【第三次小泉内閣】 ・前編:概論、平成17年9月21日~12月25日 ・中編:平成17年12月26日~平成18年7月6日 ・後編:平成18年7月7日~9月26日 |
第3次小泉内閣は、2005年(平成17年)9月21日に発足し、2005年(平成17年)10月31日からの改造内閣を経て2006年(平成18年)9月26日に終了する。
概論
第3次内閣は最後の小泉内閣である。小泉総理は、第1次内閣発足当時から政権において消費税の引き上げはしないと明言していたが、議論自体は解禁したので、プライマリーバランス(以下、PB)黒字化の意味や経済成長と金利の関係(ドーマー条件[1])などの経済理論も含め、「財政規律派」と「上げ潮派」の議論は、党も巻き込んで白熱していった。主要な対立点は、2011年度(平成23年度)のPB黒字化にどの程度の増税が必要となるのかという点と、PB黒字化達成後にも債務残高国内総生産(以下、「GDP」)比を低下させるためにさらなる増税が必要となるのかどうか(それを書き込むかどうか)、という点であった。
諮問会議などでの議論の結果、2011年度(平成23年度)のPB黒字化のために歳出改革だけで対応できない額(要対応額、増税額)は2-5兆円ということで「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」(以下、「骨太の方針2006」)での決着がついた。この金額は、PB黒字化のために必ず消費増税が必要というわけではないことを示している。この点「上げ潮派」の勝利ともいえるが、一方でその後2010年代半ばまでの期間、債務残高GDP比の発散を止め安定的に引下げることも明記され、増税の必要性が明示的にではないにしろ示された。この点は「財政規律派」の勝利といえよう。清水真人氏は、このような経緯で出来上がった「骨太の方針2006」を、「ガラス細工」と表現している[2]。
このように、「骨太の方針2006」に結集された小泉時代の消費増税議論は痛み分けの決着となり、政局含みで次期政権に持ち越されていった。自民党、政府(経済財政諮問会議、財務省)の中でこれだけ政策論争が行われたこと、またそのエネルギーがあったことは特筆すべきことである。
一つ成果と筆者が考えるのは、「上げ潮派」、「財政規律派」の共通認識として、公共事業の安易に増やすことなどによる景気拡大といったケインズ政策が否定されたことだろう。この点に小泉時代の財政政策の最大の特色がある。
第三次小泉内閣
平成17年(2005年)9月21日~12月25日
2005年(平成17年)9月11日の郵政解散、衆議院総選挙を経て、9月21日に第3次小泉内閣が発足した。発足40日後に内閣改造を行い、10月31日に経済財政担当大臣が竹中平蔵氏から与謝野馨氏に交代し、竹中氏は総務相に横滑り、財務相には谷垣貞一氏が就任した。党側は、中川秀直政調会長、柳澤伯夫自民党税調会長となった。経済財政諮問会議の司令塔が交代したことが、議論にどのような変化をもたらしたのか、大変興味深い論点である。それまでほぼ一枚岩であった竹中氏と民間議員、とりわけ本間・吉川両氏との間に隙間風が吹き始めたのはこの人事異動のせいではなかろうか。
「財政改革研究会」報告書の公表
選挙の前後に、党側で大きな動きがあった。財政再建について、歳入面での議論が進まないという認識を持った「財政規律派」は、2005年(平成17年)2月28日、与謝野政調会長(当時)自らがトップとなり、柳澤伯夫氏が座長という布陣で「財政改革研究会」を立ち上げ、消費税の社会保障財源化などの議論を始めたことはすでに述べたところだが、7月の柳澤ペーパーを経て10月25日に「中間報告(中間とりまとめ)」(89-KO-04-00)の公表にこぎつけた。内容をかいつまんで説明すると以下のとおりである。
- 政府は平成18年(2006年)の半ばを目途に歳出・歳入一体改革の選択肢と工程を明らかにすることとしたが、「中間とりまとめ」はそこにむけての財政改革プランの重要なステップと位置づけられるものである。
- 財政赤字と債務残高の縮減のためには、歳入面の増収策が必要となるが、税と保険料負担をあわせた国民負担率については、現在の潜在負担率(45%)程度を目安とし、仮にその上昇が避けられない事情が生じた場合にも、わが党の政権公約で掲げた50%以内に止まるように負担増に歯止めをかけるべきである。
- PB均衡はあくまでも財政改革の「入り口」でしかない。債務残高(GDP比)の引下げにつなげるためには、その後も一定のPB黒字(例えばGDP比で2%程度)を確保しなければならない。
- 高齢化で増加が避けられない社会保障費の見積もりとそれをまかなう歳入(税制)を「一体的」に議論する必要があり、社会保障費の高騰の可能性を踏まえると、「2010年代初頭」という目標時期の前倒しの必要性がある。
89-KO-04-00 財政改革研究会報告(案)(中間とりまとめ). 2005年(平成17年)10月25日.
経済成長が進めば歳出削減だけで財政再建が可能(増税は不要)とする「上げ潮派」に対し、「2010年代初頭のPB黒字化」は財政再建の第一歩であり、さらなるPBの黒字化や高齢化に伴う社会保障費の調達のための財源確保のために税制改革(増税)が必要とする「財政規律派」との論点の相違、意見対立が明確になった。
筆者も財政改革研究会に講師として呼ばれ、消費税の税としての性格や逆進性対策としての給付付き税額控除などについて説明したことがあるが、自民党の会議室にマスコミ関係者や各省の幹部などがぎっしりと詰めかけ、熱気あふれる議論が行われていたという印象がある。またその頃研究会で議論されていたのは、消費税を2009年度(平成21年度)に2%程度引上げ2011年度(平成23年度)のPB黒字化を達成、その後の状況を見つつ2015年度(平成27年度)ごろに10%に引上げ財政再建を図るというシナリオを念頭に置いていたと記憶している。
もう一つ大きな動きは、谷垣財務相が、新内閣発足直後の記者会見(10月31日)で、「平成19年(2007)年度に消費税を含む税制改革を行うには、2006年6月ぐらいには一定の方向感を出し、2007年通常国会に法案の提出を行う必要がある」旨の意向を表明したことである。
これに対して増税の前に歳出改革が必要という立場の中川政調会長・竹中平蔵大臣が反発、「上げ潮派」と「財政規律派」の議論は激化していく。
増税時期を巡る駆け引き
このころの経済界の雰囲気を知るには、経済同友会会長の北城恪太郎氏の以下のコメントが参考になる。「歳出改革と増税のタイミング、規模を具体的にどう組み合わせていくのかという点について、来年度(2006年度)の予算で、歳出削減全てに目処をつけて、2007年度に消費税増税の必要があるという話であれば、一つの考え方だとは思うが、2006年度に全て解決できるような切り込み、法案の改正ができるかというと、そこまで進んでいないようだ。」
このような状況の中で、11月9日、新体制最初の経済財政諮問会議(89-KO-05-00)が開かれた。
議論となったのは「プライマリーバランス2010年代の初頭に黒字化」への到達の手順である。PB均衡は財政再建が進んだとはいえず、一定の黒字の確保が必要なのかどうか、その規模はどの程度なのか、これを増税なしに進めようとすれば相当高い成長率(これによる自然増収)を見込まなければならずそれは現実的か、などの論点である。高い名目経済成長率のもとでの税の自然増収をあてにしつつ消費増税のシナリオを封印する竹中氏をはじめとする「上げ潮」路線に対して、与謝野氏をはじめとする「財政規律派」の巻き返しが始まり、意見集約には程遠い状況であった。
これに対して竹中総務大臣は、「一番バッターがデフレ、そして歳出の削減、その上で国民の負担を求めなければならないかどうか。そういう手順が大変重要であろうと思う。」と発言、最後に小泉総理が「諮問会議と党が一体となって改革を続行していかなければならない。」と締めくくった。
89-KO-05-00 経済財政諮問会議議事録(平成 17 年第 24 回). 2005年(平成17年)11月9日.
意見の集約が十分なされないまま、2005年(平成17年)12月15日の平成18年度税制改正大綱(89-KO-06-00)が決定された。この中で「平成19年度を目途に消費税を含む税体系の抜本的改革を実現すべく取り組んでいく」とされ、今後、この考え方(ここまでの合意)に沿って様々な作業が進められていくこととなる。一方、2007年(平成19年)の通常国会への法案提出は事実上断念したと受け止められた。
89-KO-06-00 自由民主党, 公明党. 平成18年度税制改正大綱(抄). 2005年(平成17年)12月15日.
[1] PBが均衡している下では、名目GDP成長率が名目金利(長期金利)より高ければ、公債残高対GDP比が低下するので財政破綻は起こらないという定理。米国経済学者エヴセイ・ドーマーによって提唱された。
[2] 「消費税 政と官との『十年戦争』」(新潮社、2013年)