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【論考】消費税は血と汗の結晶、歴史を忘れたポピュリズム政治の危うさ―連載コラム「税の交差点」第142回
June 23, 2026
■4月10日に、森信茂樹シニア政策オフィサーは、佐藤主光上席フェロー、土居丈朗上席フェロー、小黒一正上席フェローとともに、政策提言「『給付付き税額控除』の導入に向けた具体的な制度設計」を発表いたしました。詳細はこちらをご覧ください。
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超党派の社会保障国民会議は17日、実務者会議を開き、議長(自由民主党の小野寺五典氏)が食料品の消費税率を2027年4月からの2年間1%とする案を示した。1%分の税収に当たる6000億円を原資とする新給付制度を27年秋に始めることも提案、衆院選公約との整合性を重視し、消費税の「実質ゼロ化を実現する」と記した。
先般の総選挙では、チームみらいを除く各党がこぞって減税を掲げた中での今回の提案だが、この議論には決定的に欠けている視点がある。
それは「現実」と「歴史」である。その2つの視点から、消費税減税を考えてみたい。
まず「現実」だ。社会保障国民会議実務者会議のヒアリングでは、減税に対して切実な影響を受ける現場ほど、強い懸念を示した。
小売業界は、レジや基幹システムの改修に伴う膨大なコストと現場の混乱を訴えた。レジメーカーやIT事業者は、税率変更への対応には相応の準備期間が必要であり、人材不足によって実務が滞る可能性を指摘した。とりわけゼロ税率への移行は、1年程度の時間がかかり、これが税率1%案に変更した理由だ。
農業や中小の食品事業者は、仕入税額控除の構造により消費税還付となり、申告・還付までの間、資金繰りが圧迫されると懸念した。また70万者を超える免税事業者が課税事業者になることの困難性も指摘された。
外食産業は、内食との税率格差が一層拡大することで、需要そのものが歪められるとして、その悪影響に懸念を示した。またテイクアウト(1%)とイートイン(10%)との区分の問題や対応の負担も指摘された。
財界や地方自治体の懸念はより本質的かつ深刻だ。消費税は社会保障と地方税財源の柱であり、その減収は国民の社会保障サービス提供の根幹を揺るがす。代替財源なき減税となれば、国債発行の増加、金利上昇という形で国民生活に跳ね返る。この問題は、国家の持続可能性、円の信認の問題につながっていく、との指摘がなされた。
経済学の観点からも懸念が示された。消費減税が価格にそのまま転嫁される保証はなく、企業の価格設定によっては効果が相殺される可能性がある。コストが上がりインフレ気味の経済の下では、需要刺激策となりインフレを助長する危険すら指摘された。
これほど多方面から警戒の声が上がった「現実」があるにもかかわらず冒頭の案が提示された。ヒアリング対象者からの懸念には一切説得のある回答はなされないままだ。
なぜ政治だけが前のめりになるのだろうか。選挙に有利だからということで安易な公約を、チームみらいを除く与野党が総選挙で訴えたからで、この消費税減税が実現するとすれば、それは与野党の合作ともいうべきものだ。事業者などの懸念が「現実」となった際の責任は彼らにあるというべきだろう。
次に「歴史」だ。消費税ほど「選挙と正面から衝突してきた政策」は、戦後日本にはない。
1979年、大平正芳内閣は税率5%の一般消費税構想を掲げて総選挙に挑んだ。自民党は大敗し過半数割れとなり、党内抗争が勃発、翌年の衆参同日選の最中に大平首相は急逝した。
次は中曽根康弘政権(1987年)の「売上税」法案だ。「投網をかけるような大型間接税はとらない」と選挙公約で明言し圧勝したが、その後「売上税」を提案したことから公約違反と激しい批判を受けた。引き続く参議院議員補欠選挙や統一地方選挙では敗北、その結果法案は廃案に追い込まれ、中曽根氏は退陣を余儀なくされた。
中曽根総理が後継に指名した竹下登総理は、国会での両院合同協議会の設置など与野党協議という根回しの手法を使って、1989年(平成元年)4月に自らの進退と引き換えに消費税法案を成立させた。しかし直後の参議院選挙で自民党は大敗し、ねじれ国会となった。日本社会党の土井たか子党首が「山が動いた」とコメントしたのがこの選挙だ。
ちなみに長く自由民主党税制調査会を仕切り消費税導入の事実上の責任者である山中貞則氏は、直後の選挙で落選した。
選挙後の国会では野党から消費税廃止法案が出された。これに対し自民党は、食料品小売段階非課税などの対案を出し、ねじれ国会の下で両案とも廃案となり、かろうじて消費税は維持された。
細川護熙政権では1994年に唐突な「国民福祉税」構想がとん挫し、自らの退陣の遠因となった。
その後民主党に政権が交代した。野田佳彦政権(2012年)は、3党合意という形で「社会保障と税の一体改革」をまとめ、消費税率を8%、10%へと段階的に引き上げる法案を成立させた。しかし増税に反対する小沢一郎氏らの離党などで党内が分裂し、2012年12月の衆院選で民主党は壊滅的な敗北を喫して下野した。
この「歴史」が示しているのは明確だ。消費税は、政権の命運を左右する劇薬である。そこには、政治家の落選という「血」、世論と国会を説得するための「汗」、制度を維持するための高度な政治技術という「知恵」が積み重なっている。消費税という制度は、決して軽々しく動かしてよい政策ではない。国家の運営そのものを支える根幹だからだ。にもかかわらず、現在政治の場で行われている議論は、選挙で公約したという理由だけで突っ走っているように見え、あまりにも軽薄だ。
様々な事業者や経済界の危惧する「現実」、財政の持続性、経済への副作用などは十分に咀嚼されているとは言い難い。「歴史」の重みを忘れたまま意思決定が行われようとしている。政治が歴史を忘れるとき、政策は必ず誤る。そしてその代償を払うのは、常に国民である。
もちろん、物価上昇への対応として国民負担をどう軽減するかは重要な課題である。しかし、その手段が消費税減税であるべきかどうかは、全く別の問題だ。消費税は、導入も増税も、すべて痛みと引き換えに実現してきた政策である。そこには、政治の覚悟があった。現在の議論に、その覚悟は見えるだろうか。