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放射線とコロナから見えること、レジリエントなシステムとは?/あるべきCDC機能と次のパンデミックへの備え:レジリエントなシステム構築に向けて
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原発事故とコロナ禍からの教訓:レジリエントなヘルスシステムとは

March 28, 2024

R-2023-119

谷口清州研究主幹を中心とする研究班ではレジリエントな保健医療・社会システムの形成に向け、政策研究を続けてまいりました。
本稿では「福島原発事故と新型コロナウイルス感染症の健康問題における類似点の分析」「パンデミックの総括に基づいた、我が国にあるべきCDC機能の分析」を通じ、我が国の今後の健康危機管理に資する提言を公開いたします。

エグゼクティブサマリー

放射線と新型コロナから見えること、レジリエントなシステムとは?
 坪倉正治 研究主幹(福島県立医科大学医学部放射線健康管理学講座 主任教授)

  • 福島原発事故と新型コロナウイルス感染症の健康問題には「二次的な健康影響の大きさ」「病院や介護施設での医療・介護の継続の重要性」「偏見や誤解、差別の問題が生じやすい構造」など類似点が存在する。
  • 被災者は災害発生直後だけで無く、生活環境の変化による「ゆさぶり」を経験する。何度も生じた新型コロナウイルス感染症の流行の波も「ゆさぶり」だが、二次的な健康への影響についての評価はまだ十分に為されていない。
  • 平時から行われていたケアや医療の連続性が途絶えたことが、二次的な健康影響の原因となる。災害時、新たに発生する患者への対応が注目されがちであるが、災害前に提供されていた医療や介護サービスの維持、復旧にも焦点を当てる必要がある。
  • 原発事故後の放射線被ばくに関連する健康影響について、長期にわたる誤解や偏見が存在する。新型コロナウイルス感染症においても、同様である。これらの誤解に対しては、迅速かつ正確な情報提供と、誤解を解くための積極的なコミュニケーションが必要である。

あるべきCDC機能と次のパンデミックへの備え:レジリエントなシステム構築に向けて
 谷口清州 研究主幹(国立病院機構三重病院 院長)

新たな感染症危機に備えるため「国立健康危機管理研究機構」が設置予定だが、感染症対策を行う組織の機能や役割はまだ不明瞭である。

  • COVID-19パンデミックにおける我が国の課題は、健康危機管理のサイクルが回っていなかったことと、各プロセスの担当と役割が明確では無かったことである。健康危機管理を行う組織は、平常時からのサーベイランスとエビデンスに基づいた対応の蓄積が必要である。
  • 専門家と連携し、即座に対策を実行するため、G7各国同様、行政官も高い専門性とキャリアの連続性を持つべきである。
  • 平常時からの継続性の担保の元、米国CDC(疾病予防管理センター)、EUのECDC(欧州疾病予防管理センター)のように、個々の予防・対策に関する部署と、各感染症に特化した部署、そしてコミュニケーションの部門を系統的に整理するべきである。

1.放射線と新型コロナから見えること、レジリエントなシステムとは?
 坪倉正治 研究主幹(福島県立医科大学医学部放射線健康管理学講座 主任教授)

1. はじめに

2011年におきた東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所事故と新型コロナウイルス感染症にともなう健康問題・公衆衛生上の課題は、放射線被ばくと感染症という中心のハザードは全く異なるものの、生活・社会環境変化による影響が大きく、健康・保健・医療の観点からだけでも多くの類似点が存在する。

筆者らのチームは、福島県浜通り地区で原発事故後の健康課題に13年以上対応してきた。また新型コロナウイルス感染症対策では、地域におけるワクチンコホートからの教訓」 に示すように、ワクチンの効果判定を巡って、ボトムアップ型の評価と対策を行ってきた。本稿では、それらの経験から2つの災害の共通点を探りつつ、将来の対策について考察する。


2. 共通点:二次的な健康影響の大きさ

両災害における最大の共通点は、二次的な健康影響の大きさである。二次的とは、直接的なハザード(原発事故では放射線被ばく、コロナではウイルス感染)による影響ではなく、間接的な生活習慣や社会環境の変化に起因する健康問題のことを指す。原発事故後の住民の健康問題は、外部被ばく、内部被ばくといった放射線被ばくだけでなく、ストレス、慢性疾患、医療アクセスの悪化など、多岐にわたった。

これらの影響は、災害後の時間経過とともに変化し、姿形を変え、住民に多大な影響を与えた。図1では、原発事故後の浜通り地区で、住民が震災後どのような健康問題に直面してきたかについて、時期ごとに分類したものである。

図1:震災と原発事故後どのような健康問題が出現したか

筆者作成

東日本大震災発生後の急性期(原発事故発生から数日から数週間)では、災害に伴う外傷、避難所での環境問題、深部静脈血栓症、インフルエンザやノロウイルスといった感染症、病院やクリニックの閉鎖に伴う断薬、診療の途絶、救急搬送時間の延長、そして病院や老人ホームからの避難に伴い、多くの方が命を落とされた。それぞれは、2024年1月の能登半島地震にも類似性がある。福島県南相馬市の老人ホームを対象とした研究では、緊急の避難を行うことによる余命の損失は、結果的にその場所にとどまった場合の放射線被ばくによる余命の損失の400倍であったことが報告されている。これらの命を失った原因は、放射線被ばくによる健康状態の悪化ではなく、寝たきりの方であれば看護や介護といったケアの連続性の途絶であり、病院への定期受診ができないといった、医療へのアクセスの断絶であった。

中期的(数ヶ月から数年)には、仮設住宅への入所などの生活環境の変化、それに伴う運動不足・肥満・糖尿病・生活習慣病の悪化、仕事や同居家族、住む場所の変化に伴う精神的な影響、医療へのアクセスの変化、がん検診などの検診受診率の低下などが問題となった。これらは、福島県が行っている福島県「県民健康調査」でも明らかである。病名としては糖尿病に伴う影響は大きく、脳梗塞や心筋梗塞と言った血管系の障害だけでなく、発がんや鬱にも関係する。原発事故後の糖尿病の悪化に伴う影響は大きく、結果的に放射線被ばくに伴う余命の40倍程度を損失したことが報告されている。

長期的(数年後)には、放射線被ばくへの不安の固定化、地域の高齢化、過疎化、孤立が進んだ。中でも最たるものの一つが、介護保険料の高騰である。介護保険料は、市町村ごとに必要な費用に従い、市町村ごとに納税額が異なる。震災後、介護保険料の全国のトップ10の市町村のうち、6つが福島県浜通りの自治体となった。納税者である若者が避難し、家族や周辺にいる人が支えていた地域の介護が、避難に伴う人口の減少と環境の変化によって、公的なサポートに頼らざるを得なくなったという背景がある。これらの問題は地域の高齢化、過疎化、孤立などが進行したことの表れといえる。

これらの健康問題は、放射線被ばくの直接的な影響ではなく、災害によって社会や生活の変化、サポート体制が不十分となることによって悪化することが多い。世間の耳目は、放射線被ばくやコロナの感染者数といった、災害の直接的な影響や、目に見えやすいものに集中する傾向がある一方、多くの命の損失は、原発事故の例からも明らかのように、平時からの医療や介護が中断したり、リソースが維持されなかったりすることによって起こる。

ここまで示してきたように、これらの二次的な健康影響は、原発事故後において、直接の放射線被ばくの影響よりも結果的には大きかったことが指摘されている。もちろん今回の原発事故後の住民の被ばく量が少なく、原子放射線の影響による国連科学委員会(UNSCEAR)からも将来的な発がんの増加は見られそうに無いと報告されていることは結果論ではある。しかし、災害全体の影響を最小化する上において、公衆衛生的な対応として、中心のハザードへの関心が集中してしまうことには、十分に注意すべきであることを明確に示している。

図2は災害後の健康状態の悪化のメカニズムを示す。被災者は災害発生により一時的に健康状態が悪化し、その後の復興・復旧に伴い徐々に改善する。しかしながら、その過程の中で、生活環境の変化による体への状態に対する「ゆさぶり」を何度も経験する。例えば、震災直後の避難所への避難は生活環境の変化としてイメージしやすいが、それに加えて、災害公営住宅への移動、税制の優遇措置の変更や、避難指示の解除など、環境の変化のきっかけとなる事象は多岐にわたる。災害公営住宅への移動は、新しい住宅に移動するという良い面がクローズアップされやすいが、実際には住む地域が変わり、隣近所に住む人が誰かわからなくなり、サポート体制が弱まるきっかけとなる。避難指示の解除も、自治体は帰還者側へのケアに集中する傾向があるため、避難を続ける方へのサポートや支援体制がどうしても弱くなる傾向がある。原発事故後は放射能汚染の長期化に伴い、この生活環境の「ゆさぶり」が地震や洪水などの自然災害に比較して、何度も長期的に生じ、健康問題も複雑さを増し、対応を困難にさせた。

図2:「ゆさぶり」と「弱者」 災害後の健康状態の悪化のメカニズム

著者作成

二次的な健康影響についてはコロナ禍でも同様である。図1に示したような、生活・社会環境の変化や医療アクセスの悪化が起こったことは、一部ではあるが報告されている。また、私たちは図2に示すような「ゆさぶり」も繰り返し経験している。例えば、とあるレストラン経営者をイメージしてほしい。コロナの第一波によって来客者は激減するが、その後コロナ患者の減少に伴い徐々に来客者は戻る。しかし、来客者がコロナ前の水準まで回復するには時間がかかる。その回復の過程において、次のコロナ第二波がやってくると、再度来客者は減少すると言った具合である。完全に以前の状態に戻る前に第二波が到来すると、さらにそのダメージは蓄積する。この経過の中で徐々に経営は悪化し、最終的に倒産をしてしまう。

このような例を考えるとき、同様のことが我々の体にも起こっているのである。コロナ禍における二次的な健康影響については、検診受診率の悪化や、コロナ鬱といったような指摘はなされているものの、二次的な健康影響全体の評価はほとんどされていない。ロックダウンによって患者数が減ったことは感染症のコントロールとしては一つの方策であるが、それに伴う副作用の種類と大きさの評価がなされないまま、コロナ感染者の数に引っ張られ、中心のハザードへの対策のみに集中的に資源が投下される構造となってしまった。おそらく多くの国民や科学者は、これらの中心のハザードへの対策を行うことの副作用については認識しているものの、その定量化やカテゴリー化、そしてその副作用の影響を最小化するための対策についての議論はほとんどがなされていなかった。


3. 共通点:病院や介護施設での医療・介護の継続の重要性

共通点の二つ目は、災害発生時における、病院や介護施設での医療・介護の継続の重要性である。原発事故後、周辺地域に避難指示が出され、それに伴い周辺の病院や介護施設も避難を余儀なくされ、結果的に多くの入所者が命を落とす結果となった。南相馬を対象とした研究では、避難後90日以内に25%もの入所者が命を落とされた施設もある。振り返れば、上述した二次的健康影響の中で、最も多くの人命を失ってしまったのがこの時期である。重要なことは、命を失った多くの原因が、放射線被ばくではなく、平時から行われていたケアや医療の連続性が途絶えてしまったからだということである。

災害時における医療・看護・介護の提供に関して、一般的には新たに発生する患者への対応が注目されがちである。これには、がれきの下敷きや火災、津波による怪我・外傷が含まれる。確かにこれらの新規に発生する患者への対応は極めて重要であるが、災害前に提供されていた医療・看護や介護サービスの継続性にも焦点を当てる必要がある。特に、同じスタッフによるケアの継続、人的・物的リソースの維持、そして既存の医療・介護サービスへの迅速な復帰の重要性を強調する。この状況は能登半島地震を見ても同様のことがいえる。これらの対応には十分な人員の確保が欠かせない上に、特に介護は民間での雇用が多いため、行政が何か指示を出したところで人員を多く確保することが難しい。

新型コロナウイルス感染症の流行下においても、このような間接的な影響に関する問題は顕著に観察された。クラスターが発生した地域や医療施設におけるケーススタディを通じて、以下の三つの主要な問題点が明らかになった。第一に、コロナウイルスへの感染恐怖と混乱が原因で、通常の医療や介護システムが崩壊し、サービスの提供が困難になる状況が生じる。第二に、新たに発生する患者により、職員の負担が増加し、感染による職員の減少が医療・介護サービスの質の低下を招く。第三に、既存の健康問題を抱える患者が、追加の健康問題により命を落とすリスクが高まった。強調したい点は、このような間接的な影響がコロナウイルス感染のような直接的な影響の大きさよりも、結果的に影響が大きくなる可能性があることである。このような事例が発生しないように人員の確保を十分に行い、勤務環境の維持や、業務の引き継ぎの円滑化など考慮すべき課題は多い。

もちろん、原発事故とコロナ禍は全く同じではない。原発事故後のケースにおいては、直接的な放射線被ばくによる急性放射線障害で亡くなった方は幸いにもいなかったが、新型コロナウイルス感染症の場合は実際にコロナウイルス感染に伴い多くの命が失われている。しかし、どちらであっても災害時における医療や介護施設でのケアの連続性をどのように保つかが非常に重要である。この連続性が崩れた場合の人的な影響は甚大であることが示唆される。


4. 共通点:偏見や誤解、差別の問題が生じやすい構造

共通点の3つ目は、2つの災害ともに偏見や誤解、差別の問題が生じやすい構造をもつことである。原発事故後の放射線被ばくに関連する健康影響については、長期にわたる誤解や偏見が存在することが広く知られている。

科学的な証拠に基づくと、原発事故後の放射線被ばくが発がんなどの健康影響を引き起こす状況は確認されていない。例えば、「県民健康調査」検討委員会は、甲状腺がんの発見と放射線被ばくとの因果関係を否定している(令和元年7月)[1]。また、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)も、甲状腺がんを含む発がん率の上昇や将来の遺伝的影響について懸念する必要はないと報告している(2020年[2]報告書)。さらに、放射線被ばくによる遺伝的な健康影響は、ヒトにおいては認められていない。広島・長崎の原爆投下後の被ばく2世において、がんやその他の疾患の増加は確認されていない。また、爆心地近くで放射線を浴びた親と浴びなかった親の子どもの間で染色体異常の割合に差はない。さらに、小児期のがん治療を受けた人々の子どもと、その兄弟の子どもの間で染色体異常や遺伝病、奇形の頻度に差はない。チェルノブイリ原発事故後の作業員とその子どものゲノム解析でも、明確な遺伝的影響は確認されていない。

しかし、三菱総研の2020年の調査によると、東京都の住民の40%が将来的な健康影響の可能性を高く見積もっている。放射線問題に関する認識は固着化し、政治的な場面で利用されることがある。例えば、東京オリンピックにおける韓国のボイコットや、元首相5名による甲状腺患者に関する書簡問題などがその例である。新型コロナウイルス感染症においても、同様の偏見や差別が生じ、長期化する傾向がある。コロナ患者の排除や、医療関係者への偏見も根強かった。ワクチンに対する誤解も広く流布されている。これらの誤解に対しては、迅速かつ正確な情報提供と、誤解を解くための積極的なコミュニケーションが必要である。

本稿では、新型コロナウイルス感染症における健康課題を、福島原発事故後の健康課題から見てその類似点・共通点について議論した。災害が多い我が国において、新型コロナウイルス感染症を災害の一つであると認識し、その教訓を広く共有しながら次の災害(健康危機)に備える必要があると考える。まず、そもそも二次的・間接的な影響について、コロナ禍でのデータをしっかりと検証し、犯人捜しではなく、行った様々な公衆衛生上の対策がどのような副作用を持ったのかを知る必要がある。また、そのような副作用を低減するために行われた様々な施策に関して、成功事例を集める必要がある。偏見差別については、学校教育などの長期的な教育に組み込むことが必須であると考えられるし、過去のことになり記憶が固着しないよう、定期的アップデートを繰り返し行っていくことが必要であろう。

  

2.あるべきCDC機能と次のパンデミックへの備え:レジリエントなシステム構築に向けて
 谷口清州 研究主幹(国立病院機構三重病院 院長)

1.はじめに

新たな健康危機に備えるため、国立感染症研究所(感染研)と国立国際医療研究センター(NCGM)を統合し、「国立健康危機管理研究機構」を新設する関連法が2023年5月31日、参院本会議で賛成多数で可決・成立した[3]。米国の疾病対策センター(CDC)をモデルに、感染症に関する科学的知見を政府に提供する役割を担い、2025年度以降に設置される。一方では、感染症対策を一元的に担う司令塔となる政府の新たな組織「内閣感染症危機管理統括庁」は2023年9月1日に発足することになり、厚生労働省では、感染症や危機管理に対応する部署を統合し、「感染症対策部」を新設するとされている。日本では上述の内閣感染症危機管理統括庁、厚生労働省感染症対策部、そして健康危機管理研究機構の三本立てで動いていくものと思われるが[4]、それぞれの機能や役割はまだ不明瞭である。本稿では健康危機管理においてあるべき機能と今後の日本において期待される展開について今般のCOVID-19パンデミックの総括をもとに、議論してみたいと考える。


2.健康危機管理のサイクル

健康危機管理とは破滅的な状況が発生した時、その影響を最小限に抑えるための一連のプロセスのことである。これは図1のように、対策に必要な情報の「入力」があり、それを科学的に解析・評価し、適切な対策戦略と戦術が樹立される。続いて「決断」つまり技術的、行政的、政治的な判断ののち「出力」のフェーズにて、具体的な対策として実行され、明瞭な説明により国民に対してコミュニケーションが行われる。そして行われた対策の結果について再び必要な情報を収集し、またそれらを評価して、次の一手につなげるというサイクルを回していくのである。日本における根本的な課題はこのサイクルができていなかったことと、それぞれの担当と役割が明確では無かったことだろう。このサイクル自体が存在しなければ、場当たり的な対応となるし、入力データが十分でなければ効果的な出力は期待できず、適切なコミュニケーションがなければ社会が混乱するのは当然である。

なお、入力無くして出力はありえないので、感染症対策に必要な情報を収集・分析・解釈するサーベイランスは、最初に日本が考えるべき機能の一つであることに間違いは無い。これについては「サーベイランスの現状と今後の新興感染症対策に向けての強化」で述べられている。

図1:危機管理のサイクル

 

著者作成

3.情報の解析・評価・判断・政策提言のステップ

この部分は、危機管理における中枢である。コンピュータにおけるCentral Processing Unit(CPU)のようなものであるので、Input/Output、つまり情報の入出力も制御する必要がある。そのためには発生した危機を評価し、どの対策が選択可能で、そのためにはどの情報が必要で、それをどのように解析しなければならないというのが基礎知識として存在しなければI/Oを制御することができず有効な解析結果も出せない。昨今の人工知能(AI)でも同様であるが、有効な対策を行うためには過去の膨大な経験と知識が不可欠である。

平常時に出来ないことを危機発生時に行うことは、更に難しい。つまり、この組織は平常時からInputであるサーベイランスを運用し、継続的に評価・改善するとともに、常に解析評価を行うことによりベースラインを把握している必要がある。「異常事態」は、「平常」を知らずに判断できないのである。そして常に異常事態の早期探知を模索し、探知した場合には迅速にリスクアセスメントと対応につなげていく、すなわち平常時からのアウトブレイク対応を継続していくことこそが、危機発生時への事前準備と人材育成につながる。

これらのことから、このステップに関わる組織は感染症対策に関わるすべての科学的な知識と技術および経験をもつことが必要であり、それぞれの感染症の原因となる病原体、その臨床医学と疫学、サーベイランス、感染源、感染経路、宿主感受性対策、これらのPharmaceutical、Non-Pharmaceutical対策に精通している必要がある。これらがあって、はじめて平常時から健康危機発生時に至るまで連続性をもったサーベイランスが設計される。そして、この戦略的なサーベイランスから得られた多角的なデータを基に、科学的な見地から樹立されたエビデンスとそれに基づく提言が形成されるべきである。すなわち、健康危機管理に必要な機能は、健康危機管理に関わる科学的な知識と技術、経験に基づき、平常時の対策を行うと共に、健康危機時に即座にエビデンスを構築して対策を立案し提言につなげることである。

十分な科学的議論を経た提言は、より広い議論に付される必要がある。今般、基本的対処方針分科会などにおいて、各種方針の妥当性が議論されたが、今後もエビデンスに基づいた議論により基本方針が作成され、そのうえで透明性のある議論を経て結論を導く必要があり、この組織は事務局として科学的な議論の基盤となる必要もある。


4.対策の実行とコミュニケーション

技術的な提言、すなわち過去の経験と科学的なエビデンスによって作成された提言は広く公開されるべきである。Recommendationとして機能する対策と、行政化されるべき対策は分離されるべきであり、これが対策実行の速度に関わってくる。科学的に即座に実行する必要のある対策は、現実世界でも即座に実行する必要がある。このためには行政官も専門的な知識を持つべきである。欧米で、科学的な見地からの結論と行政化の連携が非常に良いのは、行政官もその分野の専門家であり、さらに通常一つの部署に10年ほどは在職している。米国では感染症対策部門の行政官のほとんどは、CDCのEpidemic Intelligence Service出身のフィールド疫学の専門家たちであり、CDCとの連携も非常に強い。行政官の専門性の高さや、在職期間の長さはG7各国で共通しており、これにより対策の専門性と連続性が担保されているのである。行政官が数年で変わっていては、数十年のキャリアのある専門家と共通の土台で議論することは到底難しいであろう。

多く挙げられる課題のひとつにコミュニケーション体制がある。日本を除くG7各国、カナダ、米国、英国、フランス、イタリア、ドイツはそれぞれの保健省の感染症対策部あるいは米国ではCDC、英国ではUK Health Security Agency (UKHSA)、ドイツではロベルト・コッホ研究所などの感染症対策機関にはすべて大規模なコミュニケーションセクションがあり、常に国民の危機意識(Risk perception)を把握しつつ、効果的なコミュニケーション戦略を考えて、実際の広報・啓発活動を行っている。これらは一般の国民に対するもの、医療従事者に対するもの、公衆衛生従事者に対するもの、政治家に対するものなど対象を考え、有効なメディア媒体も考慮された効果的な戦略が樹立されている。コミュニケーションについて、今回のパンデミックにおけるWebサイトだけをとっても、その情報量とアクセスの簡便性は国によって大きく異なっていた。


5.戦略的なパンデミック対策

感染症対策の基本は、感染源対策、感染経路対策、そしてワクチン接種などの感受性対策の三つである。特に、新興感染症のようなワクチン無い、治療薬無い、詳細な疫学情報無いという状況では、可能な感染症対策手法は紀元前と同じく、Isolation and Quarantine、つまり感染者の隔離と接触者の分離により感染性発現時の二次感染を防ぐことのみである。そして、これを可能な限り早く行う、早期探知と早期対応が重要であり、遅れれば遅れるほど対象が多くなる。国内へのウイルス侵入後早期であれば、基本的に有症状者を早期に発見して、その遡り調査と下りの接触者を追跡すれば良い。感染性が発症後にのみある場合には、非常に有効であり、封じ込めが可能となる。この初期対応がその後の経過に大きく影響するのは言うまでも無く、ここはどのようなコマンド&コントロール体制を樹立できるかにかかっている。

今般のCOVID-19は発症前から感染性があり、軽症者、無症状感染者の存在も判明している。より多くの潜在的接触者もいるため、状況に応じては中国のように地域全体のスクリーニングを行わないと封じ込めは難しいであろう。さらに言えば、日本だけで封じ込めても効果は乏しく、世界で同時に行わなければ意味が無い。

大切なことは流行フェーズ毎に、目標がContainmentか、Suppressionか、あるいはMitigationかを考えつつ進めることである[5]。政府側の目標が曖昧だと現場や国民に不必要な対策を強いることになる。パンデミック下の我が国において、本来取るべき戦略は感染者の隔離と接触者の分離の組み合わせによって時間を稼いで、可能な限り健康被害を減らし、ワクチンと治療薬を早期に開発して予防と治療でパンデミックを乗り切ることであったはずである。このために必要で、日本に決定的に足りなかったのは、全体の戦略とその丁寧な説明、病原体の核酸検出による検査機能と、速やかに情報を集約するサーベイランス、そして一刻も早くワクチンと治療薬開発につなげる科学的研究基盤、そして、もっとも大きなものは、それらを行おうという政治的意志と平常時からの準備だったと考える。


6.今後のパンデミックに向けたレジリエントな健康危機管理システム

現在日本は次期新興感染症のパンデミックに向けて、内閣感染症危機管理統括庁、厚生労働省感染症対策部、そして国立健康危機管理研究機構を主軸とした体制を構築しつつある。構造はすでに示されているが(図2)、この図からは健康危機にどのように対応するのかは理解できないし、COVID-19パンデミック時に言われた司令塔不在が新体制でも不在のままのようにみえる。

図2:日本における新興感染症のパンデミック対応体制

 出典:文献[4]

国立健康危機管理研究機構は、現時点では詳細な組織構造や機能は不明であるが、2023年5月31日に参議院本会議で可決成立した法律[3]の第一条(目的)をみると「国立健康危機管理研究機構は、厚生労働大臣の監督の下に、厚生労働大臣と密接な連携を図りながら、感染症並びにそれ以外の疾患でその適切な医療の確保のために海外における症例の収集その他国際的な調査及び研究を特に必要とするもの(以下「感染症その他の疾患」という。)並びに予防及び医療に係る国際協力に関し、調査、研究、分析及び技術の開発並びにこれらの業務に密接に関連する高度かつ専門的な医療の提供、人材の養成等を行うとともに、感染症その他の疾患に係る病原体等の検査等及び医薬品等の試験等を行うことにより、国内における感染症のまん延その他の公衆衛生上重大な危害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態の予防及びその拡大の防止並びに国内外の公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的とする。」とある。基本的に業務の記述であり、危機管理を銘打った組織にもかかわらず、危機管理という言葉は見当たらない。

一方、米国CDCのMission statement[6]をみると、

「CDC works 24/7 to protect America from health, safety and security threats, both foreign and in the U.S. Whether diseases start at home or abroad, are chronic or acute, curable or preventable, human error or deliberate attack, CDC fights disease and supports communities and citizens to do the same.

CDC increases the health security of our nation. As the nation’s health protection agency, CDC saves lives and protects people from health threats. To accomplish our mission, CDC conducts critical science and provides health information that protects our nation against expensive and dangerous health threats, and responds when these arise.」

として、Health Threatsに対して米国民を守るということが明確に示されている。その役割として、1)Detecting and responding to new and emerging health threats、2)Tackling the biggest health problems causing death and disability for Americans、3)Putting science and advanced technology into action to prevent disease、4)Promoting healthy and safe behaviors, communities and environment、5)Developing leaders and training the public health workforce, including disease detectives、6)Taking the health pulse of our nationとされている。

国立健康危機管理研究機構の業務の記述は法律[3]の第二十三条に15項目が記載されているが、研究・開発、政策の提言、人材育成、研修、生物製剤の開発や製造とともに、それらの品質検査と検定業務も記載されているが、CDCのような具体的なサーベイランスと対応に関する記載はない。国立健康危機管理研究機構は基本的には米国CDCをモデルにしたとあるので、おそらくその機能や組織体制は十分調査されていると思われる。世界には多くの米国CDCに相当する感染症対策組織があるが、その組織構造は似通っている。つまり、対策に適した組織構造があると考える。

米国CDC、European UnionにおけるECDC、ドイツにおけるロベルト・コッホ研究所の組織構造をみてみると、基本的に対策指向型および疾病・症候群指向型になっている。すなわち、予防と対応にあたり、急性呼吸器感染症対策、あるいは節足動物媒介感染症対策、性感染症対策等の「個々の対策方法に関する部署」とインフルエンザや梅毒等「各感染症に特化した部署」という二方面からのアプローチをとっており、総論的に対応する部署と各論的に対応する部署が系統的に整理されている。COVID-19発生時を例に出すと、感染者の顔に「新型コロナウイルスです」と書いてあるわけは無く、認識できるのは急性呼吸器感染症であるということのみであるので、まずはここからはじめて、それぞれの詳細な分野に分岐していくことになる。昆虫媒介感染症や消化器感染症とは、症状のみならず、その疫学も感染経路も全く異なるので、発生初期には症候群としての対応が必要になる。一方、原因となる病原体が判明した後は特定の感染症対策の専門部門と協力して行う。多種類の感染症に対し効果的な対策を行うには、その感染症に特化した部署が必要であり、平常時からの継続が重要であるため、平常時には色々な疾患を重複して担当することは効率的ではないのだ。このような組織構造においてはじめて、平常時から危機発生時への連続性が担保できる。


6.おわりに

人類による地球環境の破壊とそれに伴う自然の変化が続く限り、新たな感染症の出現を抑えることは難しく、次のパンデミックも避けられないと思うが、少なくとも今回の「コロナ禍」のような状況になるのは避けたいものである。次のパンデミックの際に、国民の皆様の困難が少しでも減り、医療公衆衛生的な対応をされる方々が我々と同じような苦労を味わうことがないように、国家としてきちんとCOVID-19パンデミックの総括を行った上で、次の健康危機のために準備していただけることを切望する。おそらくこれが、今回設置された内閣感染症危機管理統括庁、厚生労働省感染症対策部、そして国立健康危機管理研究機構の最初の仕事になるものと思われる。

3.結語 

健康危機に対するヘルス・レジリエンスとは、平常時からレジリエントな体制を維持しておくことに他ならない。今般のパンデミックは以前から存在していた日本における課題を浮き彫りにしたものと考えられる。今般の一連の研究において医療体制サーベイランス体制ワクチン接種とそのフォローアップ体制における現状の評価と次のパンデミックに向けての提言を行った。また、あらたな科学的手法として数理モデルウイルスダイナミクスモデルを用いた解析方法は、感染症対策をより戦略的、効率的に行うための貴重なエビデンスとなることも示されている。

次のパンデミックは必ず我々の前に出現する。そして日本人は喉元過ぎれば熱さ忘れると言われる。ヘルス・レジリエンスは国民の生命を守るという国家としての第1の使命である。パンデミック以前の生活に戻りつつあるものの、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)は依然として変異を繰り返して年に2回の流行波を起こしている。いま現在が、今般の提言をもとに、直ちにレジリエントな医療、感染症対策、そして予防接種体制の構築に着手すべき適切なタイミングであると考える。


文献等

[1] 「県民健康調査」検討委員会 - ふくしま復興情報ポータルサイト 
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/kenkocyosa-kentoiinkai.html

[2] UNSCEAR 2020/2021 Report Volume II
https://www.unscear.org/unscear/en/publications/2020_2021_2.html

[3] 衆議院.国立健康危機管理研究機構法案.https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g21109049.htm(2023年11月13日アクセス)

[4] 内閣府.内閣感染症危機管理統括庁について.
https://www.cas.go.jp/jp/caicm/about/index.html(2023年11月13日アクセス)

[5] Wu S, Neill R, De Foo C, Chua A Q, Jung A, Haldane V et al. Aggressive containment, suppression, and mitigation of covid-19: lessons learnt from eight countries BMJ 2021; 375 :e067508 doi:10.1136/bmj-2021-067508

[6] CDC.Mission, Role and Pledge.
https://www.cdc.gov/about/organization/mission.htm(2023年11月13日アクセス)

本提言について

「3.結語」で論じられていた一連の研究成果に関し、徳田安春主席研究員による「レジリエントな医療提供体制の構築に向けて」を公開中です。医療崩壊や科学的根拠の無い投薬、COVID-19重症化のリスク因子としての精神疾患など、パンデミック下の医療提供体制について検証を行っています。

また谷口清州研究主幹、坪倉正治研究主幹、國谷紀良神戸大学大学院システム情報学研究科准教授、江島啓介主任研究員による「データ駆動型のレジリエントなヘルスシステムに向けて」も公開中です。
「サーベイランスの現状と今後の新興感染症対策に向けての強化」 「地域におけるワクチンコホートからの教訓」 「COVID-19の集団免疫レベルの推計モデルの実装と振り返り」 「ウイルスダイナミクスや臨床データを用いた健康危機への備え」の四点より、データに基づく検証と提言を行っています。

よろしければぜひご覧ください。


左記バナーより、これまで公開したReview(論考)の一覧や、プレスリリース記事、イベント動画・資料など、本プログラム関連成果がご覧いただけます。

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