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第1回 村上道夫(大阪大学)「安全の拠りどころはどう決まる?〜みずからリスクを考える」未知みちる水のインタビュー

July 1, 2022

R-2022-019

未来の水を担う次世代、とりわけ高校生のみなさんに、知っているようで知らない水にまつわるお話を、研究者の視点からお届けします。水に関わる研究者は、どんなきっかけで水分野に出会い、今の研究に取り組むようになったのでしょうか?そこには、身近な疑問や10代の頃の経験、学びの過程で出会った本などが大きな影響を与えているかもしれません。ご自身の著作をベースに今の研究に携わるきっかけや次世代に伝えたいメッセージをお話いただきます。

根拠を知ることで、それぞれの「基準値」の意味について...
研究はそれだけで完結するのではなく社会実装することに意義...
ものごとが決まる仕組みを考える人が増えると...
もっと知りたいあなたに!村上さんのお薦め本
訪ねてみよう!村上さんお薦め水名所:東京都文京区根津・藍染川暗渠

1回 安全の拠りどころはどう決まる?〜みずからリスクを考える 

お話:村上道夫さん(東京財団政策研究所「未来の水ビジョン懇話会」メンバー/大阪大学感染症総合教育研究拠点 特任教授(常勤))

1回のテーマは「基準値」です。日々使う水道水の水質基準、食品の賞味期限・消費期限、飲酒運転の基準など、私たちの身の回りにはさまざまな基準値があふれています。生活の中で安全の拠りどころとなる数値がどのように決まっているのか、そしてそれらの数値から社会を読み解く面白さを「基準値のからくり安全はこうして数字になった」(講談社ブルーバックス、共著、2014年)の著者である大阪大学の村上道夫さんに教えていただきました。

村上道夫:工学(博士)。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了後、同大学総括プロジェクト機構「水の知」(サントリー)総括寄付講座特任講師、福島県立医科大学医学部健康リスクコミュニケーション学講座准教授等を経て、2021年8月より現職。専門はリスク学、衛生工学、環境学。大規模集会における感染リスク評価や災害後のマルチプルリスク評価、コミュニケーションに関する研究、教育と社会実装に従事。2022年4月より東京財団政策研究所「未来の水ビジョン懇話会」メンバー

根拠を知ることで、それぞれの「基準値」の意味について考えてもらいたいと思っています。

―村上さんがこの本を書いたきっかけを教えてください

私たちの身の回りには生活の安全を確保するために設けられた基準値がたくさんあります。2011年3月11日に起きた東日本大震災の際に発生した福島第一原子力発電所事故の後にも、飲食物中の放射性物質の暫定規制値が政府から示されました。その基準値はどのように決まっているのか?と考え、根拠を調べ始めたのが、私が環境分野からリスク学に深く踏み込んだきっかけです。リスク学では、将来何か悪いことが起こる可能性に対して、どのように対処していくかを扱います。この本では、放射性物質だけではなく、水道水、生態系保全といった水環境分野から、食品、大気環境、危険物からの距離、交通安全の基準値まで幅広く扱っています。

―2011年当時の報道では、放射性ヨウ素の基準値を超えるものを食べても「ただちに影響はない」と繰り返されていたのが印象的でしたが、数値の根拠は明らかにされていたのでしょうか?

根拠はあったのですが、調べていくと、とても複雑な仮定に基づいていることがわかってきました。例えば、飲食物中の放射性ヨウ素(以下、ヨウ素)の基準値は、放射性崩壊によって日が経つごとに濃度が減少する仮定に基づいていました。原発事故でヨウ素が放出された日からヨウ素の濃度は減少し続けて、100日も経てばほとんどゼロに近くなるという想定です。その時の最初の濃度を基準値として適用したわけです。でも、もし減少を仮定せず、毎日最大濃度のヨウ素を摂取すると考えると、被ばく量は30倍も高くなります。(図1

 1 飲食物中の放射性ヨウ素131の基準値の算定方法 

左:濃度の減衰を考えた場合(実際の基準値の決め方)、右:濃度が一定と考えた場合
出所:『基準値のからくり』(講談社ブルーバックス、2014年)p114掲載のグラフをもとに村上道夫氏作成

―グラフのブルーの面積が、それぞれの場合のヨウ素の摂取量に比例するということですね?

はい。より正確に言えば、濃度(ベクレル/kg)に1日あたりの飲食物の摂取量(kg/日)をかけ、それを1年分合計したものが、1年間でのヨウ素の摂取量です。通常時の水道水の化学物質の基準値の場合など、一般的には右のグラフのように同じ濃度のものを一生涯摂取すると仮定するので、左のような今回の例は特徴的ですね。その一方で、汚染された飲食物を100%食べるという仮定で算出されており、輸入を含め多様な選択肢がある現実とはかけ離れていました。このように、ヨウ素の基準値ひとつを取ってみても、リスクが大きい側の仮定と安全を見込んだ仮定が混在していました。 

飲料水で考えると、汚染された水でも日が経てば放射性物質はどんどん減っていくので、減った数値で計算すると聞くと、住んでいる場所や処理の状況に関わらず必ず減っていくのか不安な気持ちになりますね。一方で、飲む水や食べ物の全てが汚染されていると仮定するのは行き過ぎという感覚もあります。

このケースでは、「基準値を守って飲食物を摂取しても、自分や自分の家族が本当はどのぐらい被ばくしているのかわからない」と感じました。そこで公表されていたデータを元に、摂取量を計算してみたところ、原発事故が起きなかった場合に1年間で飲食物から摂取する平均的な量(自然界に由来する放射性物質)と比較して、1年間で上乗せされる量は数%程度とわかりました。 

―基準値の根拠を知る意義はどこにあるでしょうか? 

基準値の根拠を調べるプロセスは、ミステリの謎解きのようで非常に興味深いものでした。なぜその数値になったのか?を突き詰めていくと、どうしても単なるピュアサイエンスでは片づけられない、「このぐらいを安全とみなしましょう」といった社会としての合意に基づいた数値の決まり方が出てきます。 

―ピュアサイエンスは直訳すると「純粋な科学」ということですが、数値で現象を説明するだけでは基準値は決まらないということでしょうか?

はい。ピュアサイエンスすなわち「かたい科学」に対して、いわば「やわらかい科学」とも言える社会の価値観、合意形成などがそこには含まれてきます。多くの場合は、これ以下なら何も問題が起きない、という単純なことがらではないのです。どのくらいなら安全と見なすのか、といったことは、社会の価値観というか、私たちが生きたいと思うような社会のあり方によりますよね。

 ―なるほど、解き明かす面白さがあるということですね。実際に役立つ点もありますか?

基準値の根拠を知っていると、「基準値を超える」ことの意味も各基準によって大きく異なることがわかります。摂取するとすぐに人体に影響が出る「急性毒性」の基準値なのか、長期間に渡って摂取し続けた場合に影響が出る「慢性毒性」の基準値なのかによって、1回基準値を超える量を摂取することの意味はまったく違ってくるわけです。 

―それは根拠を知っているかどうかで対応も大きく変わりますね。私たちも専門家が決める基準値を守るだけではなく、基準値の意味を自分たちでも考える必要がありますね。

どのくらいを安全と見なすか、という議論にはさまざまな人々の意見を反映させることがとても大事です。また、安全以外の観点もあります。例えば、水道水の水質基準の中に亜鉛の値がありますが、1リットル中1mgを超える亜鉛が含まれると沸騰させたときに水が白くにごってお茶の味が損なわれることから基準値が定められています。これは、私たちが、水に対して安全かどうかだけでなくて、お茶の味が損なわれないようなことも大事だという価値を持っているから定められたといえます。そういう意味では、基準値は、単に専門家が決めて人々が従うものというよりも、社会に生きるいろいろな人が関わり、さまざまな価値観と照らし合わせながら作り上げていくものなのだと思っています。 

研究はそれだけで完結するのではなく社会実装することに意義があり、また社会のあり方で研究も変化していくのだと思います。

―もともと水に関わる研究を始めたのはなぜですか?

あまり深く考えていたわけではないので、後知恵的ですけれど、そういえば多摩川でバーベーキューをするのは好きだったなあと思います。そういう意味では水辺に親しみを感じていたことが関係したのかもしれません。

学生の頃から、計算して答えが出るものだけではなく、そこに人の考えや価値観とどのように関わっているかに興味がありました。東京大学に進み、大学2年生になって専攻を選ぶ際に、工学部の中で人間の価値観やそれによって形作られた社会と直接関係する領域を学びたいと考えて、都市工学科環境・衛生工学コースに進みました。そこで蓋を開けてみたら、環境・衛生工学の中心は水だったということです。 

東京大学工学部学科一覧(2022年現在)

社会基盤学科

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航空宇宙工学科

物理工学科

化学システム工学科

都市工学科

精密工学科

計数工学科

化学生命工学科

機械工学科

電子情報工学科

マテリアル工学科

システム創成学科

出所:東京大学工学部ウェブサイト(http://www.t.u-tokyo.ac.jp/foe/department)をもとに著者が作成

−これから取り組みたいテーマ、研究について教えてください

これまで、環境中の化学物質の管理の研究から、放射性物質や暮らしの変化に伴う健康リスク、スポーツやフェスティバルなどでの新型コロナウイルス感染症のリスク評価まで、社会的な課題の研究テーマに取り組んできました。その中で、得られた研究成果を社会的課題の解決につなげることの重要性を強く思うようになりました。また、社会のあり方から、自身の研究のありようも変化を遂げてきたように思います。その一方で、どのような研究テーマに取り組むかというのは、自分自身が抱く強い関心とか、自分が生きたいと思うような世界観に沿っているかといった、自身の価値観に大きく依存するようにも思います。それは、多分、これまでに見聞きしたり、接してきたりした方々の考えに触れながら、これが大事だ、と思うものが自分の中で育ってきたのだと思います。

そういう意味では、私たちが生きたいと思う社会ってどういうものなのか、平たくいえば、幸福な社会って何か、といったことに関心を持っています。リスク学の枠組みでウェルビーイング(幸福度)を評価する研究は今後も発展させていきたいです。 

−「幸福」というと、個人の主観に依存する部分が大きいように思いますがどうやって測るのですか?

幸福度の評価にはさまざまな指標が用いられますが、「今日幸せか?」「生活に満足しているか?」といった本人の主観的な幸福だけではなく、「自分の行為にやりがいがあるか」といった、心理学的によい機能の充足度合いから規定するケースもあります。表情などの計測と主観的幸福度の関連についても評価するアプローチも行われています。

福島では、避難されていた方の中で、その後故郷に帰った人や帰還しないと決めた方の幸福度が高いけれども、決めかねている状態にある方の幸福度が低いということがわかっています。  

ものごとが決まる仕組みを考える人が増えると、社会としての意思決定の変化につながる

−村上さんが、若い世代にぜひ知ってほしい水の秘密はありますか?

水道料金について、料金の決まり方や料金が自治体によって違うことを知っていたり、自分の住んでいる町の水道料金を即答できたりする人は少ないのではないでしょうか。水に関心を持つ糸口として知ってほしいなと思います。

今、日本では同じ量の水を使っても自治体によって料金に10倍近い差が出ることもありますし、実は使えば使うほど単価(1リットルあたりの料金)が上がるということも知られていないですよね。また世界的にも水道料金には幅があります。考えてみると「なぜ?」と感じることが多いですし、今後の水道インフラの維持に直接関わってくるので、根拠を知ったり、知識を掘り下げたりしていくことが重要だと思います。もちろん、全員が水道料金に関する知識を持っている状況にはならないかもしれません。しかし、知識や関心を持っている人がいる社会とそうでない社会では、集団としての意思決定も変わってくるのではないでしょうか。水道料金は身近な一例ですが、何事にもそのような集団知が「文化」というものを形作っていくのではないかと思いますし、今高校生のみなさんがまさにその「文化」を担っていくのだと思います。

もっと知りたいあなたに!村上さんのお薦め本

沖大幹 著「水危機ほんとうの話」(新潮選書、2012年)

へえ、なるほど!という気づきから、明確な答えの出ないことまで触れられており、水と私たちの社会の関係を網羅的に知ることができます。著者の考えや知の深みが随所に盛り込まれ、登場する人物それぞれに人柄がわかる具体的なエピソードが語られていて、臨場感を味わいながら面白く読み進めることができるのも魅力です。科学ってこんなに懐が深いんだ!と感じさせてくれます。

  

中西準子 著「環境リスク学―不安の海の羅針盤」(日本評論社、2004年)

社会実装の重要性に改めて気づかされた本です。この著書では、下水道に関することから研究成果の社会実装に至るまで、迫力とともに紹介されています。内容も多様で、多角的な視座を得ることにもつながると思います。研究者って、リスクって、こんな面白いんだ!と何度読んでも勇気づけられます。

  

五十嵐泰正 著「みんなで決めた『安心』のかたち―ポスト3.11の『地産地消』をさがした柏の一年」(亜紀書房、2012年)

東日本大震災後、ホットスポットとよばれるようになった千葉県柏市で、放射性物質の基準値についてローカルルールを設定した約1年間の取り組みの記録です。関係者の「納得」と「満足」に基づくルールづくりの過程、数値そのものよりも過程がもたらす意義と地域への波及効果、そこに社会学者が果たす役割が描き出されています。読後には、さわやかな感動すらあり、そういったところも私が著者に信頼を寄せる理由のひとつです。 

訪ねてみよう!村上さんお薦め水名所:東京都文京区根津・藍染川暗渠

道路の下に蓋をされた藍染川が流れています。水のない風景ですが、道のカーブからかつて地上にあったであろう水の流れを想像したり、そこに至るまちの歴史を知ったりする面白さを当時同僚だった中村晋一郎氏(現名古屋大学准教授、東京財団政策研究所主席研究員)に教えてもらいました。

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