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【論考】財源なき減税・歳出拡大は円安・物価高につながる可能性も―「物価水準の財政理論」の為替版から考える財源の意味-
September 16, 2026
■4月10日に、小黒上席フェローは、森信シニア政策オフィサー、佐藤上席フェロー、土居上席フェローとともに、政策提言「『給付付き税額控除』の導入に向けた具体的な制度設計」を発表いたしました。詳細はこちらをご覧ください。
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「税・社会保障研究 レビュー・論考・コラム」 令和7年10月より、「税」や「社会保障」をテーマとしたコラム(Review)を、以下の執筆者が交代で執筆してまいります。掲載されたコラムは「まとめページ」からご覧いただけます。小黒一正(東京財団上席フェロー/法政大学経済学部教授)、佐藤主光(東京財団上席フェロー/一橋大学国際・公共政策研究部教授)、土居丈朗(東京財団上席フェロー/慶應義塾大学経済学部教授)、森信茂樹(東京財団シニア政策オフィサー) |
| ・政府債務を支えるものは何か ・物価から円相場へ ・物価への波及が弱いほど為替が大きく動く可能性 ・減税や歳出拡大の「財源」とは何か ・「財源がある」とは何を意味するのか |
減税や歳出の拡大をめぐる議論では、必ずといってよいほど「財源」が問題になる。これに対して、政府は家計と違って国債を発行できるのだから、現在の税収だけに財源を求める必要はない、という議論もある。
確かに、政府は国債を発行することで、政策実施時点での増税を回避し、負担の時期を将来に繰り延べることができる。しかし、国債を発行すれば政策の費用そのものが消えるわけではない。重要なのは、政府が負う債務が最終的にどのような財政資源によって支えられるのかである。
この問題を考える一つの手掛かりが、「物価水準の財政理論」(Fiscal Theory of the Price Level、以下「FTPL」という)である。FTPLは、金融政策だけでなく、政府債務と将来の財政収支との関係から物価水準を考える理論である。その基礎はSargent and Wallace(1981)、Leeper(1991)、Sims(1994)、Woodford(1995)などによって形成され、その後Cochrane(2001, 2023)などによって発展してきた。
政府債務を支えるものは何か
このメカニズムを単純なモデルで確認してみよう。ここでは説明を簡単にするため、名目政府債務を D、物価水準を P、将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値を s とする。基礎的財政黒字とは、税収などの政府収入から国債の利払いを除く政府支出を差し引いたものである。s は、それを将来にわたって実質ベースで割り引き、現在価値に換算したものと考えればよい。
FTPLの基本的な考え方を極めて単純化すれば、
名目政府債務 / 物価水準 = 将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値
( D / P = s )
という関係で表すことができる(Sims, 1994; Woodford, 1995; Cochrane, 2001, 2023)。
左辺の D/P は名目政府債務の実質価値であり、右辺の s は、それを支える将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値である。したがって、
物価水準 = 名目政府債務 / 将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値
( P = D / s )
となる。
この式から重要なことが分かる。政府債務が増加したからといって、必ず物価が上昇するわけではない。
例えば名目政府債務 D が10%増加しても、それに対応して将来の増税、歳出改革、あるいは経済成長による税収増加などが期待され、将来の実質的な黒字 s も10%増加するなら、名目政府債務(対、将来の実質的な財政黒字)の比率(D/s)は変化しない。この単純な関係だけをみれば、物価水準 P が上昇する必要はない。
重要なのは債務の増加そのものではなく、その債務に将来の財政的な裏付けがあるかどうかである。
問題になるのは、将来の実質的な黒字s が増加しないまま 名目政府債務D だけが増加する場合である。将来の財政的な裏付けが変わらず、名目政府債務だけが増加すれば、上の式を成立させるためには物価水準 P が上昇する。物価が上昇すれば、既に存在する名目政府債務の実質価値 D/P が低下するからである。
この意味で、財源を伴わない財政政策にも負担は存在する。その負担が将来の増税や歳出削減として処理されなければ、物価上昇という別の形で国民に及ぶ可能性がある。
もっとも、FTPLについては、政府の評価式だけで物価水準が一意に決まるのかをめぐって議論がある。McCallum(2001)やBuiter(2002)は、金融・財政政策のルールや均衡選択を明示する必要性を指摘している。したがって、ここで示しているのは「政府債務が増えれば必ずインフレになる」という予言ではなく、財政と物価を結びつける基本的な評価関係である。
物価から円相場へ
では、この議論は円相場とどのようにつながるのだろうか。FTPLを開放経済に拡張し、財政と為替レートの関係を分析した研究にはDupor(2000)やDaniel(2001)などがある。
現実の経済では、すべての国内価格が瞬時に変化するわけではない。企業が商品の販売価格を改定したり、賃金が変更されたりするには時間がかかる。これに対して、外国為替市場では円相場は短時間で大きく変化することがある。
円安になれば、原油、天然ガス、食料、原材料などの円建て輸入価格が上昇し、その一部が消費者物価へ波及する。もっとも、為替変動が輸入価格や消費者物価へ100%転嫁されるとは限らない。為替から輸入価格への波及は、取引通貨や企業の価格設定行動などによって大きく異なることも知られている(Gopinath, Itskhoki and Rigobon, 2010)。
この関係を単純化して、
物価水準 = 一定の係数×為替レートのη 乗
( P = Ω Eη )
と表してみよう。
E は「1ドル=何円」という形で表した為替レートであり、E の上昇は円安を意味する。一定の係数Ω は国内価格など為替以外の要因を表し、η は為替変動が国内物価にどの程度波及するかを表す。
通常、10%の円安が直ちに消費者物価を10%上昇させるわけではない。輸入品は消費全体の一部であり、企業が為替変動をすべて販売価格に転嫁するとも限らない。このため、単純化すれば、
0 < η < 1
と考えることができる。ここで、短期的に将来の実質的な財政黒字 s と、為替以外の価格要因を表す Ω を所与としよう。先ほどのFTPLの関係
物価水準 = 名目政府債務 / 将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値
( P = D / s )
と組み合わせると、
名目政府債務 / 将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値
= 一定の係数×為替レートのη 乗
( D / s = Ω Eη )
となる。したがって、この式を為替レートについて解いて、
為替レート
= [名目政府債務÷(一定の係数×将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値)]の1/η 乗
( E = (D / Ωs)1/η )
という関係が得られる。この式は、財政と円相場を結びつける一つの単純な見方を示している。
名目政府債務 D が増加しても、それと同率で将来の実質的な黒字 s が増加するならば、この関係から財政要因による円安圧力が生じるとは限らない。
反対に、将来の財政的な裏付けを伴わずに D だけが増加すれば、物価水準を上昇させる力が働く。そして国内価格がすぐには動かない短期には、その調整の一部が円安として先に現れる可能性がある。
同じことは、債務残高が変化しなくても起こり得る。例えば、将来の増税や歳出改革が困難になるとの見方が強まり、将来の実質的な基礎的財政黒字 s に対する評価が低下すれば、
為替レート
= [名目政府債務÷(一定の係数×将来の実質的な基礎的財政黒字の現在価値)]の1/η 乗
( E = (D / Ωs)1/η )
から、円安方向への圧力が生じる。
つまり、為替市場が見ている可能性があるのは、現在の財政赤字だけではない。既に存在する政府債務を、将来の財政収支がどこまで支えられるのかという期待も重要なのである。
物価への波及が弱いほど為替が大きく動く可能性
もう一つ重要なのが η である。上式では、財政的な裏付けの変化に対する為替レートの反応は 1/η に依存する。為替から国内物価への波及が弱く、η が小さいほど、同じ物価調整に対応するためには、より大きな為替変動が必要になる。
例えば企業が輸入価格上昇を販売価格に転嫁せず、一時的に利益率を圧縮して吸収すれば、円安による国内物価上昇は小さくなる。しかし、この単純な財政評価関係の下で一定の実質債務調整が必要ならば、その分だけ大きな円安が必要になる可能性がある。
短期的な物価への転嫁が小さければ、家計への直接的な影響は抑えられる。他方、財政的な不均衡の調整という観点からみれば、物価への波及が弱いほど為替レートそのものが大きく動く可能性がある。
減税や歳出拡大の「財源」とは何か
この考え方は、減税や歳出拡大をめぐる財源論にも重要な示唆を与える。恒久的な減税を実施すれば、他の条件が同じなら将来の税収は減少する。一方、歳出を恒久的に拡大すれば、将来の政府支出は増加する。いずれも、他の政策変更がなければ、将来の実質的な基礎的財政黒字 s を減少させる方向に働く。
もちろん、減税や歳出拡大によって民間の経済活動が活発になり、経済成長率が高まり、その結果として将来の税収が十分に増加するのであれば事情は異なる。その場合には、政策による当初の財政負担の一部または全部が、将来の税収増によって裏付けられるからである。
したがって、政策を評価するときには、「減税額がいくらか」「歳出をどれだけ増やすか」だけでは十分ではない。それらの政策が、将来の税収、政府支出、経済成長を通じて s にどのような影響を与えるのかまで見る必要がある。
財源を伴わない減税や歳出拡大は、「誰も負担しない政策」ではない。現在の増税を回避して国債を発行すれば、負担の時期を将来に繰り延べることはできる。しかし、その後の増税、歳出改革、成長による税収増などによって政府債務が十分に裏付けられなければ、物価上昇や円安を通じて家計の実質購買力が低下する可能性がある。
しかも、この負担には通常の税とは異なる特徴がある。所得税であれば、所得に応じて負担を設計することができる。しかし、円安によって食料品、エネルギー、日用品などの価格が上昇すれば、負担は広く家計に及ぶ。生活必需品への支出割合が高い世帯ほど、実質所得への影響が大きくなる可能性もある。
財政規律は、単なる政府予算上の問題ではない。物価、円相場、そして国民の実質的な購買力にも関係する問題なのである。
「財源がある」とは何を意味するのか
「財源がある」とは、必ずしも現在直ちに増税することだけを意味するわけではない。将来の税収、歳出改革、経済成長による税源の拡大などを含めて、政府債務を支える十分な実質的財政資源が存在することが重要である。逆に、「政府は国債を発行できる」という事実だけでは、その政策に財源があることを意味しない。国債発行は財源そのものではなく、負担の時期と形を変える手段である。
政策の費用は、現在の税として負担することもできる。将来の税や歳出削減として負担することもできる。そして財政的な裏付けが不足すれば、インフレや円安、それに伴う実質購買力の低下という形で負担する可能性もある。
減税や歳出の拡大そのものを否定する必要はない。問われるべきなのは、その政策を長期的にどのような財政資源で支えるのかである。この理論が妥当な場合、財源を考えるとは、「国債を発行できるか」を問うことではない。誰が、いつ、どのような形で政策の費用を負担するのかを考えることなのである。
図表 政府債務、財政的な裏付けと物価・為替の関係
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シナリオ |
名目政府債務 (D) |
将来の実質財政黒字 (s) |
物価 (P) |
為替 (E) |
|
債務増加と同率で財政的裏付けも増加 |
↑ |
同率で↑ |
大きく変化せず |
大きく変化せず |
|
裏付けのない債務増加 |
↑ |
→ |
上昇方向 |
円安方向 |
|
将来の財政見通しが悪化 |
→ |
↓ |
上昇方向 |
円安方向 |
|
将来の財政的裏付けが改善 |
→ |
↑ |
低下方向 |
円高方向 |
出所:筆者作成
注)他の条件を一定とした単純化された理論上の関係である。実際の物価や為替レートは、金融政策、国内外の金利、景気、期待、国際資本移動など多数の要因によって決まる。
参考文献
・Bianchi, F., R. Faccini and L. Melosi (2023), “A Fiscal Theory of Persistent Inflation,” Quarterly Journal of Economics, 138(4), 2127–2179.
・Buiter, W. H. (2002), “The Fiscal Theory of the Price Level: A Critique,” Economic Journal, 112(481), 459–480.
・Cochrane, J. H. (2001), “Long-Term Debt and Optimal Policy in the Fiscal Theory of the Price Level,” Econometrica, 69(1), 69–116.
・Cochrane, J. H. (2023), The Fiscal Theory of the Price Level, Princeton University Press.
・Daniel, B. C. (2001), “The Fiscal Theory of the Price Level in an Open Economy,” Journal of Monetary Economics, 48(2), 293–308.
・Dupor, B. (2000), “Exchange Rates and the Fiscal Theory of the Price Level,” Journal of Monetary Economics, 45(3), 613–630.
・Gopinath, G., O. Itskhoki and R. Rigobon (2010), “Currency Choice and Exchange Rate Pass-Through,” American Economic Review, 100(1), 304–336.
・Leeper, E. M. (1991), “Equilibria under ‘Active’ and ‘Passive’ Monetary and Fiscal Policies,” Journal of Monetary Economics, 27(1), 129–147.
・McCallum, B. T. (2001), “Indeterminacy, Bubbles, and the Fiscal Theory of Price Level Determination,” Journal of Monetary Economics, 47(1), 19–30.
・Sargent, T. J. and N. Wallace (1981), “Some Unpleasant Monetarist Arithmetic,” Federal Reserve Bank of Minneapolis Quarterly Review, 5(3), 1–17.
・Sims, C. A. (1994), “A Simple Model for Study of the Determination of the Price Level and the Interaction of Monetary and Fiscal Policy,” Economic Theory, 4(3), 381–399.
・Woodford, M. (1995), “Price-Level Determinacy without Control of a Monetary Aggregate,” Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy, 43, 1–46.