「未来の水ビジョン」懇話会13「リスク学における社会実装とその実践」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

「未来の水ビジョン」懇話会13「リスク学における社会実装とその実践」
画像提供:getty images

「未来の水ビジョン」懇話会13「リスク学における社会実装とその実践」

September 19, 2023

R-2023-046

「未来の水ビジョン」懇話会では、科学技術と社会の関係性において社会実装の重要性が認識されている中、リスク学における社会実装の実例を通して、これからの社会実装や社会にとっての研究のあり方について議論を行う。2022105日 東京財団政策研究所にて)

Keynote Speech(概要)
「リスク学」とは何か?
リスク学における社会実装の意義と課題
被災地での社会実装の事例
災害後の地域密着科学
COVID-19以降の社会実装の事例
社会実装の鍵
さらなる議論

Keynote Speech(概要)

村上道夫 東京財団政策研究所 研究主幹//大阪大学感染症総合教育研究拠点科学情報・公共政策部門 

「リスク学」とは何か?

リスクとは、「脅かすもの」と「守りたいもの」の組み合わせによって決まる[1]。したがって、人々や社会が持つ価値観によってリスクは変わる。例えば、気候変動で社会を脅かすものが変わるが、一方で人々が守りたいと思っている価値観が変われば、リスクも変わる。

リスク学(リスクの取り扱いをめぐる意思決定に関わる科学[1])は「認識科学(目的や価値を切り離して自然や理論を探究する科学)」よりも「設計科学(目的や価値の実現を目指す科学)」に軸足を置いた科学である[2]。よって、リスク学に本質的に求められるのは、「価値」に関する議論と研究の社会実装である。ここでの社会実装は、技術などの商品化というよりも、知見の社会への普及、政策やリスク管理などへの貢献、ステークホルダとの対話と協働を中心として扱う。

リスク学における社会実装の意義と課題

社会実装は、研究者と研究分野への社会的信頼を向上し、科学と技術としての責任を果たすという点でも意義がある。また、それらの行為は高い倫理観で支えられてほしい。社会実装を通して研究者間や研究者と住民間などの対立を防ぐことにもつながる[3]

研究者自身にとっても社会実装は、地域が持つ価値やニーズを知る場となり、現場での調査活動の継続・発展に寄与するといった意義があるが、そのためには社会実装の取り組みを学術的な成果として評価する体制の構築や文化の醸成が重要である。

社会実装における課題としては、以下の3つが挙げられる。

  • 政策支援・市民へのアウトリーチ:政策や対策に結び付けるうえで、どのように科学的知見を届けるか。
  • 課題の優先順位づけ:どのような課題を、どのようなタイミングで、どの程度注力して解決するべきなのか。
  • 科学への信頼の獲得:人々の科学に対する信頼をどのように獲得・醸成するのか。

これらの課題へのアプローチとしては、トップダウン型(広域展開科学)とボトムアップ型(地域密着科学)があると考えている。

広域展開科学のアプローチとしては、たとえば、権威のある報告書等への論文の掲載に伴う政策への反映や首長へのレクチャー、行政官らとのやり取り、マスメディアを介した発信、書籍の出版などが挙げられる。研究対象として取り組まれる社会課題の優先順位づけは、社会のニーズをくみ取る研究者の現場感・センス・世界観に依存する傾向がある。また、研究者が発信する科学的知見が、受け手の価値観や世界観とあわない場合、信頼されない場合もある。

一方で、地域密着科学のアプローチには、住民との個別対話やコミュニティ内での協働活動、リエゾン・専門職(保健師等)への出前授業などがある。丁寧で地に足の着いた活動によって、科学的知見が伝わったり、協働につながったりしやすく、どのような社会課題や価値を人々が重要と認知しているかを理解しやすい。価値を共有することで、科学への信頼が生まれ、課題解決の協働につながるケースが多い。

被災地での社会実装の事例

ここからはいくつか私が関わった社会実装の事例を紹介したい。

1つ目は保健師らに向けた出前講座の事例である[4][5][6][7]。保健活動において必要な知見や技能を付与することを目的に、福島県保健師現任教育の枠組みと連携して2012年度から年におよそ10回、200名程度を対象に出前講座が実施された。私は2017年度から代表を務めた。その育成効果を科学的に評価することで、研究と地域活動の両輪を回すことを目指した。評価の結果として、ヘルスリテラシーの講義を受けた人の方が、リスクコミュニケーションの技能が高いことなどが分かった[6][7]。また、習得した技能を効果的に定着させるために、出前講座終了後1か月後に報告書を配布したり、定期的に報告会を開催したりして振り返りを行った。


2つ目の事例は、福島県いわき市での災害・復興公営住宅調査である。震災後、多くの避難者を受け入れた地域において、避難者側と避難の受入れ側との間で良好な関係が築けていないという問題が生じていた。よって、この調査では、災害に関連した新たなリスクの可能性として住民間の対立に着目し、いわき市の復興公営住宅とその近隣の住民を対象に、住民間の交流や精神的ストレスなどについて訪問調査を行った[8][9]。この研究の一つの特徴は、対象者の方々へ結果のフィードバックを行うとともに[10]、保健師向け出前講座でミニセミナーを調査後に毎回実施したこと、さらに、避難した方々が抱える課題を抽出するために関係機関とワークショップを開催した点にある。このワークショップは関係機関の連携が強化されるとともに、健康セミナー等の具体案が提案されるなどの次の取り組みに向けた足がかりとなった。

災害後の地域密着科学

以上の取り組みは被災地での事例であるが、災害後の地域密着科学にはいくつかの特徴(構成要素)があると考えている[11]

1つ目が科学者の規範である。学術的正しさに加えて調査や研究をすることの正当性は明確である必要があるし、被災した方への尊厳に重点を置くべきである。2つ目が価値の議論である。被災した方を含むステークホルダで、どのような研究や調査を行うべきかという価値をしっかりと事前に議論する必要がある。3つ目が科学的知見の共有、4つ目が協働的活動である。上で示した二つの事例でもそうであったように、被災した方へとフィードバックし社会の中で共有することが大切である。調査や研究の目的と結果の共有は、課題解決に向けた協働活動を促し、社会を前進させるという効果もある。そして最後が、協働活動を学術的に評価することの重要性である。学術的評価の枠組みの存在は、次世代の研究者の活動を奨励することにもつながる。

以上のことを踏まえると、特に災害後の社会実装では「どのような課題に取り組むべきか」という課題を明確にしておく必要があるし、社会のニーズをくみ取る研究者の現場感・センス・世界観に加えて、社会との対話の中で決める枠組みとの連動が必要である。また、その社会からの要求に対応可能なように、事前や迅速なリスク評価の手法が求められる。解決志向のリスク学は今後より求められるだろうし、その実現のためには多様な課題に取り組むための学際性と研究者間の連携が不可欠である。

COVID-19以降の社会実装の事例

 20203月東京オリパラ(オリンピック・パラリンピック競技大会)の延期が決定した。その直後から主要な国際誌では東京オリパラの延期と大規模集会のリスク評価と管理の重要性が指摘されはじめていた[12]。このような状況を鑑み、リスク学、環境学、医学、情報統計、理学などからなる有志研究チームMARCOMass gathering Risk Control and Communication:代表は東京大学医科学研究所井元清哉教授)を結成し、大規模集会のリスク評価と管理に関する研究を開始した[13]

MARCOの取り組みは、開会式の感染リスクの対策の効果の評価、会場への来訪者の検査のタイミングやマスクの効果の計測、都市レベルでの人流への影響や効果のシミュレーション、得られた知見の専門家ラウンドテーブルなどへの提供、あるいはNPB(日本野球機構)やJリーグ(日本プロサッカーリーグ)などの感染症対策への協力といった、評価からシミュレーション、そして社会実装に至る包括的なものであった(図2)。特に社会実装では、東京オリパラ観客の感染リスクと対策による効果評価[14]、選手・スタッフらへの渡航時や選手村での滞在時における検査による感染リスク抑制効果の評価[15][16]、ライブビューイングの会場の設計[17]、選手村での下水疫学調査による感染対策への協力[18]といった東京オリパラへの直接的なものから、 Jリーグでの各種スタジアム等での対策設計[19]、声出し応援等の観客リスク評価と感染対策順守の評価[20]や検査体制構築の協力[21][22] まで広がった。

 

社会実装の鍵

以上の実践を通して、いくつか社会実装を行ううえでの鍵が見えてきた(図3)。

まず、対話を通してステークホルダのニーズを確実に把握することである。ここで、対象者・対象の組織がして欲しいこととニーズが異なる場合もあることに注意が必要だ。さらに、研究の入口から出口までのデザインを事前にしっかりと描く。また、リスクを評価するだけでなく、対策の効果を事前に評価することが重要である。とくに、問題焦点型だけではなく、解決志向型を意識するように心がける。さらに、ステークホルダへの事前と事後の丁寧な説明と知見の共有は欠かせない。時に難しい局面に遭遇することもあるが、筋の通し方に細心の注意を払って対処する必要がある。研究分野、ネットワーク、研究資金の獲得、論文執筆など得意なことが異なるメンバーとチームを組むことが効果的である。


さらなる議論

社会課題の優先順位と対象

 

設計科学とケーススタディ

 社会における研究のあり方

 


[1] 日本リスク研究学会【編】(2019)リスク学事典, 丸善出版.

[2] 村上道夫(2019)リスクと価値―福島での経験から, シノドス https://synodos.jp/fukushima_report/22635.

[3] 村上道夫(2019)住民対話と協働活動の必要性と意義, 水環境学会誌, 42A(3), 82-83.

[4] 吉田和樹, 小林智之, 後藤あや, 竹林由武, 熊谷敦史, 安井清孝, 黒田佑次郎, 末永カツ子, 小宮ひろみ, 前田香, 村上道夫(2019)地域住民と健康リスクを考える:東日本大震災後の保健活動の向上を目指したリスクコミュニケーション支援事業, 保健師ジャーナル, 75(1), 54-59.

[5] 小林智之, 吉田和樹, 熊谷敦史, 安井清孝, 後藤あや, 竹林由武, 黒田佑次郎, 末永カツ子, 小宮ひろみ, 村上道夫(2019)災害関連健康リスクに対するコミュニケーションと協働, 安全工学, 58(6), 387-393.

[6] Yui Yumiya, Aya Goto, Michio Murakami, Tetsuya Ohira, Rima E. Rudd (2020) Communication between health professionals and community residents in Fukushima: A focus on the feedback loop, Health Communication, 35(10), 1274-1282.

[7] Kaori Honda, Yuri Fujitani, Seiko Nakajima, Aya Goto, Atsushi Kumagai, Hiromi Komiya, Tomoyuki Kobayashi, Yoshitake Takebayashi, Michio Murakami (2022) On-site training program for public health nurses in Fukushima Prefecture, Japan: Effects on risk communication competencies, International Journal of Disaster Risk Reduction, 67, 102694.

[8] Tomoyuki Kobayashi, Kazuki Yoshida, Yoshitake Takebayashi, Aya Goto, Atsushi Kumagai, Michio Murakami (2019) Social identity threats following the Fukushima nuclear accident and its influence on psychological distress, International Journal of Disaster Risk Reduction, 37, 101171.

[9] Tomoyuki Kobayashi, Kazuki Yoshida, Yoshitake Takebayashi, Aya Goto, Atsushi Kumagai, Michio Murakami (2021) Belief in group interdependence: Facilitating evacuee-host interactions after the Fukushima nuclear accident, Journal of Applied Social Psychology, 51(5), 513-521.

[10] Tomoyuki Kobayashi, Yoshitake Takebayashi, Michio Murakami (2020) , Disaster research: feedback to society, Nature, 579(7798), 193.

[11] Michio Murakami, Masaharu Tsubokura (2021) Deepening community-aligned science in response to wavering trust in science, The Lancet, 397(10278), 969-970.

[12] Brian McCloskey, Alimuddin Zumla, Poh Lian Lim, Tina Endericks, Paul Arbon, Anita Cicero, Maria Borodina (2020) A risk-based approach is best for decision making on holding mass gathering events, The Lancet, 395(10232), 1256-1257.

[13] MARCO (MAss gathering Risk COntrol and COmmunication) (2022) 2021年度「グッドプラクティス賞」受賞にあたって大規模集会(Mass Gathering Event)を対象とした解決志向リスク学の実践, リスク学研究, 31(3), 173-179.

[14] Michio Murakami, Fuminari Miura, Masaaki Kitajima, Kenkichi Fujii, Tetsuo Yasutaka, Yuichi Iwasaki, Kyoko Ono, Yuzo Shimazu, Sumire Sorano, Tomoaki Okuda, Akihiko Ozaki, Kotoe Katayama, Yoshitaka Nishikawa, Yurie Kobashi, Toyoaki Sawano, Toshiki Abe, Masaya M. Saito, Masaharu Tsubokura, Wataru Naito, Seiya Imoto (2021) COVID-19 risk assessment at the opening ceremony of the Tokyo 2020 Olympic Games, Microbial Risk Analysis, 19, 100162.

[15] Masashi Kamo, Michio Murakami, Seiya Imoto (2022) Effects of test timing and isolation length to reduce the risk of COVID-19 infection associated with airplane travel, as determined by infectious disease dynamics modeling, Microbial Risk Analysis, 20, 100199.

[16] Masashi Kamo, Michio Murakami, Wataru Naito, Jun-ichi Takeshita, Tetsuo Yasutaka, Seiya Imoto (2022) COVID-19 testing systems and their effectiveness in small, semi-isolated groups for sports events, PLoS ONE, 17(3): e0266197.

[17] Michio Murakami, Kenkichi Fujii, Wataru Naito, Masashi Kamo, Masaaki Kitajima, Tetsuo Yasutaka, Seiya Imoto (2023) COVID-19 infection risk assessment and management at the Tokyo 2020 Olympic and Paralympic Games: A scoping review, Journal of Infection and Public Health, Available online 28 March 2023, doi: 10.1016/j.jiph.2023.03.025.

[18] Masaaki Kitajima, Michio Murakami, Syun-suke Kadoya, Hiroki Ando, Tomohiro Kuroita, Hiroyuki Katayama, Seiya Imoto (2022) Association of SARS-CoV-2 load in wastewater with reported COVID-19 cases in the Tokyo 2020 Olympic and Paralympic Village from July to September 2021, JAMA Network Open, 5(8), e2226822.

[19] Tetsuo Yasutaka, Michio Murakami, Yuichi Iwasaki, Wataru Naito, Masaki Onishi, Tsukasa Fujita, Seiya Imoto (2022) Assessment of COVID-19 risk and prevention effectiveness among spectators of mass gathering events, Microbial Risk Analysis, 21, 100215.

[20] Tetsuo Yasutaka, Masaki Onishi, Wataru Naito, Yoshiaki Bando, Tomoaki Okuda, Michio Murakami (2023) Maximum proportion of masks worn: Collaborative efforts in Japanese professional football, Journal of Infection and Public Health, Available online 15 March 2023. doi: 10.1016/j.jiph.2023.03.009.

[21] Michio Murakami, Hitoshi Sato, Tomoko Irie, Masashi Kamo, Wataru Naito, Tetsuo Yasutaka, Seiya Imoto (2023) Sensitivity of rapid antigen tests for COVID-19 during the Omicron variant outbreak among players and staff members of the Japan Professional Football League and clubs: a retrospective observational study, BMJ Open, 13, e067591.

[22] 産業総合研究所(2022  プロスポーツを対象とした選手・スタッフに対する新型コロナウイルスの検査戦略 https://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/2022/nr20220404/nr20220404.html 2023824日最終閲覧)).

 

「未来の水ビジョン」懇話会について

我が国は、これまでの先人たちの不断の努力によって、豊かな水の恵みを享受し、日常生活では水の災いを気にせずにいられるようになった。しかし、近年、グローバルな気候変動による水害や干ばつの激化、高潮リスクの増大、食料需要の増加などが危惧されている。さらには、世界に先駆けて進む少子高齢化によって、森林の荒廃や耕作放棄地の増加、地方における地域コミュニティ衰退や長期的な税収減に伴う公的管理に必要な組織やリソースのひっ迫が顕在化しつつある。

水の恵みや災いに対する備えは、不断の努力によってしか維持できないことは専門家の間では自明でるが、その危機感が政府や地方自治体、政治家、企業、市民といった関係する主体間で共有されているとは言い難い。

そこで「未来の水ビジョン」懇話会を結成し、次世代に対する責務として、水と地方創成、水と持続可能な開発といった広い文脈から懸念される課題を明らかにしたうえで、それらの課題の解決への道筋を示した「水の未来ビジョン」を提示し、それを広く世の中で共有していく。

※「未来の水ビジョン」懇話会メンバー(五十音順)20237月現在

沖大幹(東京財団政策研究所研究主幹/東京大学大学院工学系研究科)

小熊久美子(東京大学大学院工学系研究科)

黒川純一良(公益社団法人日本河川協会専務理事)

坂本麻衣子(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

笹川みちる(東京財団政策研究所主席研究員/雨水市民の会)

武山絵美(愛媛大学大学院農学研究科)

徳永朋祥(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

中村晋一郎(東京財団政策研究所主席研究員/名古屋大学大学院工学研究科)

西廣淳 (国立環境研究所 気候変動適応センター)

橋本淳司(東京財団政策研究所研究主幹/水ジャーナリスト)

村上道夫(東京財団政策研究所研究主幹/大阪大学感染症総合教育研究拠点)

    • 「未来の水ビジョン」 懇話会
    • 「未来の水ビジョン」 懇話会

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

DOMAIN-RELATED CONTENT

同じ研究領域のコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム