一人当たりGDPの推移と時短政策の影響

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一人当たりGDPの推移と時短政策の影響

R-2021-055

岸田首相は、「新しい資本主義」の実現を図るため、「成長と分配の好循環」を掲げている。このうち「再分配」機能を担う最も重要なものは、社会保障や税制であり、この制度の維持や機能強化を図ることは、成長と分配の好循環を促すための前提条件となるはずだ。

しかしながら、巨額の政府債務や恒常的な財政赤字が存在し、少子高齢化が進むなか、社会保障財政の持続可能性が危ぶまれている。このため、消費税率を10%に引き上げる等、社会保障・税一体改革を進めてきたが、財政健全化や再分配機能の強化を図るためには、社会保障や税制のより一層の改革や、改革コストを軽減するための経済成長が重要なことも明らかであろう。

では、経済成長を促進するため、最近の政策議論で抜け落ちているものは何か。このヒントの一つを提示するため、興味深い試算を紹介しよう。それは、「仮に日本における労働者一人当たりの平均労働時間が1990年と変わらない場合、2019年における日本・アメリカ・イギリス等の一人当たり実質GDP(国内総生産)の順位はどうなっていたか」という簡易推計である。

先に推計の結論を述べると、これらの国々のなかで日本は1位となる。以下、簡単にこの概要を説明しよう。

まず、この議論をするためには、約30年前(1990年)における労働者一人当たりの平均労働時間を知る必要がある。OECDデータによると、日本の1年間の平均労働時間は2,031時間だった。アメリカは1,764時間、イギリスは1,618時間なので、日本はそれよりも250時間以上も多く働いていたことを意味する。

このとき、日本の一人当たり名目GDPは約25,895ドルで、アメリカの23,847ドルやイギリスの20,854ドルを上回っていた。しかし、2020年では、日本の一人当たり名目GDP40,088ドルであり、これはアメリカの63,358ドルやイギリスの40,394ドルを下回ってしまっている。

では、いま日本・アメリカ・イギリスにおける1年間の平均労働時間(労働者一人当たり)はどうなっているか。実は、日本は1,558時間、イギリスは1,367時間だが、アメリカは1,731時間であり、アメリカの平均労働時間は1990年頃とあまり変わっていない。日本の平均労働時間が1990年以降に急激に減少した結果、現状ではアメリカの方が日本よりも170時間も多い状況になっている。

では、なぜ日本の平均労働時間は減少したのか。その要因は様々だが、一つの契機は1980年代の貿易摩擦のなかで「日本人の働きすぎ」が欧米諸国の間で批判的課題になり、日本政府が1988年の「経済運営計画」にて、年間の労働時間を一人当たり1,800時間程度とする目標を定めたためだ。この流れのなかで週休2日制が定着し、1992年の時短促進法を経て、1994年には労働基準法の改正より法定労働時間が原則40時間(/週)になった。

では、仮に日本の平均労働時間が1990年と変わらなかったとした場合、2019年における日本・アメリカ・イギリスの一人当たりGDPがどうなっていたか。既述の議論では「名目」で記載していたが、物価の影響を除いた「実質」で比較してみよう。

推計方法の詳細は省くが、図表が筆者の試算結果である。日本の経済力が最も力強かったのは1990年頃のため、図表では、各国の一人当たり実質GDPの推計値が1990年で1になるように基準化して表示している。この図表では「日本」「アメリカ」「イギリス」「フランス」「ドイツ」「スウェーデン」「オランダ」の7か国を掲載している。

図表のうち、太い赤線が「日本(仮定試算)」であり、これは「労働者一人当たりの平均労働時間が1990年と変わらない場合、日本の一人当たり実質GDPがどう推移したか」を表す。2019年をみると、その値は1.58となっている。他方、細い赤線の「日本」は、日本の一人当たり実質GDPの実績の推移を表し、2019年の値は1.28となっている。

すなわち、この図表が示すとおり、1990年と比較して、日本の一人当たり実質GDP1.58倍であり、これはアメリカの1.55倍、イギリスの1.52倍よりも高い。フランスは1.36倍、ドイツは1.47倍、スウェーデンやオランダは1.49倍なので、実はこれらの国々のなかで日本が最も高い値となっている。

逆に、日本の平均労働時間が1990年と変わり、2019年の平均労働時間で試算すると、日本の一人当たり実質GDP1.28倍にしかなっておらず、これらの国々のなかで最下位となってしまう。

さらに面白い試算をしてみた。一人当たりGDPに人口を掛け算すれば、GDPが計算できるので、それで現在のGDPがどれくらい増えるのかという試算だ。日本の場合、1990年と同じ平均労働時間で働けば、簡単な計算で「160兆円増」という結果を得ることができる。岸田政権では「成長と分配の好循環」を目指しているが、実は(かつてのように)日本人が本気になれば100兆円以上の富を生み出すことは簡単なのかもしれない。

小黒 一正

  • 法政大学経済学部教授