6月7日、東京財団政策研究所は日本経済新聞社との共催で、「ポスト・コロナの経済・財政」と題するシンポジウムを行った。筆者も参加したパネリスト討論の中で、財政規律・財政目標について意見交換が行われたが、筆者の感想を書いてみたい。なお、シンポジウムの模様は東京財団政策研究所ウェブサイトにて公開されている開催報告を参照していただきたい。
シンポジウムの中である論者から、「わが国ではデフレ脱却を目的に、金融政策と財政政策を総動員する政策がとられているが、いまだ物価目標やデフレ脱却が達成されない状況が続く。財政政策は、経済情勢やマクロ的な資金偏在とのバランスが重要であり、財政規律は後回しにしてもよい」という見解が示された。
また、政府債務について、「将来世代へのツケという言い方は誤解を招く。そもそも将来世代は政府債務を引き継ぐだけでなく、民間金融資産も引き継ぐので、世代内格差は別として、国債発行の増加自体は大きな問題とは言えない」として、「米国で2%物価目標が達成され、日本や欧州で達成されない状態が続く場合、日本や欧州ではもっと財政刺激をすべきだ、という議論が起こる可能性がある」という指摘もなされた。
デフレ脱却のためは財政政策も総動員すべきで、国債の増発はやむを得ないという発想は、欧米などでも行われているが、わが国では、「これまで財政規律を緩めてここまで国債を増発し借金を重ねてきても、金利の上昇や国債価格の急変など何ら問題は生じていないではないか」という「事実」が根拠として上げられてきた。それに対して「今は日銀の政策が支えているので問題は生じないが、それをいつまでも継続することはできない」と反論しても、水掛け論に終わってしまう。
ポストコロナの国際的な潮流として、新自由主義の退潮、「小さな政府」への反省からの「大きな政府」、国家の役割の再定義に向けた議論が生じている。国家はどこまで国民に対して責任を負うべきかという議論は、ベーシックインカムやMMT(現代貨幣理論)など財政ポピュリズムの広がりにつながっている。
財政拡張政策を支援するMMTという「異教」は、政府と中央銀行を統合勘定とみなすので、政府の国債発行残高のうち日銀が保有している分は相殺(プラスマイナスゼロ)される。国債発行が基本的に国内でファイナンスできる国では、「政府の借金の拡大は国民の資産の増加」ということになり、民間経済に貯蓄の余剰や需要不足があるかぎり、赤字を出して財政政策を行うことが望ましいと説く。
金融政策の有効性を否定し、すべては財政政策だということで、「遅れてきたケインズ主義」という感じだが、この考え方が財政再建不要論の理論的支柱の一つになっている。
このような議論はそれなりに理屈があるのかもしれないが、どこか「大きな違和感」を抱く。それは何だろうか。あれこれ考えた末の結論は、財政というものに対して「リアリティーがかけている」ということである。長年大蔵省・財務省で予算編成に携わってきた筆者の実感からすれば、彼らの財政に対する考え方、とらえ方は、あまりにも予算編成の現実からかけ離れた、いってみれば「バーチャル」の議論のような気がしてならない。
実際の予算編成のプロセスを見てみよう。スタートは6月に閣議決定される「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)だ。そこに財政目標(現在は「2025年度国・地方のプライマリーバランスの黒字化」と「債務残高GDP比の安定的な引下げ」)が書き込まれ、それを受けて予算編成方針が決められる。概算要求基準や12月の予算編成方針が閣議決定され、具体的な予算編成作業に入る。
新型コロナ問題発生前の令和元年度(平成31年度)予算を例にとると、骨太の方針2018をうけて財政改革の工程表が定められた。社会保障関係費については、「2019年度~2021年度の間は、社会保障関係費は実質的な増加分に相当する伸びに収める」とされ、概算要求基準で6000億円と見込まれる社会保障の自然増内で予算編成をすることが決定された。
厚労省や自民党の部会、さらには医師会などの利益団体との折衝が行われ、最終的に官邸との調整を経て、令和元年度予算は、薬価についてマイナス0.51%、診療報酬本体について0.4%増という厳しい予算編成となった。概算要求で6000億円とされた自然増は4800億円に査定され、高齢化による増加分以内に収めるという方針が達成されたのである。
歳入予算(税制)についても同様である。令和元年度予算では、各省から出される税制改正要望(つまり減税要求)を、全体として、租税特別措置である消費増税に伴う住宅ローン減税拡充分の1000億円程度に抑えたのである。また様々な租税特別措置が廃止・縮小されている。
このような厳しい査定が可能なのは、「社会保障費の増加は自然増の6000億円以内に収める」という予算編成の目標、さらにはプライマリーバランス(PB)黒字化などの財政目標があるからである。それがなければ、予算を決めるよりどころはなくなり、与党の部会や圧力団体の要求をそのまま追認することになり、膨張の歯止めはなくなる。
アルツハイマーの新薬が米国で承認され、わが国でも今後の保険適用について話題に上っているが、新薬の値段は年間600万円という。認知症大国のわが国としては、人命救助や介護の負担軽減につながる保険適用の拡大は基本的に望ましい。一方医療保険財政を考えると、新薬を必要な者全員に適用するためには勤労世代の負担増が必要となる。負担が増やせない限り、新薬の保険適用は限定的にならざるを得ない。予算の制約があるからこそ、負担と給付のぎりぎりの選択が迫られる、これがリアルな予算の現場の姿である。
予算というのは、社会保障や、災害から守る公共事業などわれわれの命を守るリアルな政策を数字に表したもので、基本的に税金・保険料など国民の負担により裏打ちされている。
このような視点から見ると、MMT論者などの言う、国債は通貨主権がある限りいくら発行しても大丈夫というような議論は、リアリティーのないバーチャルな議論に思われる。
一方で、シンポジウムでも見られた冒頭のような主張は、「予算編成の現場でのリアルな世界への想像力が欠如している」とか「予算編成の現場を知らない者の空想的な主張」と切り捨てるのも、また正しくはない。
財政再建論者も、今直ちに財政再建を進めよとは言っていないし、それができないことも十分承知している。重要なことは、財政に対する「バーチャル」なとらえ方を「リアル」な予算につなげていくこと、そのつなぎを果たすのが具体的な財政健全化目標・財政規律だということ、だからこそ目標・規律は必要だということだ。
今回、「骨太の方針2021」には、2025年度PB黒字化という財政目標が書きこまれたうえで、その年度内の改定も記述されるようだ。現行の2025年度PB黒字化という財政目標は、従来から、試算の前提となる経済の見方が甘いという指摘がある。
この財政目標の下では、成長率は、2020年代前半に実質2%程度、名目3%程度を上回ると想定されており、潜在成長率も+0.6%程度、全要素生産性(TFP)上昇率もバブル期並みの1.3%程度まで上昇するとするなど、信憑性が薄い。これが、バーチャルな議論を加速させる一因となっており、現実的な試算と財政目標に変えることは賛成である。一方で、現実的な財政目標を決める以上は、それは尊重する必要がある。それが財政のバーチャル化を避けることにつながる。
世界的なポピュリズムの蔓延から緊縮財政への反発という流れが生じているが、わが国の財政は、すでに様々な分野で破綻の兆候が表れている。公的年金制度は、見直しのたびに期待を裏切る「逃げ水」のような制度となっており、勤労者に重くのしかかる医療や介護の負担とともに、若者の将来不安を招いている。
若者にはびこる将来不安という「リアル」な現実が消費を抑えていることが、わが国が経済停滞・デフレから抜け出せない最大の要因だ。税と社会保障を有機的に連動させ、負担と受益の問題の原点に戻り、将来不安を軽減させるような対策をリアルな感性で考えていくことが必要だ。それはまた、リアルな財政とバーチャルな財政を近づけることにつながる。