概論
2009年(平成21年)8月30日の衆議院選挙は民主党の大勝となり、鳩山由紀夫氏を首相とする民主党、社会民主党、国民新党の3党連立内閣(民社国連立政権)が誕生した。平野博文官房長官、菅直人副総理・経済財政政策担当大臣、藤井裕久財務大臣 (2009年(平成21年)9月―2010年(平成22年)1月)、党幹事長は小沢一郎氏という布陣であった。
このときの選挙は、与野党とも選挙公約としてのマニフェスト(政権公約)を示して戦ったことからマニフェスト選挙と呼ばれた。選挙前の7月27日に公表された民主党のマニフェストには、消費増税を示唆する記載はなく、鳩山総理自身選挙戦で「4年間は消費税を上げない」と訴えて戦った。このような経緯から鳩山内閣の下では表立っての消費税議論は行われず本人もほとんど関心を持たなかった。
一方で、消費税を巡る議論は禁じなかったため、税制改革の必要性を認識していた藤井裕久(2009年(平成21年)9月16日―2010年(平成22年)1月7日)、菅直人(2010年(平成22年)1月7日―2010年(平成22年)6月8日)両財務大臣の下で、税制改革に向けての理論的な整備は着々と進んでいった。
その背景には、マニフェストに記載した子ども手当など16.8兆円の財源調達が、同じくマニフェストに書かれた歳出削減などでは実現できないことが初年度の予算編成から明確になり、政権内部で、消費増税の議論を模索する勢力が大きくなりつつあったという事情があった。
とりわけ菅直人副総理兼財務大臣は、2010年2月のG7イカルイット財務大臣・中央銀行総裁会合から帰国後、消費増税の必要性を認識し関係者にその意向を伝え、政府税調での税制改革の議論を始める旨指示をした。税制改革に興味を示さない鳩山総理を除く形で、税制改革に向けての具体的な税制や社会保障の在り方などの議論が進んでいった。
このような新たな政治状況の中、財務省は自民党政権下で立法化され国会の意思となった社会保障・税一体改革、附則104条の実現を目指して、様々な仕掛けを水面下で模索した。マニフェストに記載された現実ばなれした政策、財源への甘い認識、官僚排除こそが政治主導と勘違いする稚拙な政権運営などから2010年(平成22年)6月8日に突然の退陣をした鳩山総理だが、後継総理には菅副総理兼財務大臣が就任、税制改革議論は継続されることになった。
鳩山政権時代は、水面下で菅副総理兼財務大臣を中心とした社会保障・税一体改革にむけての議論がそれなりにすすみ、地ならしの1年であったといえよう。
鳩山内閣
平成21年(2009年)9月16日~平成22年(2010)6月8日
2009年(平成21年)9月16日に、自民党から民主党へと政権交代が行われ、鳩山由紀夫内閣が誕生した。財務大臣は、2010年(平成22年)1月7日まで藤井裕久氏、その後菅直人氏。副大臣は、野田佳彦氏と峰崎直樹氏で、2010年(平成22年)6月8日まで続いた。
民主党は衆議院選挙の前(7月27日)に発表した「マニフェスト(政権公約)」において、消費税への言及は一か所に記載するのみであった。後半の政策各論として、「消費税を財源とする最低保障年金を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにする」と記載していた。一方、鳩山代表は選挙戦で「4年間は消費税を上げない」と訴えて戦った。
マニフェストには子ども手当の創設や高校授業料無償化、高速道路無料化など家計重視の政策が並べられ、政権奪取後4年目に必要な政策財源を16.8兆円と試算、この財源として、公共事業見直しなどで9.1兆円、特別会計の剰余金、いわゆる「埋蔵金」活用などで5兆円を手当てするとしていた。またマニフェストと一体の「政策集INDEX2009」には消費税について、「現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します」と記していた。
筆者には、民主党のマニフェスト作りにあたって若手議員から知恵を貸してほしいとの要請があった。そこで、当時東京財団で研究を進めていた[1]給付付き税額控除制度の導入をメインに、そのインフラとして納税者番号制度の整備、所得控除から税額控除へ、税額控除から給付付き税額控除へ、という考え方などをレクチャーした。後日、民主党の「INDEX2009」を見ると、そのすべてが取り上げられており、とりわけ「税・社会保障共通番号の導入」と「給付付き税額控除制度の導入」について新たな項目が設けられ記載されたことに驚いた記憶がある。給付付き税額控除については、その後何度も民主党の会合でレクチャーをすることになる。
93-HA-00-10 民主党. 民主党政策集INDEX2009.(抜粋)2009年(平成21年)7月23日.
一方、自民党のマニフェストは、「改めます。伸ばします。」と題し、「税のあり方も思い切って改革」と、正面からではないにしても消費増税について触れるものであった。
政権交代後の鳩山内閣では、三党連立政権合意の方針の下、「現行の消費税5%は据え置くこととし、今回の選挙において負託された政権担当期間中において、歳出の見直し等の努力を最大限行い、税率引上げは行わない」とされた。
93-HA-00-11 民主党、社会民主党、国民新党. 連立政権樹立に当たっての政策合意. 2009年(平成21年)9月9日.
一方、鳩山首相は就任後、「4年の間に消費税を上げる議論をする必要はないということであり、その先について議論をするなと言っているわけではない」として、将来の消費増税論議は容認した。
税制改革議論を進めることは容認されたので、2009年(平成21年)10月8日、鳩山総理から税制改革についての諮問が行われた。
諮問は、「厳しい財政状況を踏まえつつ、支え合う社会の実現に必要な財源を確保し、我が国の構造変化に適応した税制を構築していく観点から、以下の事項をはじめとして、国税・地方税を一体とした毎年度の税制改正及び税制改革の将来ビジョンについての調査審議を求める。」としつつ、以下の7項目を挙げた。
(1)マニフェスト(「三党連立政権合意書」を含む)において実施することとしている税制改正項目について、その詳細を検討すること。
(2)既得権益を一掃し、納税者の視点に立って公平で分かりやすい仕組みを目指す観点から、租税特別措置をゼロベースから見直すための具体的方策を策定すること。また、税と社会保障制度の適正な運営のための番号制度やその執行体制など、納税者の立場に立つとともに適正な課税を推進するための納税環境整備を検討すること。
(3)所得税の控除のあり方を根本から見直すなど、個人所得課税のあり方について検討すること。特に格差是正や消費税の逆進性対策の観点から給付付き税額控除制度のあり方について検討すること。
(4)間接諸税について、環境や健康等への影響を考慮した課税の考え方を踏まえ、エネルギー課税等については温暖化ガスの削減目標達成に資する観点から、環境負荷に応じた課税へ、酒税・たばこ税は健康に対する負荷を踏まえた課税へ、そのために必要な事項について検討すること。
(5)国と地方が対等なパートナーとして地域主権を確立し、地方の再生を図る観点から、地方税制のあり方について検討すること。その際、国・地方の役割分担の見直しと合わせた税財源配分のあり方の見直し、地方の声を十分に反映する仕組み及ぴ地方税制に関する国の関与のあり方についても検討すること。
(6)法人課税や国際課税等の分野において、グローバル化にともなって生じている世界規模の課題に対応できる税制のあり方を検討すること。
(7)税制抜本改革実現に向けての具体的ビジョンについて検討すること。
93-HA-01-00 諮問. 2009年(平成21年)10月8日.
(3)に格差是正や消費税逆進性対策として給付付き税額控除の検討が明記され、(7)では税制抜本改革実現の一文が挿入された。当時筆者が東京財団で検討していた給付付き税額控除制度の検討が正式に政府税制調査会の審議項目として取り上げられたわけだが、給付付き税額控除を巡っては、今日まで導入に向けての議論が続いている[2]。
93-HA-00-09 東京財団. 税と社会保障の一体化の研究 ―給付つき税額控除制度の導入―2008年(平成20年)4月,
民主党政権では、これまでの与党の税制調査会と政府の税制調査会の機能を一元化し、政府の責任の下で税制改正の議論を行うため、政治家から構成される「税制調査会」を政府に新しく設置した。
さらに、設置された税制調査会には、各府省の副大臣が委員として参加し、多様な税制改正要望が反映できるようにした。また、予算編成過程を抜本的に透明化・可視化するとの方針の下、税制調査会の審議の模様をインターネット中継によりリアルタイムで配信し、議事録や資料も迅速に公表することとされた。
先の諮問を受けて同年12月22日に、民主党政権最初の税制改正大綱である「平成22年度税制改正大綱」(平成21年12月22日閣議決定)が決定された。
93-HA-02-01 平成22年度税制改正大綱~納税者主権の確立に向けて~(抜粋). 2009年(平成21年)12月22日.
概要は以下のとおりである。
「税制の現状」として、
「我が国では、戦後のシャウプ勧告により、公平性を重視するとともに恒久的・安定的な税制を目指すという理念の下に、課税ベースを広く取った直接税中心の税体系への改革が行われました。しかしその後、半世紀以上にわたる変遷の中で、各種の租税特別措置の導入や所得控除の拡大等による課税ベースの縮小、所得課税・資産課税における累進性の緩和など、当初の税制からは相当に形が変わりました。その過程において、税制が複雑になりすぎたり、一部に既得権が生まれたり、あるいは税を払うことでどれだけの恩恵があるのか、すなわち受益と負担の関係が不明確になったりと、納税者から見た『納得』という観点から大きくかけ離れた形になってしまっています。また構造的な財政赤字は、現行税制が税における『十分性の原則』、すなわち社会保障などの必要な財政需要を賄うのに必要な租税収入を確保すること、を満たせなくなっていることを示しています。」とした。
さらに「税制改革の視点」として、
「このような現行税制の抱える問題点を払しょくすべく、厳しい財政状況を踏まえつつ、支え合う社会の実現に必要な財源を確保し、経済・社会の構造変化に適応した新たな税制を構築することは、新しい国のかたちを作るために必要不可欠です。特に税制は『代表なくして課税なし』の言葉に象徴されるように、議会制民主主義の根幹をなすものであり、そのあり方については主権者たる国民、すなわち納税者にとって納得できるものでなければなりません。したがって、税制論議を行うに際しては、常に納税者の立場に立って論議を行うことが必要です。」とした。
一方、消費税については、
「三党連立政権合意において、『現行の消費税5%は据え置くこととし、今回の選挙において負託された政権担当期間中において、歳出の見直し等の努力を最大限行い、税率引き上げは行わない』との方針を示しています。消費税は景気に比較的左右されない税目であり、我が国の基幹税目となっています。一方、消費税には所得が低いほど負担感が強い、いわゆる逆進性が指摘されるところです。逆進性対策として、軽減税率も考えられますが、非常に複雑な制度を生むこととなる可能性があることなどから、『給付付き税額控除』の仕組みの中で逆進性対策を行うことを検討していきます。消費税のあり方については、今後、社会保障制度の抜本改革の検討などと併せて、使途の明確化、逆進性対策、課税の一層の適正化も含め、検討していきます。」とし、増税時期は明示せず、社会保障分野における改革と一体的に検討を行っていくとの方向性だけが示された。
併せて、「専門家委員会を近日立ち上げ、税制全般にわたり詳細な検討を進めます。専門家委員会の議論には政治家も加わります。専門家委員会には、税制抜本改革実現に向けての具体的ビジョンの全体像について助言を求めていくことになりますが、それに当たっては、80 年代以降の世界的潮流の中での内外の税制改革を総括しつつ、検討すべき課題を見出していきたいと考えています。そうした課題の中には、給付付き税額控除の制度設計や国際課税などの実務的・技術的な検討課題もあります。税制調査会は、専門家委員会のこうした助言を受けながら、内閣官房国家戦略室とも連携しつつ、歳出・歳入一体の改革が実現できるよう、税制抜本改革実現に向けての具体的ビジョンとして、工程表を作成し、国民の皆様にお示しします。同時に、国民を代表する政治家が各々国民と議論を交わし、国民の納得を得た上で、工程表に基づき税制の抜本改革を実現します。」とされた。(下線筆者)
その後、民主党政権初めての予算編成作業が行われたのだが、マニフェストに書かれた財源問題の詰めの甘さなどから、ガソリン税暫定税率の廃止やこども手当の実現化に失敗、なんとかこぎつけた予算編成だが、年明けの1月5日、藤井裕久財務大臣は体調不良を理由に辞任した。
清水真人氏の『財務省と政治』(中公新書)には、「甘い財源論の戦犯は小沢一郎氏(党幹事長)で、政権交代後も幻想を引きずったのは藤井裕久氏」という記述がある。
一方で、予算編成を巡るごたごたは、あらためて財源問題の重要性を党幹部に認識させたといえ、国家戦略担当大臣の仙石由人氏らを中心に、消費増税の必要性を主張する動きが出始めた。
藤井氏の辞任を受け、菅直人副総理が財務大臣を兼任することになった。氏は就任直後の2010年(平成22年)1月21日の衆議院予算委員会で「逆立ちしても鼻血も出ないというほど、完全に無駄をなくしたといえるところまでやらなければ、増税はしない」と答弁しており、消費増税議論には当分踏み込まないものと財務省は考えていた。
ところが2月5日・6日のG7イカルイット財務大臣・中央銀行総裁会合からの帰国直後、菅財務大臣は神野直彦氏を財務大臣室に呼び、「消費税の増税は自分が決めたい」と明言した[3]。
実はその直前に、政府税制調査会の下に神野直彦関西学院大学教授を座長とする有識者からなる専門家委員会が設置され、さらに税制にかかる基礎的な問題について議論するため、基礎問題検討小委員会と納税環境整備小委員会の2つが設置されていた。
マニフェストに書かれていない消費増税に向けての検討が始まったのである。
93-HA-03-00 平成21年度第26回税制調査会議事録. 2010年(平成22年)1月18日.
93-HA-05-00 小委員会の設置について. 2010年(平成22年)1月28日.
専門家委員会は2010年2 月に設置され、まずは80年代以降の内外の主な税制改革とその評価及び税制抜本改革を進める上での課題と考え方について議論を開始した。この議論がまとまる(「議論の中間的な整理」の公表)のは、鳩山政権から菅政権に交代した直後の6月22日である。なお筆者も菅政権の下で税制調査会専門家委員会特別委員に就任することとなる。
このあたりの状況については、当時財務副大臣(主税局などを担当)であった峰崎直樹氏と筆者との対談[4]に詳しいのでその記述を参考にする。
峰崎氏は、税調の専門家委員会の設置について、「少人数でいいから筋の通った、マーリーズ報告とかシャウプ勧告に匹敵するものを作ってもらう」ことが目的であったと述べている。
そして、「(菅大臣が)2010年2月にカナダのイカルイットG7から帰ってきて、大転換する。…(中略)…『(来年の予算編成をするためには)やはり消費税を上げなきゃだめだ。自民党も財政健全化法を作って、消費税を上げようとしているから、それに抱きついていこう』という趣旨のお話で、それを受けて専門家委員会に議論をやってもらう。つまり、まず専門家委員会に議論をしてもらって、そこで消費税が必要という報告書を出してもらい、それを受けて消費増税を提起しようとされたわけです」と語っている。
その後菅財務大臣が総理になることを考えると、ギリシャの財政危機問題が取り上げられたカナダ・イカルイットG7財務大臣・中央銀行総裁会合から帰国後の菅大臣の「新たな認識」が、民主党の、そして社会保障・税一体改革にむけての大きな政策転換であったということができよう。
平成22年度所得税法等の一部を改正する法律案などの審議が行われた平成22年2月26日の衆議院・財務金融委員会に置いて、筆者は参考人として呼ばれ、税制改革の必要性を述べるとともに、民主党の考え方である「所得控除から税額控除へ、税額控除から給付付き税額控除へ、さらには手当へ」という考え方について賛意を述べるとともに、「給付付き税額控除制度の重要性を述べた。
93-HA-05-01 第174回国会衆議院財務金融委員会第4号議事録(抜粋). 2010年(平成22年)2月26日.
国民の大きな期待を担って成立した民主党鳩山政権だが、これまでの自民党の意思決定システムを変えようとする試みも中途半端で、民主党鳩山政権の下では、民主党内部の意思決定メカニズムを欠きながらの税制改革議論となっていく。
このような状況の中、沖縄普天間基地問題への迷走発言などから6月2日に鳩山内閣は突然退陣を表明し、菅政権に交代した。
[1] 東京財団『税と社会保障の一体化の研究―給付つき税額控除制度の導入』(東京財団、2008年)
森信茂樹編著『給付つき税額控除:日本型児童税額控除の提言』(中央経済社、2008年)
[2] 森信茂樹編著『給付つき税額控除:日本型児童税額控除の提言』(中央経済社、2008年)
[3] 伊藤裕香子『消費税日記』(2013年、プレジデント社)
[4] 峰崎直樹, 森信茂樹「検証・税制改革の方向と課題: 民主党税制の3年を振り返る」(『月刊税理』、2012年7月号)