フューチャー・デザイン 1:私たちは何をしてきたのでしょうか | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

フューチャー・デザイン 1:私たちは何をしてきたのでしょうか
写真提供:GettyImages

フューチャー・デザイン 1:私たちは何をしてきたのでしょうか

January 24, 2022

R-2021-044-1

2021年10月から東京財団政策研究所で「フューチャー・デザイン:世代を超えた持続可能性に関する意思決定手法の構築」という新たな研究プログラムが開始しました(研究代表者:小林慶一郎/研究分担者:千葉安佐子加藤創太西條辰義)。
この研究プログラムでは、日本発の新たな研究枠組みであるフューチャー・デザインにより、持続可能性のある社会制度の具体的なあり方を、自治体・国レベルでの実地の課題解決の実践活動を通じて市民と共に探索し提案すること、またフューチャー・デザインの研究枠組みを理論的に深化させることを目的としています。
全3部となる本シリーズでは、フューチャー・デザインの背景、考え方、この研究プログラムが挑戦する課題を紹介します。

第1回目の今回は、ここしばらくの間、「私たち」が何をしてきたのかについて考えます。ここでいう「私たち」は人類のことです。どうも私たちは自分の世代が良くなることのみに集中し、そのことが将来世代に過大な負担をかける「将来失敗」をし続けてきたようです。

120年以上前のことです。1898年、英国科学推進協会の大会におけるSir William Crookesによる会長講演のテーマは食糧危機でした[1, 2, 3]。「イギリスをはじめとするすべての文明国家は、いま死ぬか生きるかの危機に直面」しているというのです。さまざまなデータを用いて1930年頃には多くの人々が飢餓で死んでしまう可能性を示したのです。聴衆の多くは、彼が専門である物理や化学の話をすると思っていたようで、驚いたに違いありません。当時、欧州の国々は南アメリカからグアノ(海鳥の糞が長い年月をかけて厚く堆積したもの)やチリ硝石(天然に産出する硝酸ナトリウム、NaNO3)を輸入し、それを肥料にしていましたが、それらが枯渇し始めたのです。食糧危機を避けるため、彼は、大気中の窒素と水に含まれる水素を反応させることで、アンモニア(NH3)の生産を呼びかけたのです。アンモニアから窒素肥料ができるからです。

彼の呼びかけに答えたのがドイツのFritz HaberとCarl Boschです。ハーバーは、化石燃料を用いて高温・高圧状態を作り、さまざまな触媒を用いて、空気と水を反応させ、アンモニアの製造に成功し、これを化学会社であるBASFに売り込みました。これを基礎に工業的な大量生産の技術を確立したのが、BASFにおける窒素研究の統括者であったボッシュだったのです。彼は、何度も大型装置の爆発を経験するものの、高圧にも耐える装置を作り、1911年には一日で2トン以上のアンモニアの生産に成功し、1913年、オッパウに最初の商業用アンモニア工場を建設し、市場で通用するアンモニアの大量生産に成功しました。「市場で通用する」ことの意味は重要です。単に実験ラボで製法に成功しても、それが売れなければ世界に広がらないからです。アンモニアから作られる硝酸とその化合物は爆薬にもなるのですが、1921年、オッパウの工場では大爆発が起こり、509名が死亡し、160人が行方不明になりました。また、2020年、ベイルートで大爆発があったことをご記憶の方もおられるでしょう。爆発したのは硝酸アンモニウム(NH4NO3)だったのです。第二次大戦後、アンモニアの生産は急加速しました。爆薬ではなく、窒素肥料の生産に拍車がかかったのです。

1944年、Norman Borlaugは、1935年に稲塚権次郎が開発したNorin Ten(小麦農林10号)をもとに、メキシコで小麦の育種にとりかかり、収量が何倍にも増える小麦の育種に成功しました[4, 5]。1960年代、とりわけ1965年から翌年にかけて大凶作で苦しんでいたインド、パキスタンに高収穫の小麦の種を6万トン(インドに1.8万トン(1966年)、パキスタンに4.2万トン(1967年))も送り、この危機を救ったのです。これが「緑の革命」です。ポイントはすぐに食べられる小麦ではなく、「種」としての小麦を送ったのです。新しい小麦は大量の肥料がないと育ちません。インドでボーローグが残した言葉があります。「今、私がインドの国会議員だったら、議場で数分ごとに立ち上がり、大声でこう叫ぶでしょう。『今、インドに必要なのは肥料、肥料、肥料、貸し付け、貸し付け、貸し付け、適正価格、適正価格、適正価格!』と」(1967329, [4])。政府や銀行は農民にお金を「貸し付け」、それで農民は「肥料」を買い、政府は収穫を市場の価格よりもずっと高い「適正価格」で買い取る、という主張です。これら3つのうち、彼が最初に叫ぶとしたのが「肥料」でした。実は、ボーローグが起こした「緑の革命」を支えたのがハーバー・ボッシュ法による窒素肥料でした。1961年にはアンモニアの生産量は、窒素として1千万トンだったのですが、2020年には1億6百万トンと10倍を超えたのです[6]。

穀物収量増の主な効果は三つあります。一つ目は、短期的な効果です。必需品である穀物の増加は飢餓を救いますが、それ以上の増加は必ずしも増収につながりません。人々が食べることのできる穀物量には限りがあるからです。そのため、これまで通りの労働の投入では穀物が余るかもしれません。そこで、非都市域から都市域への人々の移動という都市化につながります。二つ目の短中期的な効果は、よりよい食生活を望む人々の食肉への需要を満たすために、増加した穀物の一部が畜産に向かったことです。1965年から2020年にかけて世界の食肉の生産量は4倍以上になりました。三つ目のもう少し長期的な効果は、人口増です。1961年には29.4億人、2020年には78億人と約2.4倍の増加になっています。1913年以前は、ほとんどの人々が有機肥料による食べ物でサポートされていましたが、戦後、ハーバー・ボッシュ法による窒素肥料の加速度的な増産で、今や有機肥料でサポートされている人々とハーバー・ボッシュ法による窒素肥料でサポートされている人々がほぼ同数になっています[7]。言い換えると、私たちの体の半分は、ハーバー・ボッシュ法に頼っているのです。とすると、もしハーバー・ボッシュ法がなかったとするなら、人口は今のように増えていなかったかもしれませんし、そのため、温室効果ガスの排出も格段に少なかったかもしれません。

私たちが目指したよりよい生活は食べ物にとどまりません。快適な生活を求め、より広く冷暖房を完備した住まいを望み、より性能のよい家電製品を望みます。さらには、行きたいところに行くという移動への欲求もあります。これらを満たすために、人や物の輸送にも大量にエネルギーを使うようになったのです。化石燃料の燃焼を中心とする温室効果ガスの排出も大加速し、気候変動を将来世代に残すことになったのです。大きく変わったのは炭素循環だけではありません。ハーバー・ボッシュ法による大量の反応性窒素(N2以外の窒素化合物)は大気汚染、気候変動、水質汚染、オゾン層破壊、水域の富栄養化などありとあらゆるところで環境問題を起こし、窒素循環を大きく加速し、将来世代にも巨大な負の遺産を蓄積しているのですが、その重要性はあまり認知されていないようです。まだまだそのコストがいくらぐらいなのかは定かではありませんが、国連環境計画(UNEP)によると、今世紀初めには、世界全体で一年当たり37兆円から370兆円程度のコストが発生しているとのことです[8]。さらには、リン循環、生物多様性なども、もう元に戻れないtipping points(臨界点)を超えてしまっているようです[9]。

ハーバーとボッシュはノーベル化学賞、ボーローグはノーベル平和賞を受賞しています。彼らは、化学肥料の増産を通じて飢えた人々のために食料の増産をすることを「正義」だと考えていたに違いありません。科学者や技術者は自らの課題に向かって脇目も振らず、一直線に進む一方で、その成果の社会的な影響や将来世代への影響を十分に考えてはいなかったのではないのでしょうか。かといって科学者や技術者の創造力を削ぐような社会システムの提案をしている訳ではありません。彼らには思う存分活躍して欲しいのです。ただ、その成果をどのように使うのかは社会全体の課題です。ところが、私たちは、その課題に答える社会システムのデザインをきちんとしてきませんでした。私たちは、炭素循環や窒素循環のように、元素レベルの循環に影響を及ぼすことで多大な便益を得ているのですが、気づいていようがいまいが、同時に何らかの脅威がその背後にあるのです。とりわけ、この脅威が時空を超えて将来世代に及ぶことを忘れてはなりません。

次に、私たちの社会の二つの柱である市場と民主制を再考しましょう。ハーバー・ボッシュ法は商業的に大成功を収めましたが、成功の基準は市場で売れるかどうかです。ところが、市場は<人々の目の前の欲望を実現する優秀な仕組み>ではあるものの、<将来世代を考慮に入れて資源配分をする仕組み>ではありません。残念ながら、将来世代は現在の市場でその意思を表明することができないのです[10]。一方で、「万人の万人に対する闘争」から逃れるために、ホッブス、ロック、ルソーによる社会契約のアイデアから生まれた自由・平等に基づく民主制、とりわけ選挙に基づく間接民主制は科学や市場の近視性を克服できてはいません。民主制は<現在生きている人々の利益を実現する仕組み>であり、<将来世代を取り込む仕組み>ではないのです[11]。皆さんが住む地域で、市長選に出た候補者が「将来世代のために化石燃料を用いる乗り物は禁止、化学肥料も禁止」といった政策を叫んだとしても、当選しないでしょう。科学、市場、民主制は私たちの社会の三つの基本的な柱ですが、こうしてみると、科学のあり方、市場、民主制の仕組みそのものが人類の存続を脅かしかねないのです。

フューチャー・デザイン2:なぜ「将来失敗」が起こるのでしょうか」に続く

 

* 本シリーズの作成にあたって林健太郎氏、谷口真人氏からさまざまなコメントをいただきました。記して感謝します。

 

参考文献

[1] Crookes, W. (1898). Address of the President before the British Association for the Advancement of Science, Bristol, 1898. Science 8(200), 561-575.

[2] トーマス・ヘイガー『大気を変える錬金術』渡会圭子 (訳)、みすず書房、2017.

[3] Saijo, T. (2021). Future Forebearers, RSA Journal, Issue 3, 41-43.

[4] レオン・ヘッサー『 “緑の革命”を起した不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ』岩永 勝 (訳)、悠書館、2009.

[5] 稲塚秀孝『NORIN TEN 稲塚権次郎物語: 世界を飢えから救った日本人』合同出版、2015.

[6] Galloway, J. N., Bleeker, A., & Erisman, J. W. (2021). The Human Creation and Use of Reactive Nitrogen: A Global and Regional Perspective. Annual Review of Environment and Resources46, 255-288.

[7] Erisman, J. W., Sutton, M. A., Galloway, J., Klimont, Z., & Winiwarter, W. (2008). How a century of ammonia synthesis changed the world. Nature Geoscience, 1(10), 636-639.

[8] https://www.iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/bookchapter/jp/10343/Frontiers2018-19_j_nitrogen_FINAL.pdf

[9] Rockström, J. Steffen, W. Noone, K. Persson, Åsa Chapin, F.S. Lambin, E.F. Lenton, T.M. Scheffer, M. Folke, C. Schellnhuber, H.J. et al. (2009) A safe operating space for humanity. Nature, 461, 472–475.

[10] 西條辰義「フューチャー・デザイン」西條辰義編著『フューチャー・デザイン: 七世代先を見据えた社会』勁草書房、2015, pp.1-26.

[11] 西條辰義「フューチャー・デザイン×哲学」西條辰義・宮田晃碩・松葉類編著『フューチャー・デザインと哲学』勁草書房、2021, pp.19-40.

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

PROGRAM-RELATED CONTENT

この研究員が所属するプログラムのコンテンツ

DOMAIN-RELATED CONTENT

同じ研究領域のコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム