように捉えるのかということである。これまで,需要と供給双方のうち,需要側の意見を中心として進めてきたわけであるが,はたして需要側の意見だけが妥当性をもっているといえるのだろうか。

このように本来的に検討されるべき,教員をどのような職として位置づけ,どのように養成するのかという点について十分な議論がないまま,なし崩しに実務家教員を2割以上採用することを義務づけることは問題であるといわざるをえない。


「教職の制度設計を再構築する 量の確保・質の担保の視点から」研究プログラム(研究代表者:松本美奈 東京財団政策研究所研究主幹)運営
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    • 東京家政大学家政学部教授
    • 走井 洋一
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