R-2022-001
1,「親ガチャ」と「運・才能・努力」 2,「運」・「努力」・「才能」と再分配 3,r(資本収益率)>g(経済成長率)と所得税による再分配 4,バイデン大統領の超富裕層課税の提案 5,岸田総理の「新しい資本主義」の核心は格差への対応 |
1,「親ガチャ」と「運・才能・努力」
若者が使う言葉で「親ガチャ」というのがある。どんな人生に生まれるかは、おもちゃ屋などに置かれているカプセル型のガチャを引くようなもので、自ら選ぶことはできない。貧しい家庭に生まれてくれば、どんなに努力しても報われない、というような意味で使われている。
富裕な家庭に育てば、落ち着いた環境で、十分な教育を受けることができ、優秀な大学に通うこともでき、身に付けた高度な人的資本で自らも裕福になれる蓋然性は高い。こうして格差は子供の教育を通じて再生産されていくことが様々な研究で明らかになりつつある。[1]このような状況が続くと、「外れガチャ」を引いたと思いこむ若者は、「運が悪い」「努力しても無駄」と思い込み、社会の分断化はますます進んでいく。
このような状況を是正するには、企業による賃上げなど市場に任せた「一時分配」では不可能である。国家が、自らの権能に基づいて税制や社会保障を見直す「再分配(二次分配)」を行うしか方法はない。
2,「運」・「努力」・「才能」と再分配
税による「再分配」は、国家の権限に基づく私権への制限なので、何を、どのような根拠に基づいて行うのか、国民に納得してもらうことが必要である。
所得や資産に格差が生まれる要因としては、「運」・持って生まれた「才能」・「努力」の3つが考えられる。
「運」については、たまたま自分の能力を引き出してくれる上司に巡り合った、ビジネスが時流に合致した、失敗の中から偶然成功の卵を発見した(ノーベル賞受賞者の多くがこのようなコメントをしている)というようなことである。それによって得られた所得や資産を国家や社会に還元する(再分配する)ということについては、大方の納得感が得られよう。
次に「才能」だが、これは親からのDNAを引き継ぐ遺伝による部分が大きく、そこから得られた所得について、「ある程度」国家や社会に還元することについても大きな異論はないと思われる。
むずかしいのは「努力」から生み出された所得だ。自らの努力によって得た所得は自らに帰属するという考え方には正当性がある。一方で「裕福な環境では努力がしやすく、そうでない環境では努力もできない」ということを論拠に、「努力」の結果得られた所得も国や社会に(一部)還元すべきだという考え方も強くなりつつある。先述の、「親ガチャ」という考え方が若者の間に広まることへの懸念も、この考え方を支持する。
しかし「努力」をディスカレッジすることは、人々の勤労意欲まで損なうことになりかねない。また「才能」を開花させるためには「努力」が必要だ。したがって、所得税や相続税の税率(再分配の度合い)にはおのずから制限があるべきだということになる。
わが国の所得税や相続税の税率の推移をみると、消費税導入前の1986年には、所得税最高税率は70%、相続税は75%であったが、現在それぞれ45%、55%と引き下がっている。この理由は、経済の成熟化の下で、人々の「努力」「勤労意欲」を引き出すためと説明されてきた。ちなみに米国の最高税率は所得税が37%(レーガン税制前は50%)、相続税は40%である。
このように、経済社会の状況や社会規範が変わるのに応じて、再分配の具体的な設計は変わってくる。
3,r(資本収益率)>g(経済成長率)と所得税による再分配
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、2014年に発刊した「21世紀の資本(Capital in the Twenty-First Century)」の中で、「資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る状況が続いた結果、資本を多く持つ富裕層は、再投資によって富を雪だるま式に増やす。一方、勤労所得は経済成長並みの伸びなので、双方の格差は雪だるま式に拡大する。過去の歴史がそうであり、これは21世紀を通じてさらに拡大する」ことを時系列的に実証した。[2]
わが国では長引くデフレ経済や、日銀の異次元の金融緩和で金利が低く抑え込まれ、一見rが低い水準であるように見えるが、金融緩和で市場にあふれ出たマネーが土地などの実物資産に向かい、資本収益率としてのrは、低迷する経済成長率や賃金の伸びよりははるかに高い水準となっている。米国金利が上昇を続け、急激に進む円安への対雄としてわが国の金融政策の見直しがあれば、r>gの世界はさらに加速する可能性がある。
このような新たな状況における税制の対応について考えてみよう。
富が生み出す配当や株式譲渡益といった資産性所得には所得税が課税される。しかしr>gの世界では、資産性所得への課税だけでは、格差是正に十分とはいえない。仮に資産が毎年3%の収益(資産所得)を生み出すとしよう。そこに40%の所得税をかけたとしても、富裕層の富は毎年1.8%増える(3%×(1-40%))ことになり、増殖していく。
さらなる問題は、先進諸国の所得税は、売買などで「実現した所得だけを対象」にしており、保有しているだけでいまだ実現していない富には、その価値が増えている場合でも課税はされない。つまり所得税で可能となる格差解消は、極めて限定的であるということだ。放置しておくと「社会的な緊張が高まり、スケープゴートを探し始め、極右やポピュリズムを生み出す」(ピケティ氏)可能性がある。
また消費税で対応しようとしても、富裕層は所得に占める消費割合が低く、逆進性があるので、格差是正につながるどころか逆効果になりかねない。
そこでピケティ氏は、これに対応するには、国際協調の下で、「富裕層の資産を時価評価し、それに対して累進課税をかけること」が必要だと主張した。OECDでの協力体制が整った今日、極めて説得力がある主張である。
4,バイデン大統領の超富裕層課税の提案
バイデン大統領は、本年3月の予算教書の中で、資産1億ドル以上の世帯を対象に、所得税負担率(実効税率)が20%未満の場合、20%との差分を、トップアップ税として課税する税制案を公表した。[3]
米国でも、わが国と同様に金融所得への課税は高所得者の勤労所得より低いので、金融所得の多い富裕層は実効税率が低下するという状況(いわゆる「バフェットカーブ」)が生じている。これを是正するため、資産を時価評価して未実現の譲渡益まで含めて所得課税の対象とするという考え方である。対象は、Top 0.01%の世帯(所得10億ドル以上の世帯で、1万世帯前後と推定される)で、10年間に3600億ドルの税収が得られるという。
この税制の背景にあるのは、r>gの世界への対応である。米国有数の金持ちバフェット氏の資産は、自身の投資会社バークシャー・ハサウェイの株式である。同社は配当を一切支払わず、投資利益は有望会社に再投資される。つまりバフェット氏の株式価値は上がり続け富(含み益)は増えるが、保有している限り「所得」は発生しない(実現していない)ので、現行所得税制の下では課税されないのである。結果、富に対する実効税率は、限りなく低くなる。
富・資産の値上がり(含み益)に対して課税できないことは、所得税のアキレス腱と呼ばれてきたが、富・資産を時価評価して課税しようというのがバイデン大統領の新たな税の提案だ。評価の方法も含め、今後大きな議論になる。
5,岸田総理の「新しい資本主義」の核心は格差への対応
岸田政権の下で「新しい資本主義」の議論が始まってほぼ半年、「総論」が語られないまま、科学技術立国の推進としての10兆円規模の大学ファンドの創設や、デジタル、グリーン、人工知能、量子、バイオ、宇宙など先端科学技術分野への支援といった各論だけが先行している。
「新しい資本主義」の総論を考えるとっかかりは、2021年12月の第207回国会における岸田総理の所信表明演説で、「市場に依存し過ぎたことで、格差や貧困が拡大し」「世界では、弊害を是正しながら、更に力強く成長するための、新たな資本主義モデルの模索が始まっています」「我が国としても、成長も、分配も実現する『新しい資本主義』を具体化します」と述べ、「行き過ぎた市場主義」への警鐘を鳴らしたことに見出せる。[4]
市場に依存しすぎたことが格差拡大につながったという点は、新自由主義的な経済運営に対する批判と読める。新自由主義とは、「国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想。資本移動を自由化するグローバル資本主義は新自由主義を一国のみならず世界まで広げたもの」(新自由主義 - ウィキペディアより)ということである。
しかしわが国には、いまだ規制緩和により新たなフロンティアを拡大する分野は多く残っており、資本移動や貿易の自由化によるグローバリズムも、見直しはあるものの、全面否定するわけにはいかない。デジタル敗戦と呼ばれている状況を改革していくには、グローバルな思想や健全な市場競争は不可欠と言え、一方的な市場原理やグローバリズムの否定や、規制緩和に消極的な対応をとることは逆効果と言えよう。
一方で、r>gの状況だけでなく、AIの発達やロボットの労働代替、ギグエコノミーの拡大に伴う所得の不安定なギグワーカーの増加など一層の格差拡大が予想され、さらに冒頭述べたように、家庭の経済環境や教育環境を通じ、格差が世代を超えて固定化する懸念が社会的に大きくクローズアップされてきた。今後人口減少社会が続く中で、前世代の形成した富が世代を超えて引き継がれ、時代を経るにつれ資産の不平等はますます拡大していく。
これ以上の社会の分断を招かないようにするためには、所信表明演説でも述べられている「格差の拡大」にフォーカスし、アベノミクスの「トリクルダウン」に替わる「再分配」政策の必要性を明確に打ち出すことではないか。
その第一歩は、金融所得税制について、一律税率引き上げ(大衆課税)ではなく、金融所得者の多い者を対象に絞り負担増を行うことだ。(税の交差点90回参照)格差を放置せず国家・政府が適切な「再分配」政策で対応することこそ、「新しい資本主義」の神髄であるべきだ。
参考文献
[1] 「保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」(国立大学法人お茶の水女子大学、2018年3月30日)
[2] トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)
[3] Budget of the U.S. Government FISCAL YEAR 2023
[4] 第二百七回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説(2021年12月6日)
マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)『実力も運のうち 能力主義は正義か』(早川書房、2021年)も参照した。
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